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ゴイアニア被曝事故は約250人が被害にあった被爆事故。セシウム137の影響や事故原因とは?

もくじ

1分でわかるゴイアニア被曝事故

  • ゴイアニアの被爆事故は放射線医療機器の盗難事件から始まった
  • セシウム137と知らずに持ち歩き被害が拡大・249人が被爆、4人が死亡
  • 広範囲の汚染調査と除染作業・被爆者への差別や農産物の不買運動が起きる

ゴイアニア被曝事故の概要

1987年9月廃院跡地に放棄されていた放射線医療機器を盗み出した男2人がこれを解体し廃品業者に売り渡したことで放射能汚染事故は起こりました。 4人が死亡、249人が被爆したゴイアニア被爆事故とはどのようなものだったか、また被害者達が受けた被爆差別が如何に酷いものだったのか、この記事では被爆事故の概要について解説します。

1987年にブラジル・ゴイアニア市で起きた原子力事故

事故は首都ブラジリアンの南西210kmに位置する緑豊かな都市ゴイアニア市で起きました。 市内にある民間放射線治療病院が廃院となり、建物内に放置されていた放射線治療装置の回転照射体が高値で売れると思った男らに運び出されました。 自宅に持ち帰った男らには下痢や目まいなどの異常が見られるようになりますが、線源容器の解体に成功した2人は直ぐに金に換えようと廃品業者に売り払いに出かけます。買い取った廃品業者は倉庫で光るセシウム137に魅了され自宅に持ち帰ることにしました。

249人が被曝、4人が放射線障害で死亡

廃品業者は光る粉末状のセシウム137を家族や親類、隣人に見せびらかし、それを見た多くの人が手で触れたり体に塗りつけたりして楽しみました。 粉末状になっていたセシウム137は家族や親類、隣人が持ち運ぶ際に風などで飛び散り、その粉が付着した人や動物などが移動することで汚染範囲は広がっていきました。 次第に体調不良を訴える人が現れ、ゴイアニア公衆衛生局は放射能汚染と判断します。計112,000人が検診を受け、内249 人が体内外に被爆があると認められ、4 人が放射線障害で死亡しました。

ゴイアニア被曝事故の経緯

この被爆事故は、放射性物質が入った機器が放置されていたことで簡単に盗み出すことができたということが事故の最大の原因でした。廃院の跡地から運び出されたセシウム137を危険な放射性物質と知らない人が持ち歩いたことで被害は拡大しました。 ここからはこの多くの被害者を出した被爆事故がどのように発覚し、州や市、ゴイアニア公衆衛生局は事故にどう対応しようとしたのか見ていきましょう。

廃院になった病院から放射線治療装置が盗まれる

ゴイアニア市内にある民間の放射線治療クリニックが廃院となり、建物内にあった放射線治療装置が盗み出されました。犯行の時期は特定されていませんが9月10~13日の間と推測されています。 当時この放射線治療装置は処分を巡ってゴイアニア市と病院側で話し合いが行われており、いくつかの放射線治療装置と一緒に放置されていました。 盗み出した若者らは持ち運べる大きさまで装置を解体し、セシウム137の粉末が充填されている回転照射体を取り出し持ち去りました。

放射線源格納容器から顆粒状のセシウム137を取り出す

若者らは回転照射体を自宅に持ち帰りました。2人には下痢や嘔吐などの症状が出ていましたが、比較的症状が軽い一人が容器の解体に取り掛かりました。 若者が線源容器に穴を開けることに成功しますが、この時に漏れ出した放射性物質は目に見えない微細なものだったため、若者はセシウム137による放射能汚染が始まったことに気づきませんでした。 若者はそのままの状態で線源容器を廃品業者に持ち込みました。廃品業者は倉庫の中で光る粉末状のセシウム137を見て、高価な物と思い自宅に持ち帰りました。

セシウム137と知らずに、それを家族や友人に配る

廃品業者は光る粉末状のセシウム137を家族や親類、隣人に見せびらかし、それを見た多くの人が手で触れたり体に塗りつけたりして楽しみました。 従業員は粉末状のセシウム137を親戚や知人に配ってまわり、貰った人達もその粉が危険な放射性物質とは気づきませんでした。 やがて廃品業者の家族全員が体調不良を起こし始め、その症状は日に日に悪化していきました。廃品業者の妻が光る粉末(セシウム137)が原因と思い、プラスチック容器に入れて公衆衛生局に持ち込みました。

セシウムと判明し事故が発覚する

ゴイアニア公衆衛生局は流行している風土病やアレルギーの類ではないかと診断しました。しかし別の医師が放射性皮膚炎ではないかと疑い、市の公衆衛生部と州の環境局に問い合わせました。 すると同じような症状を訴える患者が多数出始めており、市の公衆衛生部らが医師からの相談を受けていることがわかりました。 深刻な事態が起きていると判断した公衆衛生部と州の環境局が放射線医学専門医に測定を依頼したところ、2つの測定器が測定限界を超えたため、放射線医学専門医はゴイアニア市に放射線被爆事故が起きていると伝えました。

ゴイアニア被曝事故のその後

ゴイアニア市内で被爆事故が起きていることが分かると環境モニタリングが行われました。全ての汚染源を推定するために汚染発覚時から長期に渡って行われました。 被爆被害者のゴイアニア住民は事故発覚からどのような扱いを受けたのでしょうか。大勢の被爆被害者を出した事故のその後の様子ついて見ていきましょう。

周辺住民が避難し計測が行われる

ゴイアニアの住民の殆どが一時的にオリンピックスタジアムに隔離されました。ブラジル原子力委員会は市民が強い放射線から離れることで少しでも被爆量を減らせると考えたのです。 環境モニタリングは全ての汚染源を推定するために、第一段階として湿度の高い気象条件の時にヘリコプターや自動車を使い測定しました。 測定は広範囲で行われ、ヘリコプターは67平方キロメートル、自動車は2,000km以上の道路で行われました。

4人が立て続けに死亡する

被爆者と思われる112,000人が放射線計測を受け、体内外被爆があることが分かった249人のうち、20人が入院治療の必要があると診断されました。 このうち4人が立て続けに敗血症などの急性障害で死亡しました。死亡したのは廃品業者の6才の姪、38才の妻、22才と18才の従業員の男性でした。 これらの人と同程度に被爆した2人は助かりましたが、1人は腕の半分を切断しなければなりませんでした。

ゴイアニア被曝事故の影響

ブラジルの関係機関はIAEAに事故の報告を行い、放射能汚染事故における援助を要請しました。ゴイアニアの人達は風評被害や被爆被害者差別を受けるようになり、心理的にも経済的にも圧迫され続けました。 被爆事故のあとに起きたゴイアニア周辺の農産物などの不買運動や事故の再発防止策など、ゴイアニア被爆事故の影響やその後の政府の対応について見ていきましょう。

ブラジルの農産物や工業製品の価格が下落

放射能汚染事故後の経済的な影響はブラジル全土に及びました。農産物や工業品の価格が風評被害によって下落し、農産物の価格は事故前の平均の50%減、工業製品は40%減まで下がりました。 ブラジルの州や市はこれらの不買運動で経済的なダメージを受けただけでなく、ゴイアニア市周辺の除染処理にも多くの経費が掛かり財政を圧迫しました。 またゴイアニア市周辺の人は非汚染証明書の携帯が必要になり、それがなければホテルに泊まることもタクシーに乗ることもできないといった状況が続きました。

放射線照射装置の取り扱いの厳重化

この事故の原因となった放射線照射装置の盗難事件では、廃病院に機械が放置されていたことが大きな問題でした。 放置する期間が長くなればそれだけ機械の腐食も進んでしまい、中の放射能物質が外部に漏れ出す怖れが高まります。 また、事件を起こした2人は貧しい地域で暮らしており、そうした地域では放射線照射装置のような機械を放置することは特に危険です。万一テロ組織などの手に渡っていたら、もっと恐ろしい事態になったいたかもしれません。

放射性物質の恐怖を改めて植え付ける結果に

ゴイアニアの事件では放射線照射装置の取り扱いが杜撰(ずさん)だったとして、州や市、病院関係者の責任も問われました。放射能汚染の被害は非常に深刻で、その地域のみならず国全体の経済にも影響を与えます。 事故後にはゴイアニアの人が差別を受けるという二次被害も長く続き、世界中の国が放射性物質の厳格な管理と汚染事故の怖さを改めて知らされた事故でした。

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