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ディアトロフ峠事件は9名が不審死した事件。未解決事件の60年ぶりの捜査再開の真意とは。【ネタバレ】

もくじ

1分でわかるディアトロフ峠事件

ディアトロフ峠事件とは

  • 1959年2月2日にソ連領ウラル山脈北部で男女9名が不可解な死を遂げる
  • 雪山登山だったにも関わらず、一行は-30℃の中を裸足でテント外に飛び出していた
  • 生存者がいないため迷宮入りしていたが、2019年にロシア検察が再調査を始めた

「ディアトロフ峠事件」は世界の未解決事件の中でも、不可解なものの一つです。事件発生から60年が過ぎた現在でも、人里離れた雪山の中で何が起こっていたのかという謎に惹きつけられる人が数多くいます。 そこで今回はロシア史上最大の謎といわれる「ディアトロフ峠事件」について、解説します。

ディアトロフ峠事件の概要

「ディアトロフ峠事件」は1959年2月20日、下山予定日を過ぎても連絡がないことをおかしく思った、親族による要請がきっかけとなって発覚しました。残念ながら登山をした9名のメンバーは死亡しています。 最後まで行方不明となっていた1人の遺体が発見されたのは同年5月のことです。ここでは「ディアトロフ峠事件」の概要について、詳述します。

雪山登山中のロシア人大学生達が音信不通になり捜査が行われる

1959年1月25日、ウラル科学技術学校の学生を中心とする男性8名・女性2名の一行はスヴェルドロフスク州北部の中心地イヴデリに到着しました。目的はウラル山脈北部のオトルテン山をスキーでトレッキングすることです。女性のうち1名は持病の悪化により、山に向かいませんでした。 当初の計画では遅くても同年2月20日にはオトルテン山を下山し、リーダーのイーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフが彼が在籍するスポーツクラブに電報を送るはずでした。しかし同月20日になっても電報が届かなかったことで親族が騒ぎ、救助要請が出されました。

雪山登山中だったロシア人大学生9名が不審死して発見された

1959年2月20日にはウラル科学技術学校の教師や学生が、ボランティアとして救助に向かいました。さらに警察と軍による救助活動も始まり、航空機やヘリコプターを使った大掛かりな捜索を行ったのです。 そして同月26日に森のはずれで、2名の遺体を発見します。続いて3名の遺体が見つかりました。残り4名の遺体が発見されたのは同年5月のことです。

テントが内側から破かれていた

1959年2月26日、捜索隊は捜査を進める中で、山に捨てられているテントを発見しました。発見されたテントは内側から破かれて、その上には雪がかぶさっていました。 テントの中には荷物が置きっぱなしのままで、何足かの靴も残されていました。外気がマイナス30℃にも関わらず、登山メンバーたちはテントから着の身着のまま出ていったことが示されたのです。

遺体は薄着の状態であり放射性物質が衣服から検知された

1959年2月26日に捜索隊は、森のはずれの木の下で2名の遺体を発見します。発見された2名は、靴や服を身につけておらず、下着姿でした。そして、その木とキャンプ地の間で他3名の遺体が見つかります。メンバー5名の死因は低体温症でした。 そして3か月後、残る4名の遺体が発見されます。彼らは、最初に発見された5名に比べて服をきちんと着用していました。しかし、1名は頭部に、2名は肋骨に大けがを負っていたのです。また何名かの着衣は、高い濃度の放射線で汚染されていました。

遺体の損傷は激しいものもあり頭がい骨骨折や舌の切断などがあった

5月に発見された遺体のうち、1名は頭部に致命傷となる大けがを負っていました。 さらに2名は肋骨を骨折していましたが、ともに外傷は見られなかったといいます。後に検視官が、「とても高い圧力を加えられたようだった」と語ったほどです。そして1名は眼球と舌、もう1名は舌だけが失われた状態だったことも判明しました。

ディアトロフ峠事件で死者がでた原因

「ディアトロフ峠事件」は生存者がなく、遺体の発見状態が不可解だったため原因について様々な憶測が飛び交いました。そのた雪崩や滑落といった自然現象から、軍のミサイル実験・宇宙人によるものといった超常現象まで様々な説が浮上します。 ここでは「ディアトロフ峠事件」の原因とされた説を、いくつか紹介します。

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1分でわかるディアトロフ峠事件

  • 1959年2月2日にソ連領ウラル山脈北部で男女9名が不可解な死を遂げる
  • 雪山登山だったにも関わらず、一行は-30℃の中を裸足でテント外に飛び出していた
  • 生存者がいないため迷宮入りしていたが、2019年にロシア検察が再調査を始めた

「ディアトロフ峠事件」は世界の未解決事件の中でも、不可解なものの一つです。事件発生から60年が過ぎた現在でも、人里離れた雪山の中で何が起こっていたのかという謎に惹きつけられる人が数多くいます。 そこで今回はロシア史上最大の謎といわれる「ディアトロフ峠事件」について、解説します。

ディアトロフ峠事件の概要

「ディアトロフ峠事件」は1959年2月20日、下山予定日を過ぎても連絡がないことをおかしく思った、親族による要請がきっかけとなって発覚しました。残念ながら登山をした9名のメンバーは死亡しています。 最後まで行方不明となっていた1人の遺体が発見されたのは同年5月のことです。ここでは「ディアトロフ峠事件」の概要について、詳述します。

雪山登山中のロシア人大学生達が音信不通になり捜査が行われる

1959年1月25日、ウラル科学技術学校の学生を中心とする男性8名・女性2名の一行はスヴェルドロフスク州北部の中心地イヴデリに到着しました。目的はウラル山脈北部のオトルテン山をスキーでトレッキングすることです。女性のうち1名は持病の悪化により、山に向かいませんでした。 当初の計画では遅くても同年2月20日にはオトルテン山を下山し、リーダーのイーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフが彼が在籍するスポーツクラブに電報を送るはずでした。しかし同月20日になっても電報が届かなかったことで親族が騒ぎ、救助要請が出されました。

雪山登山中だったロシア人大学生9名が不審死して発見された

1959年2月20日にはウラル科学技術学校の教師や学生が、ボランティアとして救助に向かいました。さらに警察と軍による救助活動も始まり、航空機やヘリコプターを使った大掛かりな捜索を行ったのです。 そして同月26日に森のはずれで、2名の遺体を発見します。続いて3名の遺体が見つかりました。残り4名の遺体が発見されたのは同年5月のことです。

テントが内側から破かれていた

1959年2月26日、捜索隊は捜査を進める中で、山に捨てられているテントを発見しました。発見されたテントは内側から破かれて、その上には雪がかぶさっていました。 テントの中には荷物が置きっぱなしのままで、何足かの靴も残されていました。外気がマイナス30℃にも関わらず、登山メンバーたちはテントから着の身着のまま出ていったことが示されたのです。

遺体は薄着の状態であり放射性物質が衣服から検知された

1959年2月26日に捜索隊は、森のはずれの木の下で2名の遺体を発見します。発見された2名は、靴や服を身につけておらず、下着姿でした。そして、その木とキャンプ地の間で他3名の遺体が見つかります。メンバー5名の死因は低体温症でした。 そして3か月後、残る4名の遺体が発見されます。彼らは、最初に発見された5名に比べて服をきちんと着用していました。しかし、1名は頭部に、2名は肋骨に大けがを負っていたのです。また何名かの着衣は、高い濃度の放射線で汚染されていました。

遺体の損傷は激しいものもあり頭がい骨骨折や舌の切断などがあった

5月に発見された遺体のうち、1名は頭部に致命傷となる大けがを負っていました。 さらに2名は肋骨を骨折していましたが、ともに外傷は見られなかったといいます。後に検視官が、「とても高い圧力を加えられたようだった」と語ったほどです。そして1名は眼球と舌、もう1名は舌だけが失われた状態だったことも判明しました。

ディアトロフ峠事件で死者がでた原因

「ディアトロフ峠事件」は生存者がなく、遺体の発見状態が不可解だったため原因について様々な憶測が飛び交いました。そのた雪崩や滑落といった自然現象から、軍のミサイル実験・宇宙人によるものといった超常現象まで様々な説が浮上します。 ここでは「ディアトロフ峠事件」の原因とされた説を、いくつか紹介します。

カルマン渦( ヘアピン渦)

2014年にアメリカのドキュメンタリー映画監督であるドニー・アイカー氏が発表した新説が、「カルマン渦(ヘアピン渦)」が原因というものです。アイカー氏はディアトロフ峠事件の研究も進めています。 カルマン渦とは障害物によって上空の気流が乱れ、その乱気流が低周波を発生させるという現象です。低周波によって集中力不足や不眠が起こることが知られているため、この説が注目を集めました。 アイカー氏は「カルマン渦の発生により9名に不快感や精神的苦痛を感じ、テントから逃げ出さざるをえなくなったのではないか」と考えています。

原住民のマンシ族による他殺説

「ディアトロフ峠事件」発生当時は、この地域で暮らすマンシ族による他殺説が浮上しました。ドゥビニナとゾロタリョフの舌がなくなっていたことから、外部の者が山に立ち入るのを嫌うマンシ族が生贄を捧げる儀礼に用いたのではないかと疑われたのです。 しかしテントから逃げ出した9名以外の足跡が見つからなかったことから、この説は早々に立ち消えとなっています。

低体温症説

1959年2月26日に発見された5名は、検視によって死因が低体温症だったことがわかっています。そのためキャンプを雪崩が襲ったことでパニック状態になった9名が、着の身着のままでテントから飛び出して低体温症になったという説が有力視されました。 低体温症になると「矛盾脱衣」という、寒さを感じているにも関わらず衣類を脱いでしまうことが見られるからです。矛盾脱衣により、さらに体温が下がったことで亡くなったと考えられました。

雪崩説

1959年5月に残る4名の遺体が見つかったことで浮上したのが、「雪崩説」です。9名の遺体はすべて、雪に覆われた状態で見つかっています。 3名が負ったけがは交通事故に匹敵するもので、高い圧力が加わったことを示していました。見つかった4名のうち3名が、頭部や胸部に大けがを負っていたことが雪崩説の根拠となっているようです。

ディアトロフ峠事件の真相は未だ明らかになっていない

メンバーたちの死因に関する審問は、1959年5月に終了しました。捜査当局は、「抵抗することができない自然の力によって全員が死亡した」という結論を出しています。 事件の捜査資料は未公開のまま保管されることが決まり、事件の真相が隠蔽されているとの見方もありました。1990年代に入って初めて捜査資料の一部が公開されましたが、資料のいくつかは紛失されていたので、事件は迷宮入りとなりました。

事件から約60年が経過し捜査再開

ディアトロフ峠事件から約60年たった2019年にロシア政府は事件の捜査を再開することを決定しました。 なぜ60年後に捜査が再開されたのか、真意は不明ですがそれ以前に事件に関する様々な憶測や陰謀論が唱えられており、それらを払拭することが目的であったと考えることができます。 捜査の結果政府は公式に雪崩による事故であったと主張しています。

ディアトロフ峠事件に類似の不審死事件

世界には「ディアトロフ峠事件」と同じように、謎めいた未解決事件があります。真相が解明しないまま、捜査が終結してしまったものです。 ここでは「ディアトロフ峠事件」と類似した、被害者が不審死を遂げた未解決事件を2つ紹介します。

ディアトロフ峠事件を題材にした映画や本

「ディアトロフ峠事件」は、様々な映画や本の題材となっています。近年は2014年10月に前述したドニー・アイカー監督が「死に山:世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相」というノンフィクションを出版しました。 また2013年にはレニー・ハーリン監督による、「ディアトロフ・インシデント」という映画が公開されています。さらにロシアや日本のテレビ番組でも、「ディアトロフ峠事件」が取り上げられました。

タマム シュッド事件

「タマム シュッド事件」とは1948年12月1日に、オーストラリアのマデレードで起こった未解決事件を指します。ソマートン公園の海岸で身元不明の男性の遺体が見つかり、隠しポケットから謎めいたメモが見つかったのです。 メモには「タマム シュッド」という、ペルシャ語で「終わった」を意味する言葉が残されていました。オーストラリア警察は外国政府機関への照会を行ったものの、身元は判明しませんでした。さらに遺体は着衣の乱れがなく、死因も特定できなかったのです。 しかし2019年になり、「タマム シュッド事件」の捜査が再開されました。

エリサ・ラム事件

「エリサ・ラム事件」は2013年2月19日に、アメリカ旅行中だったカナダの女子大生が宿泊先のセシルホテルの貯水槽から発見された事件です。捜査にあたったロサンゼルス市警は事件発生から4ヶ月後に、事故死と判断しています。 この事件は同年1月31日にエリサ・ラムさんの失踪事件として捜査を始めた際、生前最後の映像が公開されたことで世間の注目を集めました。エリサさんがエレベーターを何度も出入りしたり、外の廊下に話しかける様子などが監視カメラ映像に残されていたからです。 さらに貯水槽がある屋上への階段や扉は施錠されており、鍵を持ちパスワードを知るのはホテルスタッフだけだったことも謎を呼びました。現在も真相は明らかとなっていません。

まとめ

調査が再開され今後の展開が気になる「ディアトロフ峠事件」について、説明しました。 ロシア政府が当時の捜査資料のすべてを開示しておらず、事件当時とは格段に科学技術が進歩したため、現在でもその真相について研究する人は少なくありません。ロシア政府の今後の捜査に期待したいところです。

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