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大韓航空機撃墜事件はソ連が大韓航空機を撃墜した事件。犠牲者多数の悲惨な事件を解説。

もくじ

1分でわかる大韓航空機撃墜事件

冷戦時代に起きた大韓航空機撃墜事件という悲劇

  • ソ連の領空内で起きた民間航空機へのミサイル攻撃
  • 日米の連携によって追い詰められていくソ連
  • ぎりぎりで回避された第3次世界大戦・米ソの駆け引きと日本の活躍

1983年9月1日、ソ連の領空に入りこんだ大韓航空機007便が、領空侵犯を理由にソ連軍機によって撃墜されました。 ソ連は事実を否定しますが、北海道に駐屯していた自衛隊がレーダーで傍受していたテープが公開され、ソ連による撃墜と判明しました。 冷戦期の米ソ冷戦時代に起きた大韓航空機撃墜事件の全貌を詳しく見ていきましょう。

大韓航空機撃墜事件の概要

1983年9月1日にニューヨーク発アンカレッジ経由ソウル行きの大韓航空機007便は、通常の航路を外れソ連の領空を侵犯してしまいます。 当時は冷戦時代でしたから大韓航空機007便はスパイ機と判断されソ連の戦闘機に撃墜されてしまいます。一歩間違えれば第3次世界大戦になったであろう大韓航空機撃墜事件の全貌を見ていきましょう。

大韓航空の旅客機がソ連の領空侵犯

1983年9月13日午前3時(日本時間)にアンカレッジ国際空港を経由し、ソウルの金浦国際空港に向かっていた大韓航空機007便は、何故か空路をそれカムチャッカ半島北東のソ連の領空に侵入してしまいます。 本来は北太平洋空路であるロメオ20に向かうはずでしたが、大韓航空機の機長は誤差範囲と判断し航路を変えることなく航行を続けます。 最もソ連の領空に近い空路ですから慎重に航空しなくてはいけなかったのですが、機長らは雑談しながらリラックスしていました。

ソ連の度重なる警告に応じなかった

ソ連はカムチャッカ半島北東上空を飛行する大韓航空機007便を、アメリカ軍のスパイ機と判断し攻撃をしますが失敗し1度は帰投します。 次いでソ連軍機は、ロメオ20の空路から外れて航行している大韓航空機を視認しソ連軍機が警告射撃を行います。 大韓航空機007便はこれに気づかずに航行を続けますが、高度を上げ速度が落ちたことでソ連軍機は大韓航空機007便の直ぐ横まで接近しました。

ソ連の戦闘機により追撃された

ソ連軍機は「機関砲を連射する」と地上に交信してあと、警告射撃を行いますが大韓航空機007便はこれに気づかずに航空を続けます。そこでソ連軍機は大韓航空機007便の尾翼に向けミサイルを発射します。 北海道稚内駐屯所の自衛隊が無線傍受をしていたことで、大韓航空機007便が突然消息を絶ったことやソ連軍からミサイルの発射命令が出ていたことが判明します。 その後の漁船などへの聞き取りによって、同時刻ごろに爆発音や燃料の臭いがしたという証言を得たことで、ソ連軍機による大韓航空機007便撃墜が推測されるようになっていきます。

ソ連は事件当初関与を否定

大韓航空機007便の爆破は日本海の日本領内に破損した機体の一部や遺体が確認されたことで、ソ連軍機による撃墜であると早くから推測されました。 しかし、ソ連は大韓航空機007便はソ連の領空から日本海側に飛び去っていったと発表し、大韓航空機がスパイ機であったのではないかという主張を続けます。 確かに当時の時代背景から考えるとソ連の主張を完全に否定することは出来ませんし、当然にソ連からの謝罪もありませんでした。

大韓航空機撃墜事件の捜査

当時の冷戦時代においてソ連は情報封鎖が厳しかったはずです。それだけに撃墜の事実をなかなか認めないという、捜査への非協力的な姿勢を取っていました。 ソ連は重要な証拠となるブラックボックスを回収しながらもその存在を隠し続けたのです。これらの行為から、ますますソ連の陰謀論が取りだたされるようになっていきます。

ソ連により大韓航空機撃墜事件の捜査は妨害された

このようなソ連の非協力的な姿勢によって捜査は難航します。撃墜事件の直後に日米ソは船舶や航空機を使って、大韓航空機007便が墜落したとされる周辺海域を捜索しました。 日本、アメリカは墜落されたと想定される樺太の西にある海馬島周辺の海域を、船舶や航空機で捜査を行おうとします。 ところがソ連は領海内への日本、アメリカの船舶の立ち入りを認めないといい出します。ソ連は公海上での捜査に対しても日本艦艇の進路を妨害するなど非協力的な姿勢を続けました。

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1分でわかる大韓航空機撃墜事件

  • ソ連の領空内で起きた民間航空機へのミサイル攻撃
  • 日米の連携によって追い詰められていくソ連
  • ぎりぎりで回避された第3次世界大戦・米ソの駆け引きと日本の活躍

1983年9月1日、ソ連の領空に入りこんだ大韓航空機007便が、領空侵犯を理由にソ連軍機によって撃墜されました。 ソ連は事実を否定しますが、北海道に駐屯していた自衛隊がレーダーで傍受していたテープが公開され、ソ連による撃墜と判明しました。 冷戦期の米ソ冷戦時代に起きた大韓航空機撃墜事件の全貌を詳しく見ていきましょう。

大韓航空機撃墜事件の概要

1983年9月1日にニューヨーク発アンカレッジ経由ソウル行きの大韓航空機007便は、通常の航路を外れソ連の領空を侵犯してしまいます。 当時は冷戦時代でしたから大韓航空機007便はスパイ機と判断されソ連の戦闘機に撃墜されてしまいます。一歩間違えれば第3次世界大戦になったであろう大韓航空機撃墜事件の全貌を見ていきましょう。

大韓航空の旅客機がソ連の領空侵犯

1983年9月13日午前3時(日本時間)にアンカレッジ国際空港を経由し、ソウルの金浦国際空港に向かっていた大韓航空機007便は、何故か空路をそれカムチャッカ半島北東のソ連の領空に侵入してしまいます。 本来は北太平洋空路であるロメオ20に向かうはずでしたが、大韓航空機の機長は誤差範囲と判断し航路を変えることなく航行を続けます。 最もソ連の領空に近い空路ですから慎重に航空しなくてはいけなかったのですが、機長らは雑談しながらリラックスしていました。

ソ連の度重なる警告に応じなかった

ソ連はカムチャッカ半島北東上空を飛行する大韓航空機007便を、アメリカ軍のスパイ機と判断し攻撃をしますが失敗し1度は帰投します。 次いでソ連軍機は、ロメオ20の空路から外れて航行している大韓航空機を視認しソ連軍機が警告射撃を行います。 大韓航空機007便はこれに気づかずに航行を続けますが、高度を上げ速度が落ちたことでソ連軍機は大韓航空機007便の直ぐ横まで接近しました。

ソ連の戦闘機により追撃された

ソ連軍機は「機関砲を連射する」と地上に交信してあと、警告射撃を行いますが大韓航空機007便はこれに気づかずに航空を続けます。そこでソ連軍機は大韓航空機007便の尾翼に向けミサイルを発射します。 北海道稚内駐屯所の自衛隊が無線傍受をしていたことで、大韓航空機007便が突然消息を絶ったことやソ連軍からミサイルの発射命令が出ていたことが判明します。 その後の漁船などへの聞き取りによって、同時刻ごろに爆発音や燃料の臭いがしたという証言を得たことで、ソ連軍機による大韓航空機007便撃墜が推測されるようになっていきます。

ソ連は事件当初関与を否定

大韓航空機007便の爆破は日本海の日本領内に破損した機体の一部や遺体が確認されたことで、ソ連軍機による撃墜であると早くから推測されました。 しかし、ソ連は大韓航空機007便はソ連の領空から日本海側に飛び去っていったと発表し、大韓航空機がスパイ機であったのではないかという主張を続けます。 確かに当時の時代背景から考えるとソ連の主張を完全に否定することは出来ませんし、当然にソ連からの謝罪もありませんでした。

大韓航空機撃墜事件の捜査

当時の冷戦時代においてソ連は情報封鎖が厳しかったはずです。それだけに撃墜の事実をなかなか認めないという、捜査への非協力的な姿勢を取っていました。 ソ連は重要な証拠となるブラックボックスを回収しながらもその存在を隠し続けたのです。これらの行為から、ますますソ連の陰謀論が取りだたされるようになっていきます。

ソ連により大韓航空機撃墜事件の捜査は妨害された

このようなソ連の非協力的な姿勢によって捜査は難航します。撃墜事件の直後に日米ソは船舶や航空機を使って、大韓航空機007便が墜落したとされる周辺海域を捜索しました。 日本、アメリカは墜落されたと想定される樺太の西にある海馬島周辺の海域を、船舶や航空機で捜査を行おうとします。 ところがソ連は領海内への日本、アメリカの船舶の立ち入りを認めないといい出します。ソ連は公海上での捜査に対しても日本艦艇の進路を妨害するなど非協力的な姿勢を続けました。

ソ連は遺体やブラックボックスなどを回収し証拠隠滅を図った

こうしたソ連の非協力的な姿勢もあり、日米は半年以上の間ブラックボックスの捜査を続けなければなりませんでした。 ソ連当局はブラックボックスなどの証拠を隠滅させるために、樺太の地元住民に対して回収指示書を渡しています。 実際に地元住民はブラックボックスと同じモノを、海中から引き揚げ自宅に持ち帰っていました。更に住民たちは大韓航空機の部品の1部も回収し、自宅で保管していたことが分かっています。

大韓航空機撃墜事件のボイスレコーダーの証言

1991年12月26日にソビエト連邦の崩壊によって、回収されていたブラックボックスはICAO(国際民間航空機関)に提出され分析が行われます。 しかし機体自体が存在しないことや関係者の証言が取れないことにより完全に究明することは出来ませんでした。 確認された証拠から推察されたことは、おそらく大韓航空機007便の慣性飛行装置の故障やパイロットの単純な操縦ミスであるとされました。しかし、のちにソ連が撃墜に関する証拠を隠蔽していた事実が次々と明らかになったのです。

大韓航空機撃墜事件で領空侵犯の原因は航空機の操作ミス

ソビエト連邦の崩壊後にオープンになったブラックボックスは、ICAO(国際民間航空機関)に提出され、ICAOはフランスに分析を依頼しました。 フランス航空当局は航空機事故において高い解析技術を持っていたからです。フランスが事件の第3国であったことも解析を依頼した理由だったのでしょう。 そのフランス航空当局の技術でも真相究明は困難でした。結局パイロット達によるフューマンエラーではとし、明確な原因究明はできずに解析作業は終了します。

大韓航空機撃墜事件の犠牲者

沿岸に漂着後した遺体はいずれも原形を留めていない状態であることから、大韓航空機007便の乗員乗客269名は全員が死亡したと発表されました。 墜落現場付近である沿岸近くの水上、水中の遺体や遺品の殆どはソ連によって回収され、証拠隠滅のために焼却処分されていました。

乗員乗客合わせて約270人全員が死亡

遺体はいずれも激しくし損傷しており、遺体の一部は日本側に引き渡されますが殆どはソ連によって証拠隠滅のために焼却処分されていました。 回収された所持品については2003年の慰霊祭において、身元不明ということもあり遺族会の了承のもとで焼却処分されます。 乗客は韓国人だけでなく多くの外国人も含まれており、犠牲者の中には3歳の子供も含まれていたそうです。

様々な国籍の人々が犠牲に

大韓航空007便に搭乗していた人の国籍は様々で乗客の多くは韓国人やアメリカ人が占めていました。 搭乗していた人の中にはイギリス植民地であった香港の乗客も多く業務渡航客から観光客まで幅広い層が利用する路線であり、中東などからの出稼ぎで来ていた労働者も多かったようです。 安い航空運賃が魅力的だったこともあり、日本人や中国人、フィリピンなどの東南アジアの人など多様な国々の人が搭乗していました。

日本人犠牲者

大韓航空機007便は金浦国際空港で乗り換えて日本に向かう便でしたから、不便ではあったものの料金が安いこともあり日本に帰国する人も良く利用していたようです。 大韓航空機007便の日本人乗客の殆どが観光客や留学生でした。中には美術の中学校教諭でアメリカの美術館を巡って帰国途中に事故に巻き込まれた人もいました。 また、ホームステイ先から帰国する途中だった人やニューヨークで新しく飲食店を開こうと視察に訪れていた人などもいたそうです。

大韓航空機撃墜事件に類似の航空機事故

大韓航機空「爆破」事件とは、ソウル・オリンピックを目前に控えた1987年11月に、北朝鮮の工作員によってソウル行きの大韓航空機の客室が爆破された事件です。 これはソウル・オリンピックを妨害するための謀略でした。ここからは、こうした大惨事となった航空機事件をいくつか見ていきましょう。

大韓航空機銃撃事件

1978年4月20日に発生したソ連軍機による大韓航空機への機銃攻撃でした。当時は冷戦期であったため、領空侵犯した大韓航空機902便はスパイ機と判断されたのです。 機体はなんとか凍結したイマンダラ湖に胴体着陸しますが、乗客2名が死亡する事故となりました。

よど号ハイジャック事件

赤軍派のメンバーがよど号を乗っ取った日本初のハイジャック事件です。犯行グループは平壌国際空港に向かうよう指示します。 同機は韓国金浦国際空港に着陸したのち山村政務次官と人質を交換、北朝鮮の美林飛行場に着陸したグループは北朝鮮当局に確保されたのちに亡命します。

日本航空123便墜落事故

日本航空123便墜落事故とは、羽田空港から大阪・伊丹空港に向かっていた日本航空123便が機体の故障によって操縦不能となった事故です。 乗員乗客合わせて524名が死亡するという、単独での飛行機事故としては世界最悪の航空機の墜落事故となりました。

日本航空350便墜落事故

「日本航空350便墜落事故」は1982年2月9日、福岡空港発羽田空港着の日本航空350便が着陸に失敗し、滑走路手前で墜落した事故です。 この事故で乗員乗客合わせて24人が死亡、149人が負傷します。機長の精神疾患による操縦ミスが原因でした。

チャイナエアライン事故特集

1994年4月26日中華航空140便が名古屋空港着陸に失敗し墜落した事故です。この事故で乗員乗客264人が死亡しました。 事故の原因はパイロットの操縦ミス、パイロット間の情報伝達の不足、機体の故障などが原因といわれています。

マレーシア航空370便墜落事故の真相とは?原因不明の謎多き航空事故!今もなお謎を残したままの航空機事故に「マレーシア航空370便墜落事故」があります。あまりにも謎が多いため陰謀説がささやかれたりしています。今回はこの「マレーシア航空370便墜落事故」をとりあげます。事故の経緯だけでなく、各国の対応や陰謀説なども解説します。

マレーシア航空370便墜落事故

マレーシアから中国の北京に向かっていたマレーシア航空機がインド洋に墜落したとされる事故です。 事故後に機体の行方が分からなかったことから長く墜落事故と断定されませんでしたが、事故から約1年後にレユニオン島付近で同機の残骸が発見され、墜落事故であると正式に発表されました。

 

まとめ

大韓航空機撃墜事件は米ソの冷戦時代という背景で起きた大惨事でした。国家間が疑心暗鬼になり、一歩間違えれば第3次世界大戦という世界が戦慄する事故でもありました。 危機感のないパイロットのちょっとした気のゆるみが、279名という尊い命を奪った事実を忘れてはいけません。類似の事件でもパイロット養成の重要さを痛感させられる飛行機事故があります。

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