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袴田事件は凶悪な殺人放火事件。袴田巌の冤罪の疑いや真犯人の存在は?

もくじ

袴田事件は味噌の製造会社役員宅が放火され殺害された事件

1分でわかる袴田事件

  • 1966年に発生した強盗殺人放火事件で死刑判決が確定
  • 2014年3月27日に再審開始と刑の執行停止が決定
  • 2018年6月11日に高裁は再審請求を棄却し、最高裁に特別抗告中

「袴田事件」は1966年に起こった、味噌の製造会社役員とその家族に対する強盗殺人放火事件です。「袴田事件」については一度再審を経て無罪判決が出ましたが、最終的な決定には至っていません。 今回はいまだ真相が解明されない「袴田事件」について、解説します。

袴田事件の概要と経緯

「袴田事件」は、1966年6月に静岡県清水市(現在の清水区)で起こりました。有限会社王こがね味噌橋本藤作商店(現・株式会社富士見物産)の専務の自宅が延焼し、家族も含めて4名の被害者が出ました。そして、4名は殺されてから放火されたことがわかったのです。 ここでは「袴田事件」の事件概要と、犯人逮捕までの経緯を解説します。

焼け跡から4人の遺体が発見される

1966年6月30日の夜、静岡県清水市にある有限会社王こがね味噌橋本藤作商店の専務宅で火事が起こりました。その焼け跡から専務だけでなく、妻・二女・長男の遺体が発見されたのです。 その後の司法解剖の結果、焼死体として発見された4名はいずれも刃物による刺し傷が多数あることが判明します。そのため静岡県警は、殺人放火事件として捜査を開始しました。

長女のみ生き残る

事件当日、専務宅には長女も戻っていました。この長女は有限会社王こがね味噌橋本藤作商店の専務に勘当され、自宅を離れて暮らしていました。しかしこの日は、久しぶりに実家を訪れていたのです。 しかし長女は母屋で眠ることはなく、別棟で休んでいました。そのため、長女だけが生き残ることができたのです。

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袴田事件は味噌の製造会社役員宅が放火され殺害された事件

  • 1966年に発生した強盗殺人放火事件で死刑判決が確定
  • 2014年3月27日に再審開始と刑の執行停止が決定
  • 2018年6月11日に高裁は再審請求を棄却し、最高裁に特別抗告中

「袴田事件」は1966年に起こった、味噌の製造会社役員とその家族に対する強盗殺人放火事件です。「袴田事件」については一度再審を経て無罪判決が出ましたが、最終的な決定には至っていません。 今回はいまだ真相が解明されない「袴田事件」について、解説します。

袴田事件の概要と経緯

「袴田事件」は、1966年6月に静岡県清水市(現在の清水区)で起こりました。有限会社王こがね味噌橋本藤作商店(現・株式会社富士見物産)の専務の自宅が延焼し、家族も含めて4名の被害者が出ました。そして、4名は殺されてから放火されたことがわかったのです。 ここでは「袴田事件」の事件概要と、犯人逮捕までの経緯を解説します。

焼け跡から4人の遺体が発見される

1966年6月30日の夜、静岡県清水市にある有限会社王こがね味噌橋本藤作商店の専務宅で火事が起こりました。その焼け跡から専務だけでなく、妻・二女・長男の遺体が発見されたのです。 その後の司法解剖の結果、焼死体として発見された4名はいずれも刃物による刺し傷が多数あることが判明します。そのため静岡県警は、殺人放火事件として捜査を開始しました。

長女のみ生き残る

事件当日、専務宅には長女も戻っていました。この長女は有限会社王こがね味噌橋本藤作商店の専務に勘当され、自宅を離れて暮らしていました。しかしこの日は、久しぶりに実家を訪れていたのです。 しかし長女は母屋で眠ることはなく、別棟で休んでいました。そのため、長女だけが生き残ることができたのです。

味噌製造会社の従業員の袴田巌の家で血痕の付着した衣服が発見される

捜査を進めていた静岡県警は1966年7月4日に、味噌の製造工場と工場内にある従業員寮を捜索しました。その際、従業員の一人である袴田巌(はかまだいわお)の部屋でごく少量の血痕がついているパジャマを発見します。 それをきっかけに、静岡県警は袴田に疑いの目を向けるようになります。袴田が元プロボクサーで素行が悪く、アリバイがないことも疑念を深める要素となったのです。

袴田巌が逮捕される

1966年8月18日、静岡県警は袴田巌容疑者の逮捕に踏み切りました。容疑は「強盗殺人」「放火」「窃盗」の3つです。 袴田容疑者は逮捕後、一貫して容疑を否認し続けます。しかし逮捕から1カ月になろうかという時、犯行を自白しました。 この自白をした取り調べに同席した巡査部長が、「袴田が泣きながら告白した。」と話した記録が残っています。しかしこれが捏造(ねつぞう)であることが、その後に明らかになるのです。

 

袴田事件の過酷な取り調べと判決

1966年11月15日に静岡地裁で始まった第1回公判で、袴田巌被告は起訴事実を全面的に否認します。そしてその後は「自白を強要された。」として、一貫して無罪を主張し続けました。 そのため裁判では自白の信ぴょう性が争点となり、その過程で過酷な取り調べ状況が明らかになるのです。ここでは取り調べの状況と判決について、解説します。

自白を強要され、起訴される

袴田巌被告は裁判の中で、自白を強要され起訴されたと主張します。1966年8月18日に逮捕されてから、同年9月6日に自白するまで19日間63回の取り調べが行われていたのです。その取り調べ時間は、299時間16分にも及んでいます。 さらに炎天下での取り調べが1日平均12時間、長い時には17時間も行われていました。取り調べ中はトイレにも行かせず取調官の前で垂れ流しさせたほか、泥酔者の隣の部屋に収容し安眠妨害していました。 こうした状況から逃れるために自白をしたと、袴田被告は述べています。

【関連記事】後に冤罪であることが証明された事件はこちら

最高裁による死刑判決が下される

1968年9月11日に結審した第一審で袴田巌被告に下された判決は「死刑」でした。被告側は控訴しましたが、1976年5月18日に控訴棄却の判決が下ります。 被告側はすぐに上告し1980年11月19日に最高裁は上告を棄却します。それでも被告側は諦めず、同年同月28日に判決訂正申立を行いましたが認められませんでした。 これにより袴田被告の死刑が確定したのです。

検察による証拠の捏造の可能性

袴田巌被告は死刑確定後も無罪を主張し、弁護団と共に何度かの再審請求を行いました。1981年4月20日に行った第一次再審請求は2008年3月24日に棄却されましたが、2008年4月25日の第二次再審請求になると流れが変わります。 2013年に検察側が証拠を開示したことで、供述を捏造していた可能性が浮上したのです。ここでは検察による証拠の捏造について、説明します。

DNA鑑定の結果DNAの不一致が判明

袴田巌被告の第二次再審請求審が行われていた2011年8月、静岡地裁は犯行当日に身につけていたとされる衣類を再鑑定すると決めました。 これを受けて2013年の3月・4月・7月の3回にわたり、検察が証拠の一部を開示していました。 弁護団は犯行当時身につけたいたとされる5点の衣類に残っていた血液のDNA鑑定を行いました。すると衣類に残されていた血液が袴田被告のものではないという鑑定結果が出たのです。

袴田巌は2014年3月に釈放された

証拠である衣類の血液と袴田巌被告のDNAが不一致だったことは、マスコミでも大きく報道されました。その結果、2014年3月27日に静岡地裁が再審を決定したのです。 そして同日静岡地裁は、袴田被告に対する死刑と拘置の執行を停止することを決めます。そのため袴田被告は、収監先から釈放されたのです。 その時には1966年の逮捕から、すでに48年近くが経過していました。

袴田巌の保釈の次の日長女が自殺

2014年3月27日に袴田巌が釈放されたことにより、冤罪であるという見方が強まりました。そこで真犯人ではないかと注目を集めたのが、ただ一人生き残った被害者の長女だったのです。 真犯人が被害者の長女ではないかといわれた背景には、被害者から勘当されていたにも関わらず事件当日に久しぶりに帰宅していたことがありました。 また犯行当日の着衣とされていたパジャマが袴田巌には小さかったことも、疑惑の目が向けられる容易になったようです。 しかし長女は袴田釈放の翌日である2014年3月28日に、自宅で亡くなっているのが発見されました。警察は事件性がないと発表したこともあり、罪を苦にした自殺したのではないかという説がささやかれたのです。

袴田巌は最も長く収監されていた死刑囚としてギネス登録

袴田巌は1966年8月18日に、静岡県警に逮捕されました。それ以降2014年3月27日に釈放されるまで、約48年間収監されていたのです。 中でも東京拘置所には45年以上収監・拘束されており、これが「世界最長収監」としてギネス世界記録に認定されたのです。 長期収監は袴田の心を蝕み、心身喪失状態に陥ってしまいました。そのため2009年からは、姉が保佐人となって再審請求を行っています。

袴田厳は令和の新天皇即位に際し恩赦を出願した

袴田厳は令和の新天皇即位に際し、恩赦を出願しました。 最近の恩赦は交通違反などの軽い犯罪に適用される傾向にあり重大な犯罪の場合に適用される可能性は低いです。 袴田厳の恩赦に関しては今後の動向に注目です。

まとめ

「袴田事件」について解説してきましたが、事件はまだ終わっていません。2018年6月11日に東京高裁が地裁決定を覆し、再審請求を棄却したからです。その根拠は「弁護団が提出したDNA鑑定の結果に科学的な疑問が残り、信ぴょう性に欠ける」というものでした。 しかし袴田巌の年齢と病状を鑑み、釈放取り消しには至っていません。この事件を教訓に警察による取り調べの透明性確保が望まれています。

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