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五十嵐一が殺害された悪魔の詩訳者殺人事件。時効を迎えた未解決事件の真相に迫る。

もくじ

オオカミの仮面を被った殺人鬼

  • カリフォルニア州の市街地で男が妊婦を殺害
  • 犯行はハロウィーン当日で、犯人はオオカミの仮面
  • 犯人は妊婦の元夫で、裁判で死刑宣告された

1984年、ハロウィーンの日にアメリカのカリフォルニア州で発生した事件です。娘とともにハロウィーンを回っていた妊婦が、帰宅後に仮装した男に襲われ、無惨に殺害されました。 犯人は被害者の元夫で、被害者との間に生まれた息子が亡くなったことを逆恨みしての犯行でした。犯人は死刑判決を受けて、事件から15年後に処刑されています。

1984年のハロウィーンに襲った悲劇

事件が起こったのは1984年10月31日の夜で、カリフォルニア州にあるサンノゼという街でした。ハロウィーンということもあって、お菓子を求める子供達が多くいたようです。 犯人の男は仮装した子供達に紛れるため、自身もオオカミ男のマスクを被って仮装していました。犯行現場となるドリーン・アーバートの家にも、仮装した子供を装って接近しました。 犯人の男は1軒の住居を襲い、女性1人を殺害して逃亡しました。

妊娠8ヶ月のドリーン・アーバートが殺害される

事件の犠牲になったのは31歳のドリーン・アーバートと、妊娠8ヶ月の胎児でした。 犯人の男は18インチ(約46cm)のマチェット(山刀)でドリーン・アーバートを何度も切りつけて殺害しました。その際に左手を切断し、腹部を切開しています。8ヶ月の胎児はバラバラにされていました。 ドリーン・アーバートの4歳になる娘、ディアナが唯一の生存者でした。ドリーン・アーバートは殺害される寸前に娘を逃がしていました。ディアナの証言によると、家を訪ねてきた犯人が「あたなをこれから殺す(I’m going to kill you)」と話していたそうです。

オオカミの仮面を被った元夫マイケル・デニス

事件の犯人はドリーン・アーバートの元夫、マイケル・デニスでした。マイケル・デニスは事件から遡ること7年前にドリーン・アーバートと離婚しています。 そんな彼がどうして元妻殺害という凶行に及んでしまったのでしょうか?

重度の難聴やうつ病に苦しんでいた

マイケル・デニスは幼少期、重度の難聴を患っていました。そのせいで吃音にも悩まされていました。 当時を知る友人は、マイケル・デニスは補聴器を使ってさえも日常生活を送ることが大変そうだった、と証言しています。そういった事情から、人と話をすることも少なかったようです。 マイケル・デニスは後にうつ病にもなっており、担当の精神科医に普通に過ごすことのつらさを吐露していました。

事件の7年前にアーバートと離婚

工場の塗装工として働いていたマイケル・デニスは、理学療法士だったドリーン・アーバート(当時は別の姓)と出会い、数ヶ月後に結婚しました。そしてポールという息子が生まれました。 しかし育児のすれ違いから2人は1977年に離婚します。マイケル・デニスはポールを大事にしていたようですが、親権はドリーン・アーバートのものとなりました。 それから3年後、4歳となったポールが自宅プールで溺死するという事故が起こりました。マイケル・デニスはドリーン・アーバートと再婚相手のチャールズを恨んで、訴訟まで起こしています。

裁判の末マイケル・デニスは死刑

マイケル・デニスは裁判において、ドリーン・アーバートと8ヶ月の胎児を殺害した容疑で、死刑判決を下されました。 マイケル・デニスは事件で仮装していたはずですが、どういった経緯で逮捕され、罪に問われる結果となったのでしょうか?

証拠や血液型の一致

事件の後、捜査当局はドリーン・アーバートの夫チャールズと、近隣に聞き込みを行いました。そこでマイケル・デニスとの間で、ポールの死に関係したトラブルがあったことが明らかとなったのです。 マイケル・デニス宅に急行した警察官は、ハンドルが血塗れになった車や様々な証拠を発見しました。 さらにマイケル・デニスの血液型と、犯行の際に怪我を負っていた犯人の血液型が一致したことから、マイケル・デニスは逮捕されました。

アーバートと胎児を殺害した容疑

警察が押収した証拠品の中には、ドリーン・アーバートとチャールズの遺体袋や重しなど、事件には使用されなかった死体遺棄のための準備が含まれていました。 数々の証拠から事件は計画的犯行だったとして、マイケル・デニスには有罪判決が下され、死刑が宣告されました。裁判ではドリーン・アーバート殺害を第1級殺人(計画的殺人)、退治殺害は第2級殺人(故意による計画外殺人)と認定されています。 マイケル・デニスは1999年9月に、ガス室で死刑が執行されました。

ハロウィーンでキャンディマン事件も

ハロウィーンで起きた凄惨な事件としては、キャンディマン事件も有名です。 1974年10月31日、テキサス州ディアパークに住んでいたロナルド・クラーク・オブライアンは、保険金目当てに青酸カリの入ったキャンディを息子に与えて殺害しました。 ロナルド・クラーク・オブライアンは逮捕後の各種報道で、別名キャンディマンと名づけられ、ハロウィーンの負の側面として恐れられるようになりました。

ホラー映画が現実に

ジョン・カーペンター監督は1978年に、ホラー映画『ハロウィン』を発表しました。殺人鬼ブギーマンことマイケル・マイヤーズをメインとした映画は大ヒットし、今日ではスプラッター映画の代表作とされています。 この映画では、マイケル・マイヤーズがマスク姿の仮装で衆人に紛れるというシーンが描かれました。マイケル・デニスの殺人は、奇しくも映画が現実になったような事件となったのです。 平和なはずのハロウィーンで惨劇が起こるのは、フィクションの中だけのことであって欲しいと願わずにはいられません。

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