1分でわかる石狩沼田幌新事件
- 人食い熊により石狩沼田幌新地区の住民が襲われた
- 5名が死亡し3名が重傷を負うことに
- 日本史上2番目に被害の大きな獣害事件
石狩沼田幌新事件の概要
石狩沼田幌新事件は、獣害事件が起こった際に思い出されることも多いほど有名な事件です。 三毛別羆事件・札幌丘珠事件と並ぶ北海道での熊による獣害事件であり、3つの事件の中ではもっとも最近のものであることや事件が非常に凄惨なものであることが、多くの人の記憶に未だに残り続けている要因となっています。
1923年北海道沼田町で起きた熊の獣害事件
石狩沼田幌新事件は、1923年に北海道沼田町の幌新地区で起きました。 北海道沼田町内の恵比島地区で行われていた祭りに参加していた住民の一人が、帰路に就いている途中に熊に襲撃されたことが事件の発端です。 その後、最初に襲撃された人と同じ集落の人や、熊を倒すために立ち上がった猟師の人などが次々と襲われます。
日本史上2番目に大きな被害
石狩沼田幌新事件は日本の獣害史上2番目に犠牲者の多い事件ですが、もっとも犠牲者が多い獣害事件は同じく北海道でのヒグマによる獣害事件である、「三毛別羆事件」です。 三毛別羆事件は「ヒグマが複数回にわたり民家を襲撃し、開拓民7名もの人が死亡、3名が重傷を負う」という事件であり、1915年に起こりました。 これらの事件により、ヒグマの恐ろしさは北海道の住民を中心とした人々の脳裏に、ハッキリと刻まれることになります。
5名が死亡、3名が重傷
石狩沼田幌新事件では5名が死亡し、3名が重傷を負いました。 死亡者の中には当時15歳の村田幸次郎さん、その兄で18歳の村田由朗さんなどの若者やアイヌ出身のマタギである長江政太郎さんなどが含まれており、ヒグマに狙われることがどれだけ絶望的なことかが分かります。
人食い熊の残酷な行動
石狩沼田幌新事件は、人食い熊の非常に残虐な行動でもよく知られています。 最初の犠牲者となった村田幸次郎さんはヒグマによって撲殺されていますし、村田由朗さんは保存食として扱われ生き埋めにされました。 その他にも生きたままヒグマにくわえられて連れ去られた挙句、下半身をすべて食べられて絶命した犠牲者もいます。
石狩沼田幌新事件の原因
石狩沼田幌新事件は非常に凄惨な事件ですが、その事件を引き起こすきっかけとなったのは、我々人間の行動にあったと考えられています。 石狩沼田幌新事件の原因を知っておくことで、新たな獣害事件が発生することを避けられるかもしれません。
熊の餌を狙う外敵と勘違い
石狩沼田幌新事件で最初にヒグマが人間を襲った場所は、ヒグマが死んだ馬を保存食として埋めておいた場所の周辺でした。 そのため、たまたまその近くを通りかかった一行を「保存食を奪いに来た外敵」と勘違いして、ヒグマが襲撃した可能性が高いと言えます。 祭りで楽しい時間を過ごした人々にとって、この偶然はあまりの不運なことだとしか言いようがありません。
原生林に覆われた土地環境
周辺にヒグマがいることが分かったもののすぐに逃げられなかったのも、石狩沼田幌新事件が日本史上2番目に大きな獣害事件となった要因の1つです。 事件が起きた現場の周辺は原生林に覆われた環境であり、そのような場所では逃げようとしてもなかなかうまくいきませんでした。 そのため、近くの農家に逃げ込むという選択肢を取らざるを得ず、結果として被害がより大きくなってしまいました。
北海道における現在の獣害への対策
ヒグマによる獣害事件を何度も経験した北海道では、ヒグマに対する対策をしっかり行っています。 特に春は、ヒグマが冬眠から目覚めて活動が活発になる季節です。 そのため北海道では、4月1日から5月31日までを「春のヒグマ注意特別期間」として、特にヒグマに注意するように道民に呼びかけています。 過去の凄惨な事件を繰り返すことのないように、我々は経験から学ばなければなりません。