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恵庭事件は自衛隊の憲法論争に発展した事件。裁判の判決は「肩透かし」か。

もくじ

1分でわかる恵庭事件

恵庭事件の要点

  • 酪農家兄弟が自衛隊の通信回線を切断
  • 自衛隊の違憲性が法廷での争点
  • 無罪判決に「肩透かし判決」と評価

「恵庭事件」とは軍事演習に伴う騒音被害に抗議する目的で、北海道の酪農家兄弟が自衛隊所有の通信回線を切断した刑事事件であり、自衛隊の違憲性が法廷で争われたことで注目を集めました。 しかし、札幌地裁は自衛隊の違憲性に踏み込むことなく、通信回線は自衛隊法121条に規定する「防衛に使用するもの」に該当しないとして無罪判決を下したため「肩透かし判決」と評されるのです。

恵庭事件の概要

「恵庭事件」は1964年に北海道の酪農家兄弟が、自衛隊所有の通信回線を切断したことに端を発し、自衛隊の存在が憲法違反であるか否かが争われた刑事事件であり、日本中の注目を集める中1967年に無罪判決が確定しています。 そこで、自衛隊と地域住民のトラブルによる刑事事件が、なぜ日本中の注目を集めることとなったのか、その概要や経緯について説明します。

事件の発端は酪農家2名による自衛隊通信線切断

「恵庭事件」は北海道で酪農を営む2人の兄弟が、自衛隊島松演習場が所有する通信回線を切断した刑事事件です。 この当時日本では自衛隊の違憲性を巡って左翼系活動家たちが各地で過激な運動を繰り広げており、1971年には陸上自衛隊朝霞駐屯地で自衛官が殺害される凶悪事件も発生しています。 しかし、この酪農家兄弟は自衛隊の存在に異議を唱える左翼系活動家などではなく演習に伴う騒音の被害者であり、抗議しても聞き入れようとしない自衛隊への腹いせに通信回線を切断したに過ぎないのです。

切断の背景には自衛隊への騒音被害があった

酪農家兄弟が通信回線を切断するに至った背景には、自衛隊島松演習場が引き起こしていた深刻な騒音問題があります。 当時島松演習場では砲撃訓練をはじめ、さまざまな演習が行われていましたが、そのたびに耐え難い騒音公害が発生しており周辺住民の生活に大きな支障を来していました。 とりわけこの地域で飼育されていた乳牛については早産や死産となる事例が頻発し、乳量が大幅に減少する等の深刻な被害を被っており酪農農家にとっては死活問題となっていたのです。

自衛隊と周辺住民との間では紳士協定が結ばれていた

「恵庭事件」が起こる前から度重なる演習場の騒音のため生活に支障を来していた近隣住民は、幾度となく自衛隊に対して抗議をしています。 その結果自衛隊と地域住民の間に紳士協定が結ばれ、砲撃演習を行う際には事前に通告することが約束されましたが、紙ベースの契約ではなかったこともあり厳守されることはありませんでした。 事件当日も無通告で砲撃演習が行われたことから、酪農家兄弟が島松演習場に抗議しましたが受け入れられなかったため、怒った2人は帰宅途中に通信回線を切断してしまったのです。

「肩透かし判決」と言われた恵庭事件訴訟

「恵庭事件訴訟」は札幌地方裁判所で公判が開かれ、開始から3年後の1967年1月に無罪判決が言い渡されていますが、この判決は多くの人々に「肩透かし判決」と評されました。 そこで、地域住民と自衛隊のトラブルとはいえ死傷者が出ていない刑事事件が、3年にもわたって争われた上「肩透かし判決」と言われている理由について解説します。

検察側の起訴理由は自衛隊法121条違反

「恵庭事件訴訟」において検察側は通信回線を切断した酪農家兄弟の「自衛隊法121条違反」を起訴理由としました。 自衛隊法121条とは、自衛隊が防衛のために保持・使用しているもの(航空機、武器、弾薬など)を壊した場合、5年以下の懲役もしくは5万円以下の罰金に処するといった内容です。 つまり検察側は酪農家兄弟が切断した通信回線は自衛隊法121条に明記されている「自衛隊が防衛のために保持・使用しているもの」に該当するので、法律違反にあたると主張したのです。

弁護側はそもそも自衛隊の存在が違憲であると主張

検察側の主張に対して酪農家兄弟の弁護人はそもそも自衛隊の存在こそが憲法9条違反なので、自衛隊法も無効であり「無罪」であることを主張しました。 つまり弁護人は酪農家兄弟が通信回線を切断したことの違法性を争うのではなく、自衛隊の存在そのものが憲法違反であるか否かについて争う姿勢を示したのです。 1960年代の日本では自衛隊の違憲性についても幾度となく議論されてきましたから、法廷でその是非を争う「恵庭事件」は一気に世間の注目を集めることになりました。

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1分でわかる恵庭事件

  • 酪農家兄弟が自衛隊の通信回線を切断
  • 自衛隊の違憲性が法廷での争点
  • 無罪判決に「肩透かし判決」と評価

「恵庭事件」とは軍事演習に伴う騒音被害に抗議する目的で、北海道の酪農家兄弟が自衛隊所有の通信回線を切断した刑事事件であり、自衛隊の違憲性が法廷で争われたことで注目を集めました。 しかし、札幌地裁は自衛隊の違憲性に踏み込むことなく、通信回線は自衛隊法121条に規定する「防衛に使用するもの」に該当しないとして無罪判決を下したため「肩透かし判決」と評されるのです。

恵庭事件の概要

「恵庭事件」は1964年に北海道の酪農家兄弟が、自衛隊所有の通信回線を切断したことに端を発し、自衛隊の存在が憲法違反であるか否かが争われた刑事事件であり、日本中の注目を集める中1967年に無罪判決が確定しています。 そこで、自衛隊と地域住民のトラブルによる刑事事件が、なぜ日本中の注目を集めることとなったのか、その概要や経緯について説明します。

事件の発端は酪農家2名による自衛隊通信線切断

「恵庭事件」は北海道で酪農を営む2人の兄弟が、自衛隊島松演習場が所有する通信回線を切断した刑事事件です。 この当時日本では自衛隊の違憲性を巡って左翼系活動家たちが各地で過激な運動を繰り広げており、1971年には陸上自衛隊朝霞駐屯地で自衛官が殺害される凶悪事件も発生しています。 しかし、この酪農家兄弟は自衛隊の存在に異議を唱える左翼系活動家などではなく演習に伴う騒音の被害者であり、抗議しても聞き入れようとしない自衛隊への腹いせに通信回線を切断したに過ぎないのです。

切断の背景には自衛隊への騒音被害があった

酪農家兄弟が通信回線を切断するに至った背景には、自衛隊島松演習場が引き起こしていた深刻な騒音問題があります。 当時島松演習場では砲撃訓練をはじめ、さまざまな演習が行われていましたが、そのたびに耐え難い騒音公害が発生しており周辺住民の生活に大きな支障を来していました。 とりわけこの地域で飼育されていた乳牛については早産や死産となる事例が頻発し、乳量が大幅に減少する等の深刻な被害を被っており酪農農家にとっては死活問題となっていたのです。

自衛隊と周辺住民との間では紳士協定が結ばれていた

「恵庭事件」が起こる前から度重なる演習場の騒音のため生活に支障を来していた近隣住民は、幾度となく自衛隊に対して抗議をしています。 その結果自衛隊と地域住民の間に紳士協定が結ばれ、砲撃演習を行う際には事前に通告することが約束されましたが、紙ベースの契約ではなかったこともあり厳守されることはありませんでした。 事件当日も無通告で砲撃演習が行われたことから、酪農家兄弟が島松演習場に抗議しましたが受け入れられなかったため、怒った2人は帰宅途中に通信回線を切断してしまったのです。

「肩透かし判決」と言われた恵庭事件訴訟

「恵庭事件訴訟」は札幌地方裁判所で公判が開かれ、開始から3年後の1967年1月に無罪判決が言い渡されていますが、この判決は多くの人々に「肩透かし判決」と評されました。 そこで、地域住民と自衛隊のトラブルとはいえ死傷者が出ていない刑事事件が、3年にもわたって争われた上「肩透かし判決」と言われている理由について解説します。

検察側の起訴理由は自衛隊法121条違反

「恵庭事件訴訟」において検察側は通信回線を切断した酪農家兄弟の「自衛隊法121条違反」を起訴理由としました。 自衛隊法121条とは、自衛隊が防衛のために保持・使用しているもの(航空機、武器、弾薬など)を壊した場合、5年以下の懲役もしくは5万円以下の罰金に処するといった内容です。 つまり検察側は酪農家兄弟が切断した通信回線は自衛隊法121条に明記されている「自衛隊が防衛のために保持・使用しているもの」に該当するので、法律違反にあたると主張したのです。

弁護側はそもそも自衛隊の存在が違憲であると主張

検察側の主張に対して酪農家兄弟の弁護人はそもそも自衛隊の存在こそが憲法9条違反なので、自衛隊法も無効であり「無罪」であることを主張しました。 つまり弁護人は酪農家兄弟が通信回線を切断したことの違法性を争うのではなく、自衛隊の存在そのものが憲法違反であるか否かについて争う姿勢を示したのです。 1960年代の日本では自衛隊の違憲性についても幾度となく議論されてきましたから、法廷でその是非を争う「恵庭事件」は一気に世間の注目を集めることになりました。

判決は無罪、憲法判断は回避された

日本中が注目した「恵庭事件」にかかる裁判は自衛隊の是非が争われたことから、この種の刑事事件としては異例の3年以上の期間を要し公判の回数は40回にものぼります。 注目の判決は「無罪」となりましたが、その理由は自衛隊の所有する通信回線は自衛隊法121条に規定する「自衛隊が防衛のために保持・使用しているもの」にはあたらないといったものでした。 つまり札幌地方裁判所は通信回線の切断は自衛隊法に抵触しないので、自衛隊が違憲か否かの問題には至らないとしたのです。

検察は上訴せず、そのまま判決は確定

札幌地方裁判所が下した無罪判決に対して、原告である自衛隊も被告である酪農家兄弟もスッキリと納得することはできませんでした。 しかし被告である酪農家兄弟はすでに無罪判決が出ているのでこれ以上異を唱える必要はなく、そのまま判決は確定してしまったのです。 被害を被った自衛隊としては上訴して争いたいところでしたが、通信回路の切断にこだわって裁判を続けても自衛隊の違憲性が争われるのは得策ではありませんから上訴されませんでした。

「肩透かし判決」と言われる所以

「恵庭事件」における判決が「肩透かし判決」といわれる所以は、ひとえに札幌地方裁判所が自衛隊の合憲性に踏み込まず、中途半端な形で無罪判決を下したことです。 自衛隊の是非についてはその発足当時から問われ続ている問題であり、国民はもちろん自衛官の多くは司法の場で「白黒つける」ことを望んでいました。 ところが裁判に3年の月日をかけたにも関わらず、自衛隊の違憲性の問題から通信回線の問題にすり替えられたことで、多くの人々はこの判決に落胆・失望してしまったのです。

憲法問題に発展した他の判決

自衛隊の存続が憲法9条に違反するか否かという論議は戦後から現代まで明確な結論がでないまま続いており、ここ数年では憲法改正の問題にまで発展しているのが現状です。 その間には「恵庭事件」と同様に憲法問題となり法廷で争われた事件も数多くあることから、代表的な3つの事件についてその経緯や裁判所の判断などを紹介します。

長沼ナイキ基地訴訟事件

1969年に争われた「長沼ナイキ基地訴訟事件」では、北海道夕張郡長沼町への基地建設を巡って地域住民と国が対立し最高裁判決までもつれ込みます。 国は基地建設に際して国有保安林の指定を強行に解除しましたが、これに反発した地域住民は保有林がなくなると洪水の恐れがあり、自衛隊の存在こそ違憲であると主張しました。 一審では住民側が勝訴しましたが、二審では洪水対策として国がダム建設を行うことなどを理由に一審判決が破棄され、最高裁では自衛隊の違憲性には触れられず訴えの利益がないとして上告は棄却されたのです。

自衛隊イラク派兵違憲訴訟名古屋地裁判決

2004年に強行された自衛隊のイラク派兵については日本中でさまざまな論議がなされ、名古屋など10の都市では「自衛隊イラク派兵差止訴訟」と呼ばれる集団訴訟が行われます。 「自衛隊イラク派兵違憲訴訟名古屋地裁判決」では、自衛隊員の平和的生存権の具体的権利性を肯定しており、イラク派兵差し止めについて一歩踏み込んだ解釈が成されました。 さらに、2008年に名古屋高裁は原告の訴えを却下したものの、航空自衛隊が武装したアメリカ軍などの兵員を空輸する活動は憲法9条1項に一部違反するとの画期的な違憲判断を出しています。

砂川事件

1957年に起こった「砂川事件」は東京都砂川町エリアに建設されていた在日米軍立川飛行場の拡張計画に対する妨害行為を巡る訴訟であり、その経緯は関連文書にわかりやすく記載されています。 事件の発端は基地拡張のために測量をしていたところにデモ隊が現れ、立ち入り禁止のアメリカ軍基地になだれ込んだことであり、後の安保闘争のきっかけにもなりました。 一審ではアメリカ軍の駐留を許容したことは違憲であるとし無罪判決が下りましたが、最終的には差し戻し審が東京地裁で行われ有罪判決が確定しています。

今後も続く憲法9条の議論

「恵庭事件」は酪農家兄弟が自衛隊の騒音被害のために家業に大きな被害が出てしまったため、止むに止まれず自衛隊の電話回線を切断したに過ぎない事件です。 しかし、その根底には「自衛隊」の存在そのものが違憲であるか否かといった大きな問題が潜んでおり、50年以上経った現代でも解決されていません。 今後も憲法改正に向け第9条の解釈についてはさまざまな議論がなされることが想定されますが、日本だけでなく世界に平和が訪れるには、どういう判断をすべきかを真剣に考えていかなければなりません。

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