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フライデー襲撃事件の全貌。当時のビートたけしやたけし軍団、事件が与えた影響とは。

もくじ

1分でわかるフライデー襲撃事件

  • ビートたけしが後輩たちを連れフライデーを襲撃
  • ビートたけしらが芸能活動を自粛
  • フライデー事件後にBIG3と呼ばれる

フライデー襲撃事件の経緯

「フライデー襲撃事件」とは若かりし頃のビートたけしが後輩たちを連れ、フライデー(講談社)の本社を襲撃した事件のことです。この事件によりビートたけしは人気絶頂の最中芸能活動を自粛します。 人気絶頂の最中に起こした事件だっただけに、メディアでも大きく取り上げられ世間を騒然とさせました。襲撃理由としては、フライデー側の執拗な取材に対しての報復だったのです。 しかしながらビートたけしは復帰後さらに人気を上げ、さんま・タモリとともにお笑い界のBIC3と呼ばれるようになるのです。

フライデー襲撃はビートたけしが人気絶頂時に起こした

1986年に起きた事件ですが、その当時のビートたけしは人気芸人として脚光を浴びていました。そんな時の人が起こした暴力事件にマスコミは大きく食いつき、一斉にメディアで拡散されたのです。 新聞では一面を飾り、テレビでは連日事件について報道されました。 「フライデー側が悪い。」「いき過ぎた取材をした報いだ。」というビートたけしを擁護する意見や、「なにがあっても暴力はいけない。」「もっと大人の対応をするべきだ。」と非難する意見と真っ二つに世論が分かれることとなりました。

ビートたけしの交際女性へのフライデーの執拗な取材に対する報復

フライデー襲撃事件の動機としては、当時ビートたけしが交際していた女性に対してフライデー記者が執拗な取材を行い、交際女性に怪我を負わせたことが原因です。 取材を断った彼女に対して強引に立ちふさがり、テープレコーダーを顔に押し付けたり、手を掴んで引っ張るなどの行為をしました。 それにより交際女性は腰部捻傷、頸部捻挫で全治2週間の怪我を負ってしまったのです。そのことを知ったビートたけしは怒りが収まらずフライデーを襲撃しました。

フライデー襲撃事件の内容

フライデー襲撃事件は夜に起きました。ビートたけしは襲撃する前にフライデー(講談社)に抗議の電話をしたのですが、話がまとまらずしびれを切らしたのです。 集めれるだけの後輩芸人(たけし軍団)を集め、揃った後に乗り込んだことから事件の時刻が夜になりました。襲撃後はその場で警察に取り押さえられ、たけし軍団は現行犯として逮捕されました。

フライデー襲撃事件は夜の未明に発生

フライデー襲撃事件は深夜3時頃に起きました。理由としては後輩たち(たけし軍団)を集めるのに時間がかかったからで、「自分1人では乗り込む勇気がなかった。」と後日供述しています。 ビートたけしは元々、暴力を振るうつもりはなく話し合いをする予定でした。集めたたけし軍団にも「絶対に手を出すな!」と襲撃前に釘を刺していたのです。 しかし話し合いもうまくいかず、フライデー側の挑発的な態度もあり熱くなってしまったたけし軍団は暴力行為をしてしまいます。

ビートたけしらは現行犯で逮捕

乱闘騒ぎになってからすぐに警察が現場を収めるために突入してきます。そこでビートたけしをはじめとするたけし軍団11名は現行犯で逮捕されます。 すぐに警察が来たのには理由があり、フライデー(講談社)の横には警察署があり、通報を受けた瞬間に警察官が来ることができたのでした。 このことを知らなかったビートたけしは「すぐ隣が警察署って、コントかよ~。」と事件を振り返ってコメントを残しています。

フライデー襲撃事件の参加メンバー

フライデーの襲撃メンバーとしてたけし軍団の中でも有名なのが、東国原英夫(当時の芸名:そのまんま東)・ダンカン(当時の芸名:ふんころがし)・ガダルカナル-タカです。 一方たけし軍団なのに参加しなかったのが、ラッシャー板前・井手らっきょ・つまみ枝豆でした。

そのまんま東、大森うたえもんなどが参加した

「フライデー襲撃事件」に関わったたけし軍団が以下のメンバーです。 ・東国原英夫(当時の芸名:そのまんま東) ・大森うたえもん ・ガダルカナ・タカ ・ダンカン(当時の芸名:ふんころがし) ・松尾伴内 ・柳ユーレイ ・グレート義太夫 ・大阪百万円 ・キドカラー大道 ・水島新太郎 ・サード長嶋 合計11名でフライデー(講談社)に乗り込みました。当時の水島新太郎は、未成年だったこともあり「少年A」という名で報道されました。

つまみ枝豆は参加しなかった

たけし軍団なのにフライデー襲撃に参加しなかったのが以下の3名です。 ・つまみ枝豆 ・ラッシャー板前 ・井手らっきょ つまみ枝豆は芸人になる前に過激派の政治活動団体に所属していた過去があり、ビートたけしが「呼ぶと面倒なことになるから」と連絡をしませんでした。ラッシャー板前はその当時、病気で入院しており参加できる状況ではなかったのです。井手らっきょは友人と会っていたため連絡がつかず、参加することができませんでした。

連行される際、ビートたけしは軍団に名言を語った

自らたけし軍団を集めフライデー(講談社)に乗り込んだビートたけしですが、まさかここまで大ごとになるとは思っておらず、特に迷惑をかけた後輩たちにとても負い目を感じていました。 警察に連行される際にたけし軍団に向かって「悪かったな、おまえら。おまえらの面倒は一生見るから。おれ、土方してでも、おまえらを絶対食わせるからな。」と語りました。 ビートたけしの男気やカリスマ性を感じます。

フライデー襲撃事件の影響

人気絶頂中の芸能人が起こした暴力事件ということもあり、事件後の影響は凄まじいものでした。 被害者側の講談社は記者会見にてビートたけしを激しく非難し、ビートたけしの所属事務所(太田プロ)は事件関係者の芸能活動を自粛させざるをえない状況になったのです。 また多くのテレビ番組に出演していたビートたけしがテレビから姿を消すことに肩を落とす視聴者もたくさんいました。

講談社は事件後の記者会見でビートたけしらを非難

襲撃されたフライデー(講談社)は事件の詳細を説明するために記者会見を開きます。 その場にて「言論・出版の自由を脅かす暴挙に対して、断固たる態度で臨む。」とコメントし、暴力行為をしたビートたけしを激しく非難しました。 またその記者会見にて実際に負傷したところを公開することにより、世間も味方につけることに成功したのです。これにより世間もビートたけしを非難する声が多くなりました。

所属事務所はビートたけしらの芸能活動自粛を発表

フライデー襲撃後に逮捕されたビートたけし達ですが、すぐに釈放されます。しかし世論の非難を受け芸能活動を自粛せざるをえない状況になります。 事件後の記者会見を最後にビートたけしたちは、半年間まったくメディアに出なくなります。その後たけし軍団は活動を再開しますが、ビートたけしは傷害罪で懲役6カ月(執行猶予2年)の判決を受けます。 たけし軍団はビートたけしが全責任を追うことにより、起訴猶予処分となり罪に問われることはありませんでした。

多くのビートたけしの出演番組に影響を与えた

超人気芸人が突然テレビからいなくなることで、視聴者はがっくりと肩を落としました。 また出演番組もたくさん持っており、その穴埋めに奔走することになったテレビ関係者もとても苦労したのです。 さらには自粛期間が終了したたけし軍団がメディアに登場すると「なぜ、あんな暴力集団をテレビに出演させるんだ。」とクレームの声が入り、事件が終わった後にも多大な影響を与えました。

フライデー襲撃事件後のビートたけし

「フライデー襲撃事件」後のビートたけしは、芸能人として失速するかと思われましたが、そこからさらに人気芸人として活躍していきます。事件があったフライデー側とも和解し、今では笑い話としてエピソードトークすることもあるくらいです。 この芸能活動復帰後の仕事が、後にお笑い界のBIC3と呼ばれることになる、さんま・タモリとのトークコーナーでした。

フライデーとは和解

事件後は揉めていた両者ですが、ビートたけしが芸能界に復帰後は和解をしており、ビートたけし自身も以下のコメントを残しています。 「何年後にはまぬけなお笑い事件になってる。」「20年後には両方とも笑われもの。」「そもそも当時の日本がすごいバカにされると思う。」 予言通りになっているのがビートたけしの本当に凄いところです。

復帰後、ビートたけしはBIG3の1人としてさらに活躍

芸能活動復帰後の最初の仕事が「FNSスーパースペシャル 一億人のテレビ夢列島」という番組で後に「FNS27時間テレビ」となる番組です。 そのワンコーナーでさんま・タモリと一緒にトークすることになり、これがお笑い界のBIC3が誕生した瞬間だといわれています。 またビートたけしは「フライデー襲撃事件」をきっかけに所属事務所を辞め「オフィス北野」を立ち上げ、ますます芸能界で活躍します。

襲撃事件後のビートたけしの活躍

お笑い界のBIG3といわれるビートたけしですが、若い頃は血気盛んで襲撃事件を起こしていました。 しかしその襲撃事件でさえも糧にし、芸能人として成功を収めたビートたけしはまさにカリスマです。お笑い芸人としてだけでなく、映画監督でも成功し、「世界のキタノ」と呼ばれるようになります。

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