1分でわかる第十雄洋丸事件
- 第十雄洋丸とパシフィック・アレスが正面衝突
- 約20日間にもおよんだ船舶、海上火災
- 第十雄洋丸事件の反省が活かされた現在の海上安全
1974年に起こった「第十雄洋丸」と「パシフィック・アレス」が正面衝突した海難事件です。衝突で33名が死亡し、タンカーから漏れた燃料は海上火災に繋がりました。消火は難航し、「第十雄洋丸」は約20日後に海上自衛隊に沈没処分されました。 後に海の安全体制が見直され、特殊救難隊が設立する契機にもなった事件です。
第十雄洋丸事件の概要
1974年11月9日に東京湾で起きたタンカーの衝突炎上事故です。 事故当時は海上保安庁の消防船や、東京消防庁や横浜の消防局、民間の作業船も出動しましたが、炎上被害は拡大する一方でした。最終的に海上自衛隊も出動する事態となり、消化作業が終わったのは衝突事故が起きてから約20日が経過した11月28日のことでした。
第十雄洋丸とパシフィック・アレスが衝突した
事故で衝突した船は日本のLPGタンカー「第十雄洋丸」とリベリアの貨物船「パシフィック・アレス」です。中ノ瀬航路から京浜港(川崎港)へ向かっていた「第十雄洋丸」が、木更津港を出て同じ航路へ入ろうとした「パシフィック・アレス」と正面衝突しました。 これは「第十雄洋丸」は海上交通安全法、「パシフィック・アレス」は海上衝突予防法に照らし合わせ、どちらも自分の側に優先の原則が適用されると考えて起こった事故でした。
二船は炎上し第十雄洋丸は爆発も起こした
直前まで回避行動を取らなかった2隻は、「パシフィック・アレス」が「第十雄洋丸」の船首右側に突っ込む形で衝突しました。 衝突のショックで「第十雄洋丸」の船首付近には穴が開き、積載していたナフサ(原油の一種)が漏れて、そこへ衝突時に発生した火花が引火し爆発し、炎上してしまいます。炎は衝突した「パシフィック・アレス」にも燃え広がりました。 さらに「第十雄洋丸」から海に漏出したナフサにも火がつき、周辺の海上は文字通りの火の海と化したのです。
33名の死者を出す形に
衝突事故後、「第十雄洋丸」の船長は延焼と積載燃料の爆発を予測し、総員滞船命令を出しました。船員のほとんどが救命艇や海へ飛び込んだことで脱出でき、乗組員38人中33人が救助され、5人が死亡しました。 一方「パシフィック・アレス」は船体が炎に巻かれ、脱出も救助も不可能となって乗組員29人中28人が死亡しました。助かったのは機関室のビルジウェル(水や油が溜まる船底のスペース)で難を逃れた機関士1人だけでした。 事故の死者は合計で33名となりました。
消化活動がうまくいかず海上自衛隊が沈没させた
海上の火災には海上保安庁をはじめとして、東京消防庁や近隣の消防局から消防船や消防艇が多数派遣されました。不幸にも「第十雄洋丸」は当時の日本最大級のタンカーで積載量が多く、漏れた可燃物も多量だったせいで消火作業は難航しました。 衝突した「パシフィック・アレス」を引き離すことはできましたが、「第十雄洋丸」の火災は抑えきれませんでした。ついに船体が炎上したまま漂流を始めたことから、海上自衛隊は護衛艦4隻と潜水艦1隻による砲撃や魚雷で「第十雄洋丸」を沈没させました。
第十雄洋丸事件での海難審判

海難審判とは海難事故が起きた際に、関係した船員を審理する行政審判のことです。裁決により免許の取り消しや業務停止などの行政処分が行われます。 第十雄洋丸事件では第1審と第2審が行われ、事故の原因は「パシフィック・アレス」の横入りにあるとしつつ、「第十雄洋丸」も回避を怠ったことが指摘されました。「第十雄洋丸」船長は1ヶ月の海技士免許停止、残る関係者は過失なしとされました。
第十雄洋丸事件のその後
第十雄洋丸事件は当時の日本における重大海難事件として多くの教訓を残しました。人的、物的損失は計り知れませんが、事故の反省から得られたものも少なくありません。 横須賀観音崎に東京海上交通センターの設置されたことや、海上保安庁の保有船舶見直し、海難事件・事故の救助を専門とする特殊部隊の設立がされました。
消防船や巡視船の追加
第十雄洋丸事件の海上火災において、海上保安庁は当時配備していた消防船「ひりゆう」型3隻だけでは力不足ということを痛感したようです。さらに「第十雄洋丸」を安全な場所に移動させる作業が民間企業頼みだったことも反省しました。 海上保安庁は事件後に改良型の消防船2隻と、船を移動させる機能が備わった新型巡視船2隻を横須賀港と高松港に就役させます。同時に新しく建造した10隻の消防艇を全国に配備しました。
海猿で有名な特殊救難隊の創設
1975年、迅速な海難救助活動を行う専門部隊「特殊救難隊」が創設されました。この部隊は羽田空港に隣接する特殊救難基地の前身で、現在の「第三管区海上保安本部羽田特殊救難基地」にあたります。 特殊救難隊は航空機で日本全国に派遣され、海上火災や毒物や劇物の流出に対処、漂流物の捜索や救助まで幅広く対応可能な部隊です。 特殊救難隊は人命救助、財産保護を主任務としており、全国から選抜された精鋭36人で構成されています。『海猿』でスポットが当たったことからご存知の方も多いでしょう。
大惨事となった第十雄洋丸事件
第十雄洋丸事件は1974年に起きた重大な海難事件でした。前代未聞の大型船舶同士による衝突、そこから発生した海上火災は様々な問題を浮き彫りにしました。 現在でも海難事故はなくなっていませんが、第十雄洋丸事件の反省は確実に活かされています。日本の海上交通の安全は第十雄洋丸事件の教訓があればこそと言えます。この悲惨な事件を忘れないようにしたいものです。