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ベスラン学校占拠事件はロシアとチェチェン共和国との紛争が原因のテロ。

もくじ

1分でわかるベスラン学校占拠事件

  • 武装テロ組織がベスラン学校を襲撃
  • 人質になった400人が死亡、700人が負傷する惨事に
  • ロシアとチェチェン共和国の歴史背景によりベスランは現在も危険地帯

ベスラン学校占拠事件の概要

ロシア連邦北オセチア共和国のベスラン学校占拠事件とは、現地の小中学生が始業式で集まっていた体育館を、独立派武装テロ組織が占拠し人質として捕えられ、ロシアの特殊部隊が突入、制圧しますが人質らに多くの死傷者を出しました。 ここからは、事件発生から突入までの様子を見ていきます。

ロシアのベスランにある小学校に武装グループが立てこもった

2004年9月1日、ロシア連邦北オセチア共和国にあるベスラン学校の小中学生とその親族が、始業式のために集まっていた体育館に約30人の武装したテロ組織が襲ってきました。 テロ組織は、ロシアからの独立を政府に要求し3日間建物を占拠しました。この武装組織は独立を標榜する多国籍軍だったといわれています。 政府側も粘り強く説得を行いますが、テロ組織はこれに応じず事件は膠着状態となっていきます。

小学生とその親が人質となった

ベスラン学校では始業式のお祝いのために、多くの子どもや親族が校庭で遊んだり談笑していました。 そこに突然軍用のトラックが突入してきたのです。トラックから降りてきた30人程のテロリストは、銃で脅したり爆弾を体に巻き付けた姿を見せ、集まっていた子どもや親族の中に割って入りました。 テロリストは銃を上に向けて乱射し、大声で威嚇して小学生や親族1181人を体育館まで連れていき、爆弾を付けたワイヤで囲み人質にしました。

400人程度が死亡し、700人が負傷した

テロ事件が起きたことを知った北オセチア共和国政府は、武装テロ組織の投降を呼びかけます。ですが呼びかけは功を奏さず、武装テロ組織が降伏する様子は見られませんでした。 武装テロ組織の目的は北オセチア共和国とベスラン共和国の真の独立要求でしたが、同時に多くの犠牲者を出すことでテロ組織の恐ろしさを政府に見せつけることでもありました。 この事件では、人質にされていた子どもや親族、テロリストらを合わせると約400人が死亡し、700人が負傷したといわれています。

爆発を合図にロシア軍が現場に突入した

事件が発生してから3日目、武装テロ組織が周りを取り囲む警察隊に発砲し警官1人が負傷しました。武装テロ組織も苛立っており、人質の健康状態も考えるとそう時間はないという緊張が高まっていきました。 3日の午後、ロシア軍と武装テロ組織が睨み合ってる最中に建物内で爆弾が爆発しました。それを合図にロシア軍が現場の建物内に突入しました。 人質の多くは爆発で床に叩きつけられました。辺りは煙に包まれ視界が悪く何が始まっているのか分かりませんでしたが、銃撃が始まると床に伏せ建物の出口へと向かいました。

ベスラン学校占拠事件の犯行グループとその動機

ベスラン学校を占拠した犯行グループの殆どはチェチェン人といわれています。 背景は、北オセチア共和国と隣国チェチェン共和国の「真の独立」を目指す政治活動でした。しかし、何故子供たちが狙われたのか、このテロが起きた背景とは何かを解説します。

犯行グループはチェチェン人を中心としたイスラム過激派

カスピ海西部の国、特に今回の事件を起こしたチェチェン人とロシアの関係は中世からの遺恨が残る複雑な関係です。 チェチェンは1859年に帝政ロシアに併合されますが、1991年に独立を果たします。しかし、その後も紛争が続きロシアとの関係は決して良好なものではありません。 こうした複雑な歴史が絡みあい、ロシアに併合されたままの北オセチア共和国に不満を持ったチェチェン人が中心となり、過激なテロ行為に及んだものと思われます。

犯行の動機や要求

イスラム教は異教徒より教えに背くものに厳しい制裁を与えるといわれており、ベスラン学校に何らかの不満を持っていたのかもしれません。 イスラム原理主義が起こすテロ事件の多くは、犯人たちが全員殺害されてしまうケースが多く、その動機や要求を正確に把握することは難しいと言われています。 今回のベスラン学校占拠事件でも、テロ組織のほぼ全員が殺害されているためその真相を掴むことは不可能と思われます。

ロシアとチェチェン共和国の紛争、テロの歴史

チェチェンとロシアは紛争を繰り返しています。1番に挙げられるのは1994年12月に起きた「第一次チェチェン紛争」の勃発です。チェチェン共和国はソ連崩壊を前に離脱を宣言し、それに対してロシアが武力侵攻を始めます。 1996年4月にロシア軍のミサイル攻撃によってチェチェン大統領ジョハル ドゥダーエフが死亡するという事件が起こります。 これを機にロシア軍は首都グロズヌイを占拠しますが、1996年4月にチェチェンゲリラの攻撃によって撤退を余儀なくされます。 ロシアのボリス エルツィン大統領はこれ以上の戦闘は無理と判断し、ロシアはチェチェンから撤退することになります。

ロシアとチェチェン共和国の現在の関係性

現在のチェチェン共和国とロシアは、アルジミールプーチン大統領と親ロシア派のラムザンカディロフ首相の関係が良好なこともあり、政治的には安定しています。 しかし、ラムザンカディロフ首相は過去に何度かテロリストによる暗殺未遂を起こされており、国内は未だテロとの戦いが続いている状況です。 ラムザンカディロフ首相はアルジミール プーチン大統領と盟友関係で、ロシア政府の不正を暴こうとするものを厳しく罰し、時に殺害しています。一般の市民の生活は落ち着きを取り戻しているかに見えますが、まだ両国の政情は安定しているとはいえない状況です。

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