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光クラブ事件は戦後に起きた闇金事件。首謀者山崎晃嗣の人物像とは?

もくじ

1分でわかる光クラブ事件

  • 中小企業向けの闇金事件
  • 光クラブの運営は東大生の山崎晃嗣
  • 山崎晃嗣は逮捕ののち自殺

光クラブ事件の概要

「光クラブ事件」は、当時世間を騒がせた闇金事業事件です。この事件が騒がれた理由のひとつとして、首謀者が大学生であったということが挙げられます。 ここでは、この事件がどのようなものであったのか、また犯人は誰であるのかについて紹介します。

1948年に起きた東大生による闇金事業

「光クラブ事件」は、1948年に東大生が主犯となっておこなわれたものです。 この事件では、東大生が闇金事業を起こし、多くの中小企業に貸付をおこなっていました。高額な利子での貸付により、「光クラブ」は闇金となってしまったのです。 「光クラブ」が要求する利子はほぼ3割という法外なものであり、中小企業などにとってはとても返済が追い付くものではありませんでした。

社長は山崎晃嗣

「光クラブ」の社長は山崎晃嗣(やまざきあきつぐ)です。 山崎晃嗣は東大生で、他にも日本医科大生の友人が専務として「光クラブ」の設立に関わっていました。中野の鍋屋横丁に居を構え、「光クラブ」の経営がなされていました。 他にも専務に東大生、監査に中大生が関与していました。それをとりまとめていたのが、社長である山崎晃嗣でした。彼はのちに30人もの社員を抱えることとなります。そのリーダーシップには、目を見張るものがあると言えます。

光クラブ事件の経緯

では、「光クラブ事件」はどのようにおこなわれたのでしょうか。 「光クラブ」が設立されてから、その終わりまでを順に追っていきましょう。「光クラブ」がどのようなものであったのか、そして逮捕されるに至った経緯について詳しく紹介していきます。

1948年9月に光クラブを設立

「光クラブ」は1948年9月に設立されました。 「光クラブ」は、過剰広告とも言える過激な広告で世間の目を集め、資金繰りに成功します。それを元手として、法外な高利で中小企業に貸し付けをおこなっていくこととなります。 「光クラブ」は瞬く間に事業を拡大し、開業4ケ月後には資本金400万円を有する企業と化していました。この時点で、従業員は30人となっており、「光クラブ」は全盛期を迎えていました。

1949年7月に逮捕

順調と思われていた「光クラブ」は、山崎晃嗣が1949年に逮捕されたことで終わりを迎えます。 山崎晃嗣が物価統制令違反で1949年7月4日に逮捕されると、「光クラブ」の業績は一気に悪化しました。社名を変更したり、株を空売りするなどといった努力も虚しく、資金を調達して「光クラブ」を立て直すことはできませんでした。 これによって「光クラブ」は持ち直すことのできないほどの大きな債務を抱えることとなりました。

光クラブ事件の主犯の山崎晃嗣

「光クラブ事件」の首謀者である山崎晃嗣という人物についても知っておく必要があるでしょう。 彼が何を考えていたのか、どういった人物であったのかなどを知ると、「光クラブ事件」についてよりいっそう理解することができるようになります。ここでは、山崎晃嗣について紹介していきます。

会社設立まで

山崎晃嗣はとても几帳面で自分に厳しい人間でした。30分刻みのスケジュール通りに行動したり、「優」という評価に固執したりするというストイックさを持っていました。特に細かく日記をつけていたことがわかっています。 彼はとある金融会社で日本医大生と知り合いになり、その影響を受けて自分も金融関係の事業を起こそうと考えました。その結果設立されたのが「光クラブ」です。特に企業の宣伝に力を入れたことが成功に繋がりました。また、彼は金利にこだわるべしと強く言っていました。

会社設立後

山崎晃嗣の戦略通り、「光クラブ」は急成長を遂げました。「光クラブ」は高利貸しであり、「人のものは自分のものだと思え」という社訓が掲げられていました。また、社訓には「人生はすべて劇場である」という言葉も含まれていました。 これは、山崎が物価統制令違反で逮捕された時に、記者に対しても語った言葉です。彼はこの時不起訴となりましたが「光クラブ」の信頼は大きく失墜してしまい、破滅へと向かうことになりました。

最期は服毒自殺

山崎晃嗣が逮捕されたことによって、「光クラブ」の債権者は出資金の返済を求めました。その金額は総計約3,000万円という高額なものであり、山崎は一度は返済することを約束しますが結局返済のめどを立てることができませんでした。 返済することができなくなったため、1949年11月24日に山崎は服毒自殺をしました。彼は遺書と通帳を遺しており、その文面から最期まで几帳面さを世間に植え付けて亡くなりました。

光クラブ事件の山崎晃嗣の著書『私は偽悪者』

山崎晃嗣の本が、彼の死後に『私は偽悪者』というタイトルで牧野出版から刊行されています。 2006年に刊行された本ですが、少し入手が難しいものです。彼が当時何を考えていたのか、また実際に「光クラブ」を設立した目的や詳しい人物像について知る上では欠かせない文献であることは間違いありません。彼と「光クラブ事件」に興味がある方は、ぜひ手に取ってみてください。

光クラブ事件のその後

「光クラブ」の会社メンバーの中には、「光クラブ事件」の後にもなお高利貸しとして働く者もいました。高利貸しとして働くことは山崎の一件で十分危険だとわかったはずなのに、なかなか旨味を忘れられなかったのでしょうか。 「光クラブ事件」が起こっても、高利貸しとしての危険性が十分に理解できなかったのかもしれません。メンバーの中には高利貸しとしての味を占めてしまった者もいたのでしょう。

まとめ

「光クラブ事件」は現役の大学生が起こしたことによって注目を集めた事件です。しかし、「光クラブ事件」は年齢や肩書きに関わらず重大な犯罪であったことになんら変わりはありません。 どのような経緯や心情によるものであったにせよ、「光クラブ事件」のような事件は二度と起こしてはいけません。

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