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アナタハンの女王事件の真相は?比嘉和子を奪い合った32人の男たちの壮絶な戦いに迫る。

もくじ

1分でわかるアナタハンの女王事件

  • 1945年から1950年の5年間にアナタハンという孤島で起こった事件
  • 女性1人と男性32人が孤島での生活したが、うち13名が死亡または行方不明に
  • 生き残った19人が帰国した後、アナタハンブームが起こる

アナタハンの女王事件の概要

この事件はサイパン島から約150㎞離れた、アナタハン島という孤島で起こりました。1944年6月にヤシ農園を経営していた日本人とその部下の妻がいたアナタハン島に、陸海軍の軍人31人が流れ着いたのが始まりです。そして、1人の女性を巡って争いが起こります。 ここでは歴史的背景をもとに事件の概要について、詳述します。

アナタハン島にて男性32人と女性1人が孤島に取り残されていた

第二次世界大戦末期、マリアナ諸島にあるアナタハン島では年額100トンのコプラを産出する目的で国策企業・南洋興発がヤシ農園を経営していました。しかし参戦したアメリカがサイパン陥落を目指しており、アナタハン島にも戦火が広がります。 当時はアナタハン島には南洋興発の社員とその部下夫妻、そして原住民70人ほどが暮らしていました。南洋興発の男性社員1名が島を出た時には陸軍の兵士がすでにおり、そこに沈没した徴用船から逃げ出した海軍兵士が加わります。 その後アメリカ兵がアナタハン島に上陸し、原住民を全員連れ去ってしまいます。その結果、アナタハン島には32人の男性と1人の女性が取り残されます。

孤島では物資や食料が不足している状態だった

アナタハン島は東西が約12㎞、南北はわずか4㎞という火山島でした。そのため平地がほとんどなく、食料は輸送に頼っていました。 しかしサイパンでの攻防が激しくなったことで、アナタハン島に物資が届かなくなります。島の食料を食べ尽くしてしまうと、残された33人はコウモリやトカゲを獲って食べたようです。 やがてイモを自作するようになりますが、慢性的に物資や食料が不足する状態が続いていました。

男性はたった1人の女性の比嘉和子を巡って争いを起こす

アナタハン島では食料だけでなく、あらゆる物資がありませんでした。そのため木と木をこすり合わせて火を起こし、衣類がないので裸同然で暮らすことを余儀なくされます。 陸海軍の軍人たちの多くは20歳前後のたった1人の女性である比嘉和子さんを性的な対象で見るようになるまで時間はかかりませんでした。 身の危険を感じた比嘉和子さんは夫の上司に結婚してくれるよう頼み、軍人たちと離れたところで生活を始めます。しかし夫になった男性は比嘉和子さんに言い寄ってくる軍人たちを撃退することができず、やがて争いが起こるようになりました。

比嘉和子を巡る男たちの戦い

アナタハン島に1人しかいない女性である比嘉和子さんを巡る争いは、時間の経過と共に激しさを増していきました。そして終戦を迎えた1945年8月の時点で、すでに2人が行方不明となっていたといいます。 ここではアナタハン島で起こった、比嘉和子を巡る男たちの戦いについて詳述します。

比嘉和子はアナタハン島で複数の夫を作った

軍人たちの自分を見る目に不安を感じた比嘉和子さんが、夫の上司に結婚してくれるよう依頼しました。そしてアナタハン島の山中で見つけた、アメリカ軍のB29爆撃機の残骸からピストル2丁が発見されたことで事態は一変します。 ピストルを手にした2人の軍人は、比嘉和子さんを脅しながら口説くようになりました。そして比嘉和子さんは、その脅しに屈服します。 その結果として、夫である農園経営者と2人の軍人の3人を同時に夫にするという事態となりました。

夫どうしの殺し合いが起きたことも

比嘉和子さんは3人の夫を持ちましたが、当然うまくいくはずがありませんでした。親友同士だった2人の軍人が酒を飲んで口論となり、1人がもう1人を射殺するという事件が起こります。 残った軍人の夫が農園経営者の夫に比嘉和子さんを自分に譲るよう頼み、2人で暮らし始めます。しかし農園経営者は、その提案を受け入れているわけではありませんでした。 軍人の夫と比嘉和子さんが海釣りをしている時に、小屋から盗んだピストルで彼を射殺します。このように、夫同士の間でも殺し合いが起こっていました。

墜落した戦闘機から得た拳銃が殺し合いや脅しに使用された

農園経営者と比嘉和子さんは「軍人の夫は誤って海に落ちて溺死した」と、口裏を合わせて報告します。しかし農園経営者が武器を持っていたことから、他の男たちはピストルを持てば比嘉和子さんを自由にできるようになると考えたようです。 そして農園経営者も、隙を見てピストルを盗んだ別の男性に射殺されることとなります。このように墜落したB29爆撃機から発見された拳銃が、殺し合いや脅迫に使われていました。 こうした状況は1949年にピストルが海中に捨てられるまで、続くこととなります。

死者・行方不明者は13人だが、事故死や中毒死の人物も含まれている

アナタハンの女王事件で死亡もしくは行方不明になった男性は、13人にのぼります。しかしすべての人たちが、殺されたわけではありません。 救出して帰国した比嘉和子さんは1952年にサンデー毎日の取材において、自分を巡って殺されたのは2人だと語っています。それ以外の11人は事故や窮乏・病気で亡くなったり、行方不明になったと明言しました。 取り残された過酷な状況の中で、命を落としてしまった人がいるのは疑いようのない事実でしょう。

たった一人の女性しかいない閉鎖空間で男たちは我を失った

この事件は第二次世界大戦が続いていると信じていた男たちが起こしたものです。まだ若い男性が裸の女性を目の前に、救助が来る見込みのない孤島に閉じ込められていた状況を想像すると、いかに過酷だったかがわかります。 そうした閉鎖的な空間の中で男性たちが我を失っていった結果、アナタハンの女王事件につながっていきます。 しかしアナタハン島での殺人が相次ぐようになったことで、船長だった軍人が先導して会合を開き事態の打開を図ります。そこでピストルを海中に捨てたことが、大きな転機となりました。

比嘉和子はなぜアナタハン島での生活を耐え抜くことができたのか?

比嘉和子さんは前述したサンデー毎日の取材において、「望まれれば誰とでも密通した」と告白しています。しかし後に噂されたように、食と性によって男性たちに君臨したのは事実ではないようです。 なぜ 比嘉和子さんがアナタハン島での生活を耐え抜くことができたのかを考えるうえで、当時の状況を理解する必要があります。当時の日本は男性に養われることでしか、女性に生きる術がありませんでした。 食を確保してくれる男性に女性が所有されることが、当時の価値観だったといえます。アナタハン島での比嘉和子さんも、それと似た状況だったはずです。だからこそ、耐え抜くことができたと考えられます。

比嘉和子は帰国後時の人となった

比嘉和子さんは1950年8月11日、グアムを経由して日本に帰国しました。そしてアナタハンの女王事件が、国内で初めて報道されます。 そして比嘉和子さんは、一躍時の人となります。ここでは、帰国後の比嘉和子さんが置かれた状況について詳述します。

アナタハンの女王事件が映画化された

日本に戻った比嘉和子さんがアナタハン島に残る男性たちの救出を訴えたことで、1951年6月に生き残った19人が帰国しました。 その後に帰還した男性たちも取材を受けるようになり、テレビで事件のことを見ない日はないほど日本で一大ブームとなります。そしてこの女王事件は、次々と映画化されました。 比嘉和子さん本人が出演した「アナタハン島の眞相はこれだ!!」をはじめ、アメリカでも「The Saga Of Anatahan(邦題・アナタハン)」などが上映されています。

比嘉和子は「アナタハン」というレストランを開いた

1952年に比嘉和子さんは、沖縄県真和志村(現・那覇市)で「アナタハン」というレストランをオープンしました。実兄を含む親族と話し合ったうえで、世間で売れた名前を利用しレストランを成功させるつもりだったようです。 しかしレストランが軌道にのることはなく、同年11月22日には実兄や支援者と共に上京します。その後は興行師にのせられて、浅草のストリップ劇場で働き始めました。 しかしそこでも好奇の目にさらされ続け、比嘉和子さんは結局故郷である沖縄に戻ることになります。

比嘉和子は50歳で病死

比嘉和子さんは沖縄に戻った後、縁あって2人の連れ子がいる男性と再婚します。そして夫と名護市内で共に夏はかき氷屋、それ以外はたこ焼き屋をして暮らしていました。 連れ子2人との折り合いも良く平穏に暮らしていましたが、脳腫瘍を発症します。そして1974年3月に、50歳という若さで名護市内の病院で亡くなりました。 男尊女卑の風潮が色濃く残る時代の中で翻弄され続けた比嘉和子さんが、安らかに眠っていることを願ってやみません。

横井庄一さん、小野田寛郎さんの帰国

比嘉和子らと同じような状況下にいた人々もいます。 比嘉和子らが帰国を果たしたのち横井庄一さん、小野田寛郎さんが相次いで帰国を果たしました。 横井庄一さんは戦時中グアムに派遣され、その後終戦を知らされず終戦から約28年間グアムに潜伏していたとされています。 また小野田寛郎さんは戦時中フィリピンに派遣されフィリピンにて戦闘活動を行っていましたが、終戦後も知らせが届かず約29年間フィリピンで潜伏していました。 横井庄一さん、小野田寛郎さんが語る潜伏中の生活は想像を絶するものであり、情報が一切入らない隔離された場所での生活がもたらす危険性などが感じられる出来事となりました。

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