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勝田清孝事件は連続強盗殺人事件。勝田清孝の素性や113号事件との関連性は?

もくじ

1分でわかる勝田清孝事件

  • 10年間で男女8名を殺害
  • 銀行強盗の際に取り押さえられ逮捕
  • 凶悪な犯罪で死刑判決を下される

「勝田清孝(かつたきよたか)事件」とは10年間で男女8名を殺害した連続殺人事件です。しかし供述では22人を殺害しており、残りの14件は証拠不十分で不起訴になりました。 そんな連続殺人犯の最後は銀行強盗の際に、銃を落としてしまいその場で取り押さえられるという、情けないものになります。もちろん勝田は殺人を犯した罪で死刑になりました。

勝田清孝事件の概要

「勝田清孝事件」とは1972年-1983年の10年間にかけ、勝田清孝が起こした連続殺人事件のことです。また警察庁広域重要指定113号事件も有名で、勝田が警察を襲い銃を盗み逃走しました。

勝田清孝は借金に追われていた

勝田は昔から浪費グセがすごく常に借金に追われていました。借金の理由としては「見栄をはるため」「自分を大きく見せるため」に必要以上にお金を使ってしまうのです。 友人たちの飲食代はすべて奢り、スーパーカーを乗り回し、女と酒にお金を使いまくるという生活が続きどんどんお金はなくなっていったのでした。 そこで勝田は本業の消防士の仕事をしつつ、週末には配送業のトラック運転手としてお金を稼いでいました。

勝田清孝は強盗殺人を繰り返す

勝田は週末に運送業をしつつ、その合間に空き巣を繰り返すようになります。それでもお金が足りず、今度はホステスを狙ったひったくりを始めるのです。 そして空き巣で鉢合わせたしまった居住者のホステスを強姦した後に殺害します。そこからは次々と強盗殺人を繰り返し、金品を盗んでいったのです。 その間も浪費グセは治らず、常にお金がない状態でした。

10年間で男女8名が殺害された

10年間で以下の男女8名が殺されました。 しかし殺害に至っていないというだけで強盗や暴行などはこれ以上に起きています。

  • 1972年9月13日にホステスを殺害
  • 1975年7月6日にクラブのママを殺害
  • 1976年3月5日にホステスを殺害
  • 1977年6月30日に女性アルバイトを殺害
  • 1977年8月12日に美容院女性を殺害
  • 1977年12月13日に銀行勤務の男性を殺害
  • 1980年7月30日に小売店男性店長を殺害
  • 1982年10月31日に溶接工男性を殺害

警察官に重傷を追わせた113号事件

「勝田清孝事件」といえば113号事件も有名です。113号事件とは1982年10月27日に勝田が警察を襲った事件です。 事件当日に勝田は木下という偽名を名乗り青いクラウンに警察官を呼び出しました。 呼び出した場所に来た警察官を勝田は車で跳ね飛ばし、そのあと鉄の棒で滅多打ちに殴ったのです。その後警察官が所持していた銃を盗んで逃走します。

113号事件で奪った拳銃を用い強盗を繰り返す

勝田は盗んだ拳銃を使ってその後さらに犯行を重ねます。1982年10月31日には静岡県のスーパーマーケットで拳銃を使い強盗に入るのです。 1982年10月31日には大津のパーキングエリアで運転手に拳銃を突きつけ脅し、名古屋方面に向かうように強要します。しかし運転手が抵抗したことにより発砲し殺害するのです。 1982年11月1日には岐阜県のガソリンスタンド定員に向け発砲、1982年11月28日には京都府のスーパーにて拳銃を使い銀行強盗に成功します。

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勝田清孝事件の犯人である勝田清孝

10年間で8人もの男女の命を奪った勝田清孝とはどのような人物だったのでしょうか。生い立ちや経歴を見ていくうちに犯人の人物像が明らかになってきました。 勝田は成人前から傷害事件や窃盗事件などを多数起こしており、逮捕されている経歴があります。 また連続殺人をしている最中にテレビ番組に出演するなど、通常では考えられない精神の図太さも持ち合わせていたのです。

生い立ちと経歴

勝田は1948年に京都において生まれます。家は裕福で学生時代には吹奏楽部に入部します。その頃から見栄をはる癖があり、小遣いの多い友人に張り合うために、食堂で他の学生たちにおごることが日常でした。 高校卒業後は職を転々とし、そこで出会った女性と大阪府へ駆け落ちします。その後は奈良県の運送会社に就職し男の子も2人生まれます。 23歳のときには消防職員採用試験を受け一発合格するのです。

勝田清孝事件の前から傷害事件など起こす

勝田は学生時代から車両の盗品の販売、窃盗、ひったくり、売店荒らし、車上荒らしなどの犯罪を繰り返していました。高校では大阪府の少年院に入った経歴もあります。 その後逮捕経歴を隠し消防職員採用試験に合格しますが、後に逮捕経歴がバレます。 しかし勤勉な勤務態度で評判も良く、懲戒免職を免れましたが、浪費グセがたたり空き巣やひったくりを繰り返すようになります。

クイズ番組に出演していた

連続殺人を行っている最中にクイズ番組に普通に出演するなど、通常では考えられない行為もしています。 1977年7月6日に朝日放送枠のクイズ番組「夫婦でドンピシャ!」の収録に妻と参加し放送されました。さらにそのクイズ大会で優勝し、賞金8万円と商品券10万円分を獲得しました。 1977年8月20日の放送では視聴率が20%を超えました。

勝田清孝事件の犯人逮捕と判決

10年間で8人もの殺人を犯した凶悪犯の勝田でしたが、最後はあっけない形で逮捕されました。またその後の判決では死刑判決が当たり前と思われていましたが、上告審まで裁判はもつれこむのです。

銀行強盗をした際に取り押さえられ逮捕

1983年1月31日に勝田は名古屋市にある第一勧業銀行御器所支店にて銀行強盗を試みます。そこにやってきた運送会社の社長が現金を下ろすタイミングを見計らって、拳銃を突きつけ脅したのです。 「これは警察官の持っている本物の拳銃だぞ。あの事件(113号事件)を知っているだろう。喋ると撃つぞ。後ろの座席に金を置いて車を出せ」と脅迫したのですが、運送会社の社長は抵抗しました。 そこで社長ともみ合っているうちに拳銃を落とし、銀行員などが駆けつけ、取り押さえられて逮捕に至りました。

死刑判決のち、2000年11月30日に死刑執行

逮捕後の1983年5月27日1985年12月16日に行われた第一審では、死刑判決が言い渡されたものの、弁護人は判決を不服として控訴しました。 それにより1987年3月30日から1988年2月19日の間に控訴審を行います。結果的に控訴は棄却され舞台は最高裁に移されました。 1993年11月4日から1994年1月26日行われた上告審にて死刑判決が言い渡されました。そして2000年11月30日に死刑が執行されました。

勝田清孝事件と類似の連続殺人事件

「勝田清孝(かつたきよたか)事件」と似ている事件として取り上げられるのが、「大久保清連続殺人事件」です。「勝田清孝事件」と同じく連続殺人で2ヶ月の間に8人の女性を殺害しています。 同じ1970年代に起きた事件として注目を集めました。連続殺人として似た部分が多い両者ですが、犯行動機が少し違います。 勝田は金銭を目的に殺害し、大久保清は強姦を目的として連続殺人を犯していました。どちらも自らの欲望のためだけに、殺害したという点で非常に凶悪な殺人事件です。

勝田清孝事件のような凶悪事件の防止策

今後「勝田清孝事件」のような凶悪事件を起こさないようにするためには警察による取り締まりの強化が期待されますが、我々としても日頃から警戒することが大切です。 連続殺人のターゲットとして狙われやすいのが女性なので、「夜道を1人で歩かない」「常に連絡を取れる状況を作っておく」「知らない男性とは会わない」ことが大切です。 近年では警察の取り締まりや監視カメラの数が増加しており、凶悪犯罪が起きにくくなっています。しかし気をぬかず、自分の身は自分で守れるようにしましょう。

勝田清孝事件を題材にした映画

日本の犯罪史上に残る事件として「勝田清孝(かつたきよたか)事件」は映画化もされています。「連続殺人鬼 冷血」というタイトルで勝田清孝の半生が描かれてる映画です。 木下英治のノンフィクションを映画化したもので、巨匠「渡辺護」が監督としてメガホンをとっています。 年院上がりの勝田がどうやって連続殺人鬼になり、どのような気持ちで殺害していたかよくわかる作品になっています。あまり気分の良い映画ではないので、見る際にはその点に注意してご覧ください。

日本史上最悪の連続殺人

今回は日本の犯罪史上最悪といわれる「勝田清孝(かつたきよたか)事件」について説明しました。10年間の間全く捕まらずに、8人以上の男女を殺害した恐怖の殺人鬼です。 そんな人間が普通に、消防士として働いていたことに驚きを隠せません。 昔に比べると日本の治安も良くなり、犯罪数も減ってきていますが、いつどこで犯罪に巻き込まれるかわからないので、気を緩めないようにしましょう。

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