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ユーバーリンゲン空中衝突事故の全貌。スカイガイド社の管制体制の問題とは?

もくじ

1分でわかるユーバーリンゲン空中衝突事故

ユーバーリンゲン空中衝突事故

  • 2002年7月にドイツとスイスの国境で2機の航空機が空中衝突
  • この事故により両機に搭乗していた71名の乗員乗客71名が全員死亡
  • 原因はスイスの航空管制機関のシステムエラーで、後に責任者4名が有罪に

ユーバーリンゲン空中衝突事故の概要

(画像:Unsplash

「ユーバーリンゲン空中衝突事故」は、2002年7月1日に発生しました。21時35分というそれほど遅くない時間帯にも関わらず、航空機2機が上空34,890フィートで衝突したのです。 航空機を運航するにあたり、世界共通のルールが設けられています。航空機同士の衝突を避けるため、同じ高度で飛行させることは避けるのが原則です。しかしこの事故では、その原則が守られませんでした。 ここでは「ユーバーリンゲン空中衝突事故」の経緯を含めた概要について、詳述します。

2002年に起きたバシキール航空とDHLの飛行機空中衝突事故

「ユーバーリンゲン空中衝突事故」は、2002年7月1日21時35分に発生しました。スペインのバルセロナに向けてバシコルトスタン共和国ウファから飛び立ったバシキール航空2937便と、ベルギーのブリュッセルに向けてバーレーンを発ったDHL611便が空中で正面衝突したのです。 この事故の背景にはスイスにおける航空管制システムの問題と、航空機に搭載されている「TCAS」という防止装置と香薫管制のどちらを優先する科の国際基準が曖昧だったことがあげられます。詳しくは後述します。

DHLの垂直尾翼がバシキール航空機の中腹に衝突

2002年7月1日23時35分、ドイツ南部のユーバーリンゲンという街の上空で航空機2機が衝突しました。バシキール航空2937便の胴体に対して、DHL611便の垂直尾翼がぶつかったのです。 この衝突によって、2937便はたちまち空中分解して墜落しました。一方、ぶつかった方の611便は尾翼の80%を失ってしまい、操縦不能に陥ります。しばらく飛行を続けたものの、衝突から2分後に事故地点から7㎞先の森林に墜落しました。

搭乗していた71名全員が死亡した

衝突された側のバシキール航空2937便には乗員9名・乗客60名、計69名が搭乗していました。そしてその多くがバシコルトスタンの首都・ウファで暮らす、小中学生だったのです。選抜試験に合格し、スペイン旅行に招待された子どもたちが搭乗していました。 一方のDHL611便には、操縦士が2名乗り込んでいました。2機の乗員・乗客すべてである71名が、この空中衝突事故によって命を落としたのです。

ユーバーリンゲン空中衝突事故の原因

(画像:Unsplash

この事故の背景にはスイスの航空管制システムの問題があります。航空機の衝突防止装置と、航空管制のどちらを優先すべきかという国際基準が曖昧だったことも原因の1つです。 ここでは「ユーバーリンゲン空中衝突事故」の原因について、詳述します。

元々両機はコリジョンコースにいた

事故当日、チャーター便だったバシキール航空2937便はスペインのバルセロナに向けて出発します。そして事故が起こった時には36,000フィートの高度で飛行を続けていました。 一方の定期貨物便であるDHL611便はベルギーに向かうため、イタリアから出発していました。飛行高度が決まっていなかったため、操縦士が航空管制室に36,000フィートまでフライトレベルを上げたいとの希望と伝えます。 その後航空担当区域がスイスに変更され、DHL611便にはフライトレベルを上げる許可が下りました。しかしこの許可により2機は、そのまま進むと衝突してしまうコリンジョコースに入ることになります。

管制官による指示ミス

2002年7月1日23時34分42秒には2937便のコクピットで、衝突防止装置の「接近」「上昇せよ」という警告音が鳴り響きました。そして遅れること14秒後に、DHL611便でもTACSが「接近」「降下せよ」という警告を発していたのです。 航空管制官が2機が接近していることに気づいたのは、衝突のわずか43秒前でした。そして23時34分49秒に2937便に対し、「1,000フィート降下せよ」という指示をします。これにより、2機はコリジョンコース(衝突が想定されるコース)を飛行し続けることになったのです。

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