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デーモン・コアの仕組みとは?過去にロスアラモス研究所で起きた臨界事故の真相に迫る。

もくじ

1分で分かるデーモン・コア

  • デーモン・コアとは約6.2kgの未臨界量のプルトニウムの塊
  • アメリカの研究所で危険な実験や取り扱いで2回の臨界事故が発生
  • 科学者2名が命を落とした

デーモン・コアとは未臨界量のプルトニウムの球体

「デーモン・コア」は球体状の臨界状態に達していないプルトニウムの塊で、臨界事故が起こるまでは「ルーファス」と名付けられていました。 ここでは「デーモン・コア」とは何かについて、プルトニウムや核分裂の関係も含めて詳述します。

プルトニウムは質量数が多く不安定な元素

「デーモン・コア」は、約6.2kgのプルトニウムの球体が原料でした。プルトニウムは原子の一種で、銀白色の重い金属です。プルトニウム238からプルトニウム242まで複数の種類があり、数字は陽子数並びに中性子数を合わせた「質量数」を表しています。 プルトニウムは元素の中でも、質量数が大きく不安定です。そのため原子核も安定性は低く、それが崩壊することで放射線が放出されやすいという特徴を持ちます。

プルトニウムは核分裂反応をする

プルトニウムは核分裂反応を起こしやすい物質の一つです。核分裂反応とは重い不安定な原子核が分裂することで、軽い元素を2つ以上つくる反応のことです。 プルトニウムが核分裂すると莫大なエネルギーが発生しますが、同時に「セシウム137」「ヨウ素131」「ストロンチウム90」といった放射性物質もつくられます。 これが人体に悪影響を与えるのです。

デーモン・コアは未臨界状態の物体

「デーモン・コア」はもともと約6.2kgの未臨界状態のプルトニウムの塊でした。プルトニウムは未臨界状態であれば、基本的には核分裂を起こすことはありません。 「デーモン・コア」で問題だったのは、その形状が球体だったことです。プルトニウムの内部ではペースは遅いですが常に核分裂が起こっています。その際に発生する中性子が外に逃げていけば連鎖反応による核分裂を防ぐことがきます。 しかし「デーモン・コア」は球状で表面積が小さかったことから、中性子が逃げ出しにくかったため球体内部で連鎖反応が起こってしまったのです。

反射材を使用すると臨界状態に達する

「デーモン・コア」の臨界量は約16kgです。そのまま置いてある分には、臨界点に達することはありませんでした。 しかし反射材を使用すると臨界状態に達してしまいます。反射材とはどのような角度や方向から光を照射しても光源に向かってそのまま反射されるようにつくられた面あるいは装置をさします。 核分裂反応を起こす原因を調べるために「デーモン・コア」に反射材を近づける実験を行ったことが、臨界事故の原因となったのです。

デーモン・コア事件の概要

「デーモン・コア事件」は1945年8月21日と1946年5月21日の2度にわたって起こりました。1度目の臨界事故が発生した時点でその危険性は十分に認識できたはずです。しかし科学者は実験に没頭していたため、1度目の臨界事故を教訓にすることはできませんでした。 ここでは「デーモン・コア事件」の概要について詳述します。

最初の事故は1945年に発生

1度目の「デーモン・コア事件」が発生したのは1945年8月21日のことです。アメリカのロスアラモス研究所において1人の物理学者が実験を行っていました。 実験の内容は約6.2kgのプルトニウムの球体周辺に中性子遮断体である炭化タングステンでつくられたブロックを少しずつ近づけるというものです。これによりプルトニウムが臨界状態になる条件を確認しようとしていました。 しかしこの実験により臨界事故が引き起こされたのです。

翌年1946年にも同様の事故が発生

2度目の「デーモン・コア事件」は1946年5月21日におこりました。 アメリカのロスアラモス研究所に所属していた物理学者が再び「デーモン・コア」を使って実験を行いました。 その内容はベリリウムという反射材の半球の間に「デーモン・コア」を挟み込み、半球との隙間を調整しながら放射線量を測るというものです。そして前年に続いて臨界事故を発生させてしまいました。

最初の事故は実験中に起き物理学者のハリー・ダリアンが犠牲に

1度目の「デーモン・コア事件」が発生したのが1945年8月21日であることは前述しました。アメリカのロスアラモス研究所において物理学者であるハリー・ダリアン氏が死亡し初の犠牲者となったのです。 ここでは1度目の「デーモン・コア事件」の概要について詳述します。

実験の仕組みはブロックを近づけていく方式

物理学者として活躍していたハリー・ダリアン氏は事故当時、中性子反射体を用いる被曝の危険性のある実験を行っていました。 実験の仕組みは球体のプルトニウムの塊に炭化タングステンでつくられた中性子反射体の塊を少しずつ近づけていくというものです。 実験では炭化タングステンの塊を球体のプルトニウム周辺に積み重ねていきました。プルトニウムと中性子反射材の距離が近づくとその瞬間に臨界が始まり放射線を発生させ、被曝してしまうためとても危険な実験だったのです。

ハリー・ダリアンはうっかりブロックを落としてしまった

ハリー・ダリアン氏は実験の最中に誤って炭化タングステンでつくられた中性子反射体のブロックを落としてしまいました。 そのため球体のプルトニウムはすぐに臨界点に達してしまったのです。 臨界点に達したプルトニウムからは中性子が大量に放出されました。ハリー・ダリアン氏はすぐにプルトニウムから中性子反射体のブロックを取り除きましたが、すでに大量の放射線を浴びていたのです。

事故から25日後に急性放射線障害で死亡

ハリー・ダリアン氏が実験の失敗によって浴びた放射線は1秒で21シーベルトにも及びます。わずか1秒で致死量の放射線を浴びたことになります。 被ばくしたハリー・ダリアン氏は急性放射線障害を発症します。急性放射線障害とは被ばくして数日から数ヶ月で発症する障害のことです。急性骨髄症候群や消化管症候群、放射線神経障害といった様々な症状が起こります。 その結果ハリー・ダリアン氏は臨界事故から25日後に急性放射線障害で亡くなりました。

次の事故はわずか9ヶ月後に発生

2度目の「デーモン・コア事件」が発生したのは、1度目の事故からわずか9カ月後の1946年5月21日に起きました。アメリカのロスアラモス研究所において物理学者であるルイス・ローティン氏が事故による急性放射線障害で犠牲となりました。 ここでは2度目の「デーモン・コア事件」の概要について詳述します。

実験の仕組みはベリリウムの半球でデーモン・コアを覆う方式

物理学者であるルイス・ローティン氏は中性子反射体をプルトニウムに接近させることで臨界となるが、正確な臨界点を調査するために実験を行いました。 ルイス・ローティン氏は半球状にしたベリリウムを2つ用意し、その間に球体のプルトニウムをセットしました。 そして2つのベリリウムの間にマイナスドライバーを挟み、それを動かすことで徐々に上下のベリリウムを近づけながら放射線量を測定していたのです。

多くの科学者は「ドラゴンの尻尾をくすぐるようなものだ」と批判

ルイス・ローティン氏が行った実験は2つのベリリウムが完全にくっついてしまうと即座に臨界点に達するという危険極まりないものでした。 アメリカのロスアラモス研究所の同僚であったリチャード・ファインマンをはじめとする多くの科学者は「ドラゴンの尻尾をくすぐるようなものだ」と批判していたのです。 そのため科学者の多くがルイス・ローティン氏の実験への参加拒否を表明していました。

7人の参加者のうち死亡したのはルイス・ローティン博士のみ

ルイス・ローティン氏の実験には7名の研究者が参加していました。ルイス・ローティン氏は実験の危険性を理解していたため、先頭に立って作業に取り組みます。 そのためマイナスドライバーが外れてベリリウムの球体が完全にくっつき、プルトニウムが臨界点に達して青白い光を放った瞬間に上の半球体を叩きのけることができました。さらにルイス・ローティン氏は他の研究者を遮るように放射線を浴びることで、他の研究者を守ろうとしました。 その結果ルイス・ローティン氏は被ばくしてから9日後に急性放射線障害によって死亡します。しかし他の研究者の命は守られたのです。

この事故でデーモン・コアは解体

実は「デーモン・コア」はクロスロード作戦における実験で使用されることが予定されていました。クロスロード作戦とはアメリカが1946年にビキニ諸島で行った、一連の核実験をさします。 しかし「デーモン・コア」が2度の臨界事故を起こしたことで、放射能が減少するまでその再評価を待たなくてはならなくなり、クロスロード作戦には別のコアが使用されました。 結局「デーモン・コア」の出番はなくなったため、「デーモン・コア」は解体されました。

クロスロード作戦への転用も中止された

クロスロード作戦にはいくつかの実験予定があり、「デーモン・コア」は3度目のチャーリー実験に転用されることになっていました。 チャーリー実験とは核兵器を対潜爆雷として用いた場合の効力を検証するため、水中深くで爆発させるというものです。 しかしそれ以前に行われたクロスロード作戦の2度の実験により、目標の戦艦における放射能汚染が想定外の量となっていました。そのため戦艦が移動不能になり、チャーリー実験が中止されたのです。その影響を受け「デーモン・コア」は、クロスロード作戦に使用されることはなくなりました。

デーモン・コアくんで一躍有名に

「デーモン・コア」が日本で一躍有名になった背景には、「デーモン・コアくん」という短編アニメーションがあります。現在では、「デーモン・コアくん」のLINEスタンプも登場しているほどの人気です。 ここでは「デーモン・コア事件」を題材にした、「デーモン・コアくん」について詳述します。

からめる氏の投稿が話題に

「デーモン・コアくん」はイラストレーターであるからめる氏が製作した「輝け!デーモン・コアくん」の主人公のことです。 やんちゃな男の子というキャラクターで、普段はドライバーをくわえています。 このドライバーが偶然あるいは意図的に外されて口がくっついてしまうことで、他のキャラクターを消し飛ばしてしまうという短編アニメとなっています。このからめる氏の投稿が話題となり、巷の注目を集めました。

作中の青い光は励起(れいき)されたエネルギー

「輝け!デーモン・コアくん」の中で、主人公が口をくっつけるシーンが登場します。 「デーモン・コアくん」の体はプルトニウムとベリリウムでできているため、口がくっつくと青い光を放つのです。 「輝け!デーモン・コアくん」で描かれる青い光は励起(れいき)されたエネルギーを表しています。大量の中性子が放出されるので、他のキャラクターが消し飛ばされてしまうのです。

まとめ

今回は2名の物理学者の命を奪った「デーモン・コア」について、解説しました。1度目の臨界事故は物理学者の探求心によるものと解釈できますが、2度目は避けることができたはずです。 その後「チェルノブイリ原発事故」や「東海村JCO臨界事故」のような事故も起こっています。東日本大震災後の「福島県第一原発事故」も含めて、臨界事故を防ぐための取り組みが万全とはいえない現状があります。 こうした事実を理解することで原子力利用の利便性と危険性について考えるきっかけにしたいものです。

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