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富士見産婦人科病院事件は健康な女性から子宮を摘出した乱診乱療事件。

もくじ

1分でわかる富士見産婦人科病院事件

富士見産婦人科病院事件とは

  • 1980年に埼玉県内の産婦人科病院による乱診乱療が発覚
  • 医師免許のない理事長が診察を行い健康な子宮や卵巣を切除
  • 摘発後に被害者同盟が結成され、刑事・民事共に争われた

富士見産婦人科病院事件の概要

(画像:Unsplash

この事件は同院で子宮がんを宣告された妊婦が診断結果に疑問を持ち、セカンドオピニオンを求めて別の病院の診察を受けて判明しました。その妊婦の子宮にはがんなどなく、誤診と呼べるようなレベルの診断ではありませんでした。そのため、事件が発覚します。 その妊婦は事なきを得たものの、既に多数の女性が健康な子宮や卵巣を摘出されていたことが明らかになります。ここでは恐ろしい事件の概要について、詳述します。

1980年に起きた乱診乱療事件

1980年9月、産婦人科病院の経営者が起こした乱診乱療によって多数の健康な母体が傷つけられていたことが発覚しました。 事件の舞台となった富士見産婦人科病院は、一流ホテルのような内装に美容室やアスレチック室、ラウンジのある施設が人気でした。そのため埼玉県外からも、多くの患者を集めていたといいます。 しかし所沢市内では事件発覚前から、「富士見産婦人科病院はでたらめな治療をしている」と噂されていたようで、富士見産婦人科病院を避ける人も少なくはなかったようです。

健康な子宮や卵巣の摘出手術が行われた

富士見産婦人科病院には当時まだ珍しかった、超音波検査装置が設置されていました。その装置を使って超音波検査を行っていたのが理事長でした。 検査を受けた女性に対し理事長は、恐怖を煽るような言葉で子宮や卵巣の摘出手術をすすめていました。「子宮が腐っている」「卵巣がぐちゃぐちゃになっている」などのでたらめかつ強烈な表現によって手術を受けさせたのです。 しかし「富士見産婦人科病院事件」発覚後の捜査により、その大半が健康な子宮並びに卵巣だったことが判明します。

理事長が医師免許を持たずに治療した

1980年9月11日に富士見産婦人科病院の理事長が逮捕された理由は、「医師法違反」でした。超音波検査により患者に病名を告げていた理事長は、医師免許を持たずに診察していたということです。 理事長は意思を装って超音波検査を行い、多くの患者に「子宮筋腫」「子宮がん」「卵巣のう腫」「卵巣がん」といった診断名を告げていました。 それを受けて富士見産婦人科病院の医師が手術を担当しましたが、理事長の診断が覆ることはありませんでした。

摘出した子宮をホルマリンに漬けて保存していた

「富士見産婦人科病院事件」で子宮や卵巣を摘出された女性は、1,000人近いと言われています。 そして理事長は摘出された子宮をホルマリン漬けにして、自宅に保存していました。それは観賞用として飾られていたそうです。 後の捜査で理事長宅に飾られていたホルマリン漬けの子宮が、健康なものだったことも明らかとなります。

富士見産婦人科病院事件のその後

(画像:Unsplash

1980年9月20日に「富士見産婦人科病院被害者同盟」が結成されました。そして富士見産婦人科病院の理事長並びに院長を、傷害罪で告訴します。 しかしそれは、被害者にとって険しい道のりの始まりでした。ここでは「富士見産婦人科病院事件」のその後について、詳述します。

傷害罪は不起訴

富士見産婦人科病院被害者同盟による刑事告訴を受け1980年11月17日、埼玉県警は院長並びに病院の医師5名を医師法違反幇助(ほうじょ)罪容疑で逮捕しました。 1981年11月30日に朝日新聞が、事件発覚後に押収された40名の臓器の大半は摘出する必要がなかったことをスクープします。そして1982年3月14日に埼玉県警は、勤務医2名を傷害罪で書類送検しました。 しかし1983年8月19日に埼玉地検が「富士見産婦人科病院事件」で立件された傷害罪すべてを、不起訴処分とします。

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1分でわかる富士見産婦人科病院事件

  • 1980年に埼玉県内の産婦人科病院による乱診乱療が発覚
  • 医師免許のない理事長が診察を行い健康な子宮や卵巣を切除
  • 摘発後に被害者同盟が結成され、刑事・民事共に争われた

富士見産婦人科病院事件の概要

この事件は同院で子宮がんを宣告された妊婦が診断結果に疑問を持ち、セカンドオピニオンを求めて別の病院の診察を受けて判明しました。その妊婦の子宮にはがんなどなく、誤診と呼べるようなレベルの診断ではありませんでした。そのため、事件が発覚します。 その妊婦は事なきを得たものの、既に多数の女性が健康な子宮や卵巣を摘出されていたことが明らかになります。ここでは恐ろしい事件の概要について、詳述します。

1980年に起きた乱診乱療事件

1980年9月、産婦人科病院の経営者が起こした乱診乱療によって多数の健康な母体が傷つけられていたことが発覚しました。 事件の舞台となった富士見産婦人科病院は、一流ホテルのような内装に美容室やアスレチック室、ラウンジのある施設が人気でした。そのため埼玉県外からも、多くの患者を集めていたといいます。 しかし所沢市内では事件発覚前から、「富士見産婦人科病院はでたらめな治療をしている」と噂されていたようで、富士見産婦人科病院を避ける人も少なくはなかったようです。

健康な子宮や卵巣の摘出手術が行われた

富士見産婦人科病院には当時まだ珍しかった、超音波検査装置が設置されていました。その装置を使って超音波検査を行っていたのが理事長でした。 検査を受けた女性に対し理事長は、恐怖を煽るような言葉で子宮や卵巣の摘出手術をすすめていました。「子宮が腐っている」「卵巣がぐちゃぐちゃになっている」などのでたらめかつ強烈な表現によって手術を受けさせたのです。 しかし「富士見産婦人科病院事件」発覚後の捜査により、その大半が健康な子宮並びに卵巣だったことが判明します。

理事長が医師免許を持たずに治療した

1980年9月11日に富士見産婦人科病院の理事長が逮捕された理由は、「医師法違反」でした。超音波検査により患者に病名を告げていた理事長は、医師免許を持たずに診察していたということです。 理事長は意思を装って超音波検査を行い、多くの患者に「子宮筋腫」「子宮がん」「卵巣のう腫」「卵巣がん」といった診断名を告げていました。 それを受けて富士見産婦人科病院の医師が手術を担当しましたが、理事長の診断が覆ることはありませんでした。

摘出した子宮をホルマリンに漬けて保存していた

「富士見産婦人科病院事件」で子宮や卵巣を摘出された女性は、1,000人近いと言われています。 そして理事長は摘出された子宮をホルマリン漬けにして、自宅に保存していました。それは観賞用として飾られていたそうです。 後の捜査で理事長宅に飾られていたホルマリン漬けの子宮が、健康なものだったことも明らかとなります。

富士見産婦人科病院事件のその後

1980年9月20日に「富士見産婦人科病院被害者同盟」が結成されました。そして富士見産婦人科病院の理事長並びに院長を、傷害罪で告訴します。 しかしそれは、被害者にとって険しい道のりの始まりでした。ここでは「富士見産婦人科病院事件」のその後について、詳述します。

傷害罪は不起訴

富士見産婦人科病院被害者同盟による刑事告訴を受け1980年11月17日、埼玉県警は院長並びに病院の医師5名を医師法違反幇助(ほうじょ)罪容疑で逮捕しました。 1981年11月30日に朝日新聞が、事件発覚後に押収された40名の臓器の大半は摘出する必要がなかったことをスクープします。そして1982年3月14日に埼玉県警は、勤務医2名を傷害罪で書類送検しました。 しかし1983年8月19日に埼玉地検が「富士見産婦人科病院事件」で立件された傷害罪すべてを、不起訴処分とします。

無資格治療で起訴

1980年9月11日に医師法違反で逮捕された理事長は、その後無資格で治療したとして起訴されました。そして院長もまた、保助看法違反として起訴されています。 起訴された理事長と院長の裁判が結審したのは、1988年1月29日のことです。理事長には懲役1年6ヶ月(執行猶予4年)、院長には懲役8ヶ月(執行猶予3年)の有罪判決が下りました。 浦和地裁での判決後に被告側が控訴していましたが、東京高裁でも地裁判決を支持したため刑が確定しました。

元患者が賠償を求めて民事訴訟を起こす

富士見産婦人科病院被害者同盟は理事長・院長・勤務医を傷害罪で告訴する一方で、損害賠償を求めて民事訴訟を起こしました。また埼玉県と国も、告訴の対象でした。 富士見産婦人科病院被害者同盟は、健康な子宮や卵巣を摘出したことに対する賠償金として約14億円の支払いを求めます。東京地裁で結審したのは2008年6月30日で、病院側に5億4000万円の支払いを命じました。 理事長と院長並びに勤務医の1名は控訴を断念し、富士見産婦人科病院被害者同盟と和解します。残る4名は最高裁まで争いますが、2004年7月に上告が棄却され賠償金の支払いを命じられました。

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富士見産婦人科病院の北野早苗理事長と北野千賀子院長

「富士見産婦人科病院事件」で逮捕されたのは、理事長と院長の2名です。理事長は北野早苗容疑者、院長は北野千賀子容疑者で夫婦関係にありました。 その後の報道で、理事長が様々な政治家に献金を行っていた事実も明るみになりました。ここでは、富士見産婦人科病院の理事長・院長であった2人のその後について詳述します。

院長の医師免許が剥奪

保助看法違反として起訴された富士見産婦人科病院の院長だった北野千賀子容疑者は、1981年に医業停止6ヶ月の処分を受けています。しかし院長を含めた富士見産婦人科病院の医師たちは、傷害罪に問われることはありませんでした。 富士見産婦人科病院被害者同盟は、その後も厚生省並びに厚生労働省へ訴え続けました。1999年8月30日には医道審議会の場で、院長を含む医師たちの免許を剥奪するよう要望書を提出しています。 そして民事訴訟の結審を受け2005年3月2日に医道審議会分科会は、北野千賀子元院長の医師免許取り消しを決定します。北野千賀子元院長は免許取り消し無効の裁判を起こしましたが、2013年6月27日に訴えを退けられました。

理事長の政治的献金が発覚

北野早苗元理事長は不適切な医療行為により得た金を、政治献金として利用していたと報道されています。 北野早苗元理事長から政治献金を受け取ったとされたのは、当時の斎藤邦吉厚生相・渋谷直蔵元自治相・清水徳松社会党衆院議員・山口敏夫新自由クラブ幹事長などとそうそうたる顔ぶれでした。 さらに献金先として国家公安委員長・所沢市長・県会議員・会議員・共産党議員の名前もあがり、事件をもみ消すために賄賂を送ったに違いないと批判が集中しました。

理事長著作の本を出版

2001年に東京出版社から「捏造『富士見産婦人科事件』」という書籍が出版されました。著者は、北野早苗元理事長です。 北野早苗元理事長はこの著作の中で、マスコミの捏造の報道により病院が倒産に追い込まれたと主張しました。中には「富士見産婦人科事件」が捏造だと主張する寄稿記事を発表した医師もいます。 しかし本を出版した後も、「富士見産婦人科事件」に対する世間の意識が変わることはありませんでした。

富士見産婦人科病院の現在

「富士見産婦人科事件」では理事長や院長だけでなく、勤務していた医師まで刑事告訴される事態となりました。公判中にマスコミによる追加報道もあり、世間からより厳しい目が向けられることとなります。 ここでは富士見産婦人科病院の現在について、詳述します。

富士見産婦人科病院はすでに廃業

「富士見産婦人科事件」の発覚を受けて埼玉県は、1980年12月3日に病院と勤務する医師に対し「保健医療機関」と「保険医登録」の取り消し処分を科しました。 その結果として病院は休止を余儀なくされ、やがて破産してしまいます。これにより富士見産婦人科病院は、廃業しました。 病院の建物は競売にかかり、その後に取り潰されています。

産科婦人科の病院を新たに建設

富士見産婦人科病院は廃業、倒産に追い込まれましたが事件後に元理事長と元院長はその後に埼玉県所沢市に新しいクリニックを開業しました。 「チェリイクリニック」と「スコットレディースクリニック」の2つです。そこで2名は、2005年まで診療にあたっていたそうです。 しかし噂はすぐに広まり患者数は伸び悩み、すでに閉業してしまっていると考えられます。

まとめ

被害者との和解が成立するまで30年以上の時間を要したのが富士見産婦人科病院事件です。 鑑定結果により違法性が認められた時には、すでに傷害罪の公訴時効が成立するなど後味の悪い事件でした。被害にあわないよう、重病だと告げられた時にはセカンドオピニオンを求めるなど患者側の意識も変える必要があることを認識させられる事件でした。

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