チャイナエアライン事故特集
台湾に本社を構えるチャイナエアライン(中華航空)は、1959年に設立された台湾最大の航空会社です。 1980年から2000年前半にかけては頻繁に死亡事故を起こしていた事から、当時は「空飛ぶ棺桶」と呼ばれていました。その後は安全管理体制に力を注ぎ、今では会社の評価も大きく上がっています。
チャイナエアライン611便空中分解事故
2002年に台湾海峡でチャイナエアライン611便が空中分解を起こし、機体がレーダーから忽然と消えてしまった衝撃的な航空事故です。 乗員乗客225名全員が死亡する大惨事は、チャイナエアラインにおいても初めてでした。機体には爆発跡や燃えた形跡もなかった事で空中分解した事が分かります。
チャイナエアライン611便空中分解事故の概要
2002年5月25日午後3時7分チャイナエアライン611便は台湾の中正国際空港(現在の台湾桃園国際空港)を離陸して目的地の香港へ飛び立ちます。 午後3時16分、航空管制から高度35000フィートに上昇するよう指示を受け、それに応答したのが最後のやり取りです。 午後3時28分、レーダーに映っていた611便の機影が忽然と消えます。機体は台湾の西約50キロにある澎湖(ほうこ)諸島の北東約18キロの台湾海峡に墜落します。
チャイナエアライン611便空中分解事故の原因
午後6時10分には捜索隊によって機体の残骸の主要部分が澎湖県馬公市(ほうこけんまこうし)の海域で発見されます。 1979年に作られた機体はすでに22年以上が経過しており、飛行時間も64000時間を超えていました。 事故機は1980年2月に空港に着陸する際、機体後部を地上に接触するしりもち事故を起こしています。この時、ボーイング社のマニュアルに従った修理がなされていなかった事や金属疲労が重なり機体が空中分解したと判明します。
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チャイナエアライン611便空中分解事故の被害
この事故で乗員19名と乗客206名のあわせて225名全員が亡くなりました。機体が空中分解した事で残骸が広範囲にわたり、その回収率は85%にとどまっています。 また乗客の持ち物が100キロ離れた台湾島中部の村で見つかったり、機体から落下してくる物品を回収した住民も数多くいました。 その為に犠牲になった乗客225名のうち、162名の遺体しか発見できていません。
チャイナエアライン120便炎上事故
2007年にチャイナエアライン120便が那覇空港に着陸すると同時にエンジンより出火し、爆発を伴って炎上した航空事故です。乗員・乗客あわせて165名が搭乗していました。 機体は全焼しますが、火災が広がる前に乗客全員が無事脱出できた事から死者は出ませんでした。
チャイナエアライン120便炎上事故の概要
台北を出発したチャイナエアライン120便は2007年8月20日午後10時27分に那覇空港に着陸します。その時、滑走路を移動していた機体から煙が出ている事に管制官が気付きます。地上の整備員も機体からの燃料漏れを確認しています。 着陸から5分後にエンジンより出火、地上に流れ出た燃料に燃え移り10時35分に機体が爆発します。 炎上前に乗客は全員機外に脱出しましたが、爆発時も残っていた運航乗務員2人も操縦席の窓より飛び降り難を逃れます。
チャイナエアライン120便炎上事故の原因
着陸後の機体から燃料漏れと発煙が確認されており、その原因究明が急がれました。 燃料タンクにボルトが突き刺さっている写真が公開され、ここから漏れた燃料がエンジンの余熱で発火炎上した事が判明します。 「ボルト脱落」が設計上のミスなのか製造過程によるものかが争点となりました。過去に設計上の要因でボルトが脱落していた事が判明し、2005年には製造元のボーイング社は航空各社に注意喚起していた事も判明しました。