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植松聖被告から障害者介護の闇とは?思想や精神状態などを踏まえて迫る。

もくじ

1分でわかる植松聖被告

相模原障害者殺傷事件の犯人植松聖被告とは

  • 植松聖被告は2016年7月26日に起こった相模原障害者殺傷事件の犯人
  • 植松聖被告は被害者家族には謝罪したものの、障害者の殺傷に対しては正当性を主張
  • 裁判は2020年1月8日から始まるが、植松聖被告は「死刑でも控訴しない」としている

相模原障害者殺傷事件

相模原障害者殺傷事件は2016年7月26日未明に発生しました。植松聖被告が元の職場である神奈川県立津久井やまゆり園に侵入し、入居者を次々と刺し45名が死傷した事件です。 植松聖被告は相模原障害者殺傷事件を起こした後、津久井警察署に自首しており、取り調べを受けた植松聖被告は障害者を殺すことが犯行の動機であったと供述していました。 事件前に同僚に対し「重度障害者は安楽死させるべきだ」と発言していたこともあり、ヘイトクライム事件としても注目を集めることとなります。

 

事件からみる障害者介護の闇

逮捕された植松聖被告は相模原障害者殺傷事件を起こす前、政治家に犯行予告を届けています。そこには犯行現場となる施設の名前や動機、犯行後の要望などが綴られていました。 相模原障害者殺傷事件からみる障害者介護の闇は一体どのようなものでしょうか?

植松聖被告が送った手紙

植松聖被告は相模原障害者殺傷事件を起こす前、当時衆議院議長を務めていた大島理森議員の公邸を訪れ職員に手紙を手渡しています。 そこには植松聖被告の考えが綴られていました。

「私は障害者総勢470名を抹殺することができます。常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし保護者の疲れ切った表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。」「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。」

仕事内容に見合わない対価

相模原障害者殺傷事件の犯行動機が明らかになった際、植松聖被告の「障害者無用論」の背景にある社会問題について声をあげる人もいました。 津久井やまゆり園は知的障害者施設で、夜勤の際は1人で入所20人を担当していたといわれています。中には重複障害者も含まれており、収容人数も160人を超えていました。 そのため職員は十分に休みをとることもできずに疲弊し、宿直をしても月給は20万円前後という現実があります。仕事内容に見合わない対価について考えた時、植松聖被告の中に不満が生じた可能性があります。 植松聖被告が犯行現場としてかつての職場である津久井やまゆり園を選んだのはこのような背景があるのかもしれません。

「ヒトラーの思想が降りてきた」

植松聖被告は2016年2月19日に北里大学東病院に緊急措置入院させられます。そして措置入院中に、「ヒトラーの思想が降りてきた。」と発言しています。 ここではヒトラーの思想と植松聖被告は本当にヒトラー思想に影響されていたのでしょうか?

 

ヒトラーが行った優生思想によるT4作戦

T4作戦とはヒトラーの優生思想による安楽死政策のことで、1939年10月に開始され1941年8月に中止されています。このT4作戦によって、少なくとも7万273人が命を奪われました。 優生思想の根幹である優生学とは1883年にイギリスのゴルトン氏が提唱した、人種の先天的質の改良を目指すための学問です。 ヒトラーは自身が理想とする社会を築くために、人類を品種改良するという考え方のもとに精神障害者などを安楽死させていました。これはドイツで法制化されていたわけではなく、「民族の血を純粋に保つ」というナチズム思想に基づいて行われたことでした。

植松聖被告は本当にヒトラーに影響されたのか?

植松聖被告は2016年2月17日に津久井やまゆり園で一緒に勤務していた同僚に対し、「重度の障害者は安楽死させるべき」という趣旨の発言をしていました。上司を含めた施設側との話し合いの中では、「ナチス・ドイツの考えと同じだ。」と批判されています。 相模原障害者殺傷事件で逮捕・勾留された植松聖被告は後に取材の中で、措置入院中の 「ヒトラーの思想が降りてきた。」という発言の意味を問われています。 その際その発言には「それほど深い意味はない。」と答えていますが、植松聖被告は取材当時に「アンネの日記」を読んでおり「障害者を殺害したことは良いがユダヤ人虐殺は間違っていた。」と発言していました。

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