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イトマン事件で裏社会に多額の資金が流出。許永中や山口組などの関係性とは。

もくじ

イトマン事件の概要

  • 伊藤萬株式会社への多額の融資金が闇に消える
  • 山口組や宅見勝などの暴力団への資金流出の可能性も
  • 許永中や伊藤寿永光は逮捕された

伊藤萬株式会社の経営悪化

大阪の中堅繊維商社であった伊藤萬株式会社(以下、イトマン)は1973年のオイルショックによる不況の影響を受け経営状況が悪化しました。 イトマンの主力銀行で会った住友銀行(現在の三井住友銀行)の磯田会長は懐刀であった河村良彦をイトマンの社長として送り込みその再建を図ろうとしました。 河村は強力なリーダーシップで製品在庫一掃を実現し、わずか2年でイトマンの経営を黒字経営に立て直しました。

イトマン事件の黒幕である許永中

一時期経営改善を果たしたイトマンでしたが、1985年のプラザ合意による急激な円高を背景とした繊維不況によって再び経営状況が悪化しました。 社長の河村はイトマンを繊維商社から総合商社への脱皮を図る拡大路線を取り状況改善を図ろうとしました。 これが裏社会とのつながりが噂されていた自称経営コンサルタントの伊藤寿永光と日本財界のフィクサーといわれていた在日韓国人の許永中を呼び込むことにつながったのです。

住友銀行は伊藤萬株式会社に多額の融資を行った

伊藤寿永光と許永中は経営改善を名目に怪しげな不動産取引きや美術品・貴金属取引を言葉巧みに河村に持ちかけました。 バブル全盛期の当時住友銀行は積極的な融資スタンスをとっており、次期社長を送り込むためイトマンとの関係強化を図ろうとしたこともあって、莫大な資金が住友銀行からイトマンに流れ込みました。 許永中がイトマンの持ちかけた絵画取引には住友銀行会長磯田の実娘も関わっていたとされています。

伊藤萬株式会社が絵画やゴルフ場に投資をする

暴力団関係が背後にいるとされる伊藤寿永光は住友銀行名古屋支店の紹介でイトマンに入り込みゴルフ場開発や土地購入による収益改善を河村に持ちかけました。 伊藤寿永光とつながりがあった許永中も河村良彦に美術品や貴金属購入を持ちかけました。許永中が持ちかけた美術品は真贋(しんがん)が疑わしく市価の2、3倍の法外な価格だったといわれています。 イトマンの不動産投資に対する借入金は1兆2000億円に及んだとされています。

巨額の資金が裏社会に消える

伊藤寿永光と許永中は顔役としてのし上がっていく過程で山口組など反社会的勢力との関係を深めていきました。 イトマン事件で住友銀行からイトマンを介して裏社会に流れた資金は3,000億円以上ともされていますが、その資金のフローは未だ解明されていません。どこでどのように使われたか分かっていないのです。 このイトマン事件の結果、暴力団のような反社会的勢力は銀行に口座を持つことができなくなりました。

 

イトマン事件と山口組の関係性

ここまでイトマン事件の大まかな経緯を見てきました。 イトマン事件が戦後最大の不正経理問題と注目を集めたのはその規模が大きかったことに加えて、その背後に山口組の影がかいま見えたからです。

許永中は山口組と関係を持っていた

許永中は大阪市中津に生まれた在日韓国人の実業家ですが、実業家として様々な事業に関係していく中で政治家や暴力団とのつながりを持つようになったといわれています。 やがて許は裏社会のフィクサーといわれるようになり最大勢力の山口組とも関係を持つようになりました。特に宅見勝は許の面倒をよくみたことから深い関係を築くことになりました。 許永中はある意味フィクサーとして優秀で大物との人脈作りにたけていました。

宅見勝の元に数千億の資金が流れた可能性

宅見勝はバブル期に「経済ヤクザ」として名をはせました。当時山口組などの暴力団は地上げや株取引などで裏社会から表社会に進出しその勢力を拡大していきました。 許永中はそのような状況の中で宅見勝と利害関係を持つに至ったとされています。 こうして住友銀行からのイトマンへの巨額の乱脈融資は裏社会に消えていきましたが、許永中の働きかけで宅見勝に流れた資金はイトマンだけではなかったといわれています。

イトマン事件の逮捕者とその後

イトマン事件は戦後最大の経済事件として世間を騒がせましたが、イトマン事件の結末はどうだったのでしょうか。 既に関係者の多くが鬼籍に入っていますが、イトマン事件で裁かれた人々や影の主人公である許永中のその後などを探ってみましょう。

許永中や伊藤寿永光など計6人に懲役刑

1991年大阪地方検察庁は特別背任の疑いで伊藤寿永光、許永中、河村良彦ら6人を逮捕・起訴しました。 2005年最高裁の上告棄却によって伊藤寿永光、許永中、河村良彦の実刑が確定し司法手続きとしてのイトマン事件は一応終了しましたが、巨額の資金の行方は未解明のまま現在に至っています。 イトマンは1993年に住金物産(現在の日鉄住金物産)に吸収されイトマンは110年の歴史に幕を下ろしました。

許永中のその後

許永中は多額の保釈金を支払い一時韓国に逃亡しましたが2年後東京で拘束され実刑確定後黒羽刑務所で服役しました。 許永中は2012年まで黒羽刑務所で服役しましたが母国の韓国での服役を申し出てこれが認められました。2013年には韓国で仮釈放の措置がとられ現在韓国で暮らしている模様です。 日本へ戻りたいとの意向を持っているようですが実現は難しいようです。2017年には「ガイヤの夜明」にTV出演しています。

裏社会が表社会に与えたビッグインパクト

イトマン事件は我々に幾つかの教訓を残しました。組織コンプライアンスや組織ガバナンスのあり方はもちろんですが、裏社会やフィクサーというものが物語の世界だけではなく実際に存在し表社会に影響を及ぼしていることが明らかになりました。 このような事件を糧として我々も組織のあり方を考えたいものです。

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