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ブラックパンサー党とは黒人解放を目的とする団体。人種差別撤廃運動の実態とは?

もくじ

1分でわかるブラックパンサー党

  • 黒人民主主義や黒人解放闘争を展開した政治活動団体
  • 黒人ゲットーを守るために創設
  • 全身黒の特徴的なファッション

ブラックパンサー党とは、1960年代から70年代にアメリカで活動していた黒人民主主義や黒人解放を訴えた政治活動団体のことです。創設者はアメリカ、カリフォルニア州のヒューイ・P・ニュートンとボビー・シールです。ブラックパンサー党の始まりは黒人ゲットーの自衛のためでした。 ブラックパンサー党の党員は、アフロヘアーと黒い皮のジャケットとズボン、そして黒のベレー帽を被って活動していました。

ブラックパンサー党は黒人解放を目的とした政治団体

ブラックパンサー党は黒人の解放のために尽力した政治活動団体です。その活動の背景には1960年代から勢いづいた黒人の人種差別撤廃運動があります。 ブラックパンサー党の主な活動目的は貧困で苦しむ黒人達を支援することでした。食料の支給や病院の設立など黒人へのサポートを徹底して行っていました。 その反面時には武器をもち過激なパフォーマンスを行い人民に対し黒人解放訴えかけました。これはマルコムXの攻撃的黒人解放活動に影響を受けたためです。

ブラックパンサー党の概要

ブラックパンサー党は結成以来勢力を拡大し続け、当初は400人程度でしたが、全盛期は5000人規模の政治活動団体にまで成長しました。 力を持ったブラックパンサー党は共産主義を掲げ、資本主義国家であるアメリカと政治的に対立しました。その結果アメリカの大きな政治的圧力によって壊滅に追い込まれるのです。

1967年に結成

ブラックパンサー党は1967年にアメリカ、カリフォルニア州で生まれました。 創設者のヒューイ・P・ニュートンとボビー・シールはブラックパンサー党結成前は、共に貧困対策センターで働いていました。 そこで黒人達が警察官から暴力を受けていると知り、警察官の暴力行為に対する調査機関を設けるなどの働きかけを行いました。この活動がきっかけとなり、ブラックパンサー党が生まれたのです。

ブラックパンサー党の方向性

ブラックパンサー党には結成当初から「十項目綱領」が定められていました。その内容は主に、黒人社会の安定に尽力すること、黒人解放に力を惜しまないこと、アメリカの黒人差別をよしとしない、などが書かれています。この「十項目綱領」がブラックパンサーのベースとなる活動方針となっています。 また、黒人解放運動家のマルコムXの影響も多大に受けており、攻撃的な政治活動家の一面も持っています。

ブラックパンサー党の活動内容

彼らの活動は大きく分けて「奉仕活動」と「暴力運動」に分けられます。 毛沢東に大きな影響を受けたブラックパンサー党は、毛沢東の教えである「人民に奉仕する」ことを大切にしていました。例えば、黒人への食料の供給や子供に向けて朝食を無料で配布する「無料朝食プログラム」、そして病院の設立などが挙げられます。 その反面、暴力による主張を行うことがありました。人民解放運動に伴う暴力・殺人であったり、黒人ゲットーを武器持ってパトロールしたり、FBIとの武力衝突などがこれにあたります。

ブラックパンサー党のその後

ブラックパンサー党は1970年代に入り、アメリカ合衆国第37代大統領のリチャード・ニクソンの手によって解体されました。 しかし彼らが後世に残した影響は大きく、今でもブラックパンサー党に関連したイベントが執り行われる程です。それほどブラックパンサー党が黒人社会に与えた影響大きいといえます。ブラックパンサー党は今でも語り継がれる黒人解放運動のヒーローなのです。

まとめ

現代社会においても黒人への差別が根深かく残っています。 ブラックパンサー党はそんな不条理な現実を壊すために戦った団体です。彼らの来歴を知ることは、黒人差別の歴史を知ることでもあります。改めて黒人差別の歴史という観点からブラックパンサー党を見直してはいかがでしょうか。

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