1分でわかる北陸トンネル火災事故
- 深夜にトンネル通過中の列車から火災が発生
- 30名が死亡し約700名が負傷する大惨事
- 事故後には車体やトンネル内の火災対策が強化
北陸トンネル火災事故の概要

北陸トンネル火災事故とは青森県行きの列車が起こした事故のことです。事故が起こったのはトンネル内部でのことでした。列車は停止しましたが停電のために燃える列車を切り離せず、多数の死者を出す大惨事となりました。
「きたぐに」の食堂車から出火
事故を起こした列車は「きたぐに」で、出火元は食堂車でした。食堂車にあった喫煙室の椅子の下からの出火で、食堂車勤務の従業員らによって火が出ていることが判明しました。 事故が起こったのは深夜で、消火設備も不十分でした。消化ホースなどの消化器以外の消化手段がほぼなく、鎮火することは不可能でした。 さらに排煙車などもなかったうえにトンネル内であったため、すぐに煙が充満していきました。
トンネルの中央で非常停車をするも煙の影響で消化活動に苦戦
出火後トンネルの中央で列車は非常停止しましました。その後も消火活動は続けられましたが、消火設備が不十分であるだけでなく充満する煙によって消火活動はうまくいきませんでした。 火の勢いは小さくなるどころか次第に強まっていき、出火している食堂車を切り離すことにしました。 しかし明かりもなく狭いトンネル内であることと激しい炎、充満する煙のために列車の切り離し作業は困難を極めました。
停電の影響で列車の切り離しも不可能な状態
従業員らは必死に列車の切り離し作業をしましたが、停電の影響で列車の切り離しも不可能な状態になってしまいました。 火災が起こった当初は停電はしていませんでしたが、火の勢いが強まるにつれ架線が溶断されてしまい停電が発生しました。 そのために消火もできず、燃えさかる列車の切り離しもできなくなるという状況に陥ってしまいました。またトンネル中央部であったために、列車を降りて逃げるということも難しい状態でした。
北陸トンネル火災事故の被害者

北陸トンネル火災事故では多数の犠牲者がでました。負傷者だけでなく大勢の死者も出た大事故でした。しかしそのほとんどは火による火傷が原因ではありませんでした。なぜそれほどの死者が出てしまったのか、死因は何だったのかなどを見ていきます。
30名が死亡し約700名が負傷
この事故により列車の乗車していた中の30名が死亡し約700名が負傷しました。事故が起こったのが深夜であったために、乗客のほとんどが就寝していたのも被害が広がった理由の一つです。 またトンネル内であり狭い上に暗く、充満する煙によって視界は最悪の状態でした。出口は歩いていくには遠く、救助も難しい状況でした。 さらに深夜であることから国の対応も後手に回り、最終的に多数の死傷者を出す結果になりました。
死因は一酸化炭素中毒
死因のほとんどは炎による火傷ではなく一酸化炭素中毒でした。燃えさかる食堂車からはものすごい勢いで煙が出ており、有毒ガスである一酸化炭素を発生させました。 火災の発生を想定していなかったトンネル内には排煙装置などなく、煙はすぐに一面に広がりました。 また当時のトンネルは避難口や別通路も設置されていなかったうえに照明も消されており、逃げることのできなかった人々が有毒ガスによって命を奪われました。
北陸トンネル火災事故の原因と考えられるもの

北陸トンネル火災事故の原因は一体何だったのでしょうか。出火した車両には原因と思われるものがいくつもありました。そのためいくつもの推測がたてられました。また火災が消火しきれなかった原因なども詳しく解説していきます。
電気暖房機のショート
実はこの事故の火元は喫煙室の椅子の下にあった電気暖房機がショートしたためでした。のちの調査で配線が基準違反であったこととゆるみがあったことが確認されました。 火元が食堂車であったため当初石炭レンジから火が出たのではないかとも推測されました。しかしそのような形跡は発見できず断定はされませんでした。 最終的には基準違反であった上にゆるみがあった配線がショートしたことが火事の原因と判明しました。
タバコの不始末の説も
出火の原因としては場所が喫煙室であったためにタバコの不始末ではないかという説もありました。この説はかなり有力と思われました。 しかしこれもはっきりと判明はせず断定されることはありませんでした。 その後電気暖房機の配線がショートしたためと、調査の結果判明しました。
トンネル内での火災を想定しておらず対策が不十分だった
被害者がこれほど多かったのはトンネル内での火災を想定しておらず対策が不十分だったことが原因の一つといわれています。 当時消防からの要請が再三あったにもかかわらず、電化トンネルでの火災事故など起こりえないとし全く対策をしていませんでした。 そのため避難通路や消火対策が全くなく、また照明は一斉点灯するようにはなっておらず個別に点灯するスイッチしかありませんでした。これらの対策不足により被害は拡大の一途をたどったとされています。
車体の炎上のしやすさ
またトンネル内の火災対策不備だけではなく、当時列車の車体自体が炎上しやすかったということもあります。 列車で火災事故が起きることは考慮されておらず、何一つ対策は立てられていませんでした。 食堂車から出火があった時火が勢いよく広がってしまったのは車体自体が燃えやすかったためだとされています。列車内での火事は想定外であり、火事対策に難燃性の素材を使うなど思いもよらないことでした。
北陸トンネル火災事故後の対策

北陸トンネル火災事故後この事故を教訓としてトンネルや列車にはさまざまな対策がたてられました。二度とこのような悲惨な事故を起こさないために、どのような対策がたてられ実行されたのかを詳しく見ていきます。
車体に燃えにくい素材を用いる
簡単に燃え上がって火災を広げてしまった車体には、事故の後からは燃えにくい素材を用いることになりました。 ガラスや連結部に延焼防止のための素材が使われるようになり、内装部分もアルミ化粧板などが採用されました。延焼防止対策はさまざまな部分に施されることとなりました。 また火災対策も強化され非常用ブザーの設置などもされました。特に寝台車を中心に煙感知器の取り付けやメガホンの設置なども行われました。
トンネルでの火災時の対策強化
北陸トンネルは当時、在来線においては最長の長さを誇っていました。そのトンネル内での火災事故はトンネルでの対策強化へとつながりました。 照明設備の見直しや消火器などの設置、沿線電話の改良や無線機の難聴対策なども施されました。トンネルの近辺にディーゼル機関車やリニアモーターカーなどを配置し、すぐに救援に向かえるようにしました。 さらに情報連絡設備や避難経路なども整えられました。
食堂車の廃止
この事故により出火元となった食堂車はそのほとんどが廃止されることとなりました。 今では考えられないことですが、かつて汽車の旅といえば必ずといっていいほど食堂車がつきものでした。しかし国鉄時代の花形ともいえる食堂車はこの事故により姿を消していきました。 食堂車が消えたわけは火事の原因として調理器の石炭レンジが疑われたためです。また電気暖房機の配線ショートはどの食堂車でも起こりうるというのも理由の一つでした。
北陸トンネル火災事故では操縦士らが起訴されるも無罪判決

北陸トンネル火災事故では操縦士らが起訴されましたが、無罪判決となっています。 操縦士らが起訴されたのは彼らの行動が適切ではなかったのではないかと疑われたためです。主にトンネル内で電車を急停止させたことなどが死傷者を増やしたのではないかとされ、業務上過失致死傷罪で起訴されました。 しかし当時の規定に照らし合わせて操縦士らの行動は不適切ではなかったとされました。マニュアルの改訂がされていなかったことが問題視され、国鉄幹部の責任が追及されました。
類似の悲惨な鉄道事故

北陸トンネル火災事故のほかにも類似した悲惨な鉄道事故は多くあります。三河島事故などはその最たるもので、戦後最悪の鉄道事故ともいわれています。 三河島事故は機関士の信号現示の誤認により発生しました。列車の脱線事故であり高架下の倉庫に転落し原形すらとどめていない車両などもありました。 三河島事故の死者は160名にものぼり、負傷者も296名という大惨事でした。