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金川真大死刑囚による土浦連続殺傷事件とは。生い立ちや事件の経緯に迫る。

もくじ

1分でわかる土浦連続殺傷事件

土浦連続殺傷事件の要点

  • 2008年3月に茨城県土浦市で起こった通り魔事件
  • 犯行は2日にわたって行われ、9名の死傷者が出る
  • 2010年に犯人の刑が確定し、2013年に死刑執行

土浦連続殺傷事件の概要

「土浦連続殺傷事件」は2008年3月に、2日間もの間に当時24歳の犯人金川真大が9名を襲った通り魔事件です。そして「土浦連続殺傷事件」は、犯人により計画的に行われたものでした。 ここでは「土浦連続殺傷事件」の概要について、詳述します。

 

2008年に茨城県土浦市で起きた通り魔事件

「土浦連続殺傷事件」は、2008年3月の19日・23日の2日にわたって発生しました。 最初に事件が発生したのは、茨城県土浦市中村南です。19日9時20分過ぎ、自宅の玄関前にいた72歳の男性を背後から襲ったのが始まりでした。 犯人はその日は逃亡し都内に潜伏しましたが同月23日に再び茨城県土浦市に戻り、荒川沖駅で凶行に及びました。

2人が死亡、7人が負傷

「土浦連続殺傷事件」では2名の死亡者と、7名の負傷者が出ています。最初の犠牲者となった72歳の男性は、首を刺されたことにより事件当日の2008年3月19日に亡くなっています。 そしてより多くの人を殺害するために同月23日の11時過ぎに荒川沖駅に戻り、西口と東口で歩行者を次々と刺しました。 男性1人が死亡し、警察官を含む7名の負傷者が出る惨劇となりました。

犯人・金川真大の生い立ち

「土浦連続殺傷事件」の犯人は、金川真大です。彼は事件当時24歳でした。逮捕後の事情聴取の中で、死刑になりたいと話し、世間に大きな衝撃を与えました。 なぜ彼がそのような犯行におよぶことになり、またなぜ死刑になりたいと思ったのでしょうか。外務省に務める父を持ち、家庭には恵まれていたように見えます。続いては金川真大の人物像について詳述します。

生い立ち

金川真大は父親が外務省勤務だったことから、幼い頃から海外でを転々とする生活を送っており上海やニューオリンズで幼少期を過ごしています。 金川真大は6人家族の中では比較的真面目でおとなしい長男でした。しかし金川真大が小学校に入学する頃から、父親のしつけは厳しくなります。 そして金川真大に対し成績優秀であることを求めますが、それを実現できない息子を小学校3年生の頃には見放してしまいました。その結果として金川真大は、劣等感を抱えるようになったと考えられています。 1983年10月13日に、金川家の初めての子供として生まれました

 

高2の夏頃から内面が変化

父親は成績優秀であることを求めていたものの、母親は人間力を伸ばす育児を実践していました。そのため金川真大は高校入学後、弓道部で練習に打ち込み全国大会にも出場する腕前に成長したほどです。 一方で金川真大は高校2年の夏には超常現象に興味を持ち始め、弓道部の部室で瞑想や座禅に傾倒し始めます。さらに「子どものための哲学対話」という書籍を父親から与えられたことで、世の中の常識を疑い始めるようになりました。 この書籍との出会いが、後々の死刑になりたいがために人を殺すという思想につながっていったようです。

大学進学も就職もせず自殺願望を持っていた

金川真大は高校3年に進級した際には、私立の文系大学への進学を希望していました。しかし9月になる頃には進学への意欲を無くし、就職を希望するようになります。 高校教諭の紹介で土浦市内にある和菓子会社の面接を受けましたが、工場見学だけで帰されたうえに不採用となります。不採用を決めたのは企業でしたが、金川真大はその結果を紹介者である高校教諭のせいだと思い込んでいたようです。 さらに単位の問題で卒業が危ぶまれるなどのトラブルもあり、何とか高校は卒業したものの大学進学も就職もしませんでした。その時期の金川真大は、友人に自殺願望があると打ち明けています。

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