大阪富田林署から逃走した樋田淳也
大阪富田林署から逃走した樋田淳也
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強姦と窃盗で逮捕された樋田淳也容疑者
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弁護士との接見中に富田林書から逃走
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日本中を逃走し49日後に山口県内で逮捕
2018年8月12日、大阪府警富田林署に強姦と窃盗の容疑で勾留されていた樋田淳也容疑者(ひだじゅんや、当時30歳)が弁護士との接見中に逃走しました。 樋田淳也容疑者は無関係の男性と共に自転車で日本一周を目指す旅行者を装って逃走を続けましたが、49日後の9月29日に山口県周南市の道の駅で万引きし逮捕されています。
2018年に起きた脱走事件
当時30歳だった樋田淳也容疑者は2018年5月以降に強制性交や強盗致傷を何度も繰り返したとして合計4回逮捕されていました。 8月8日から大阪府の富田林警察署に勾留されていた樋田淳也容疑者は8月12日に弁護士と接見していた際にアクリル板を破って外部へ逃走したのです。 42歳の巡査部長が樋田淳也容疑者の勾留中にスマホで不適切な動画を視聴するなど富田林警察署の対応も批判され、署長など7人が減給や戒告などの懲戒処分を受けています。
約1ヶ月半後に山口県で逮捕
樋田淳也容疑者が強姦や窃盗などの犯罪を繰り返していたため、逃走により大阪府に住む女性や児童・生徒は不安を抱えることとなり集団登下校も行われました。 ところが約1ヶ月半後に樋田淳也容疑者が逮捕されたのは地元の大阪府ではなく約400km離れた山口県周南市の道の駅です。 樋田淳也容疑者は富田林署から逃亡した後に兵庫県などを経由して四国に入りお遍路を装います。本州に戻ると自転車旅行者を演じて瀬戸内海沿いに移動していました。
樋田淳也(ひだじゅんや)容疑者
樋田淳也容疑者は1987年12月29日に大阪府松原市で生まれました。父親は市役所に勤務していましたが2008年頃に亡くなっています。 樋田淳也容疑者は裕福な家庭で育ったと見られており、実家は大地主だったという情報もあるほどです。小学生の頃は明るい性格でボーイスカウトにも参加していましたが、中学生になってから不良グループと付き合うようになります。彼は一体どんな人物だったのでしょうか。
強制わいせつや住居侵入で1度目の逮捕
樋田淳也容疑者は高校2年生の時に車を盗んで初めて逮捕され少年院に入ったという情報がありますが、元同級生を名乗る人物がTwitterで明かしたのみで裏付けは取れていません。 確認できる限りでは樋田淳也容疑者が1度目に逮捕されたのは2018年5月24日に大阪市阿倍野区のマンションに侵入して女性を刃物で脅迫した事件です。 女性が受けた被害は胸を触られるというもので、樋田淳也容疑者は強制性交未遂と住居侵入の容疑で8月8日に逮捕されました。
加重逃走や窃盗の罪で2度目の逮捕
樋田淳也容疑者は複数の事件を起こした疑いで富田林署に逮捕されています。5月25日には盗んだバイクを保管していた容疑で逮捕されたものの不起訴となりました。 6月15日の逮捕容疑は窃盗と、女性のマンションに侵入し性的暴行した住居侵入と強制性交です。7月12日にも窃盗と強盗傷害容疑で逮捕されました。 8月8日に逮捕されて12日に逃走した後、樋田淳也容疑者は9月29日に山口県周南市にある道の駅で食料品を盗んだ窃盗容疑で逮捕・釈放され、翌日に加重逃走容疑で再逮捕されています。
富田林署のずさんな体制
(画像:Unsplash)
樋田淳也容疑者が勾留中に逃走することを許したため富田林署はずさんな体制を厳しく批判されました。樋田淳也容疑者が逃走できた直接的な理由は接見室のアクリル板が老朽化し防犯ブザーが作動しなかったことです。 防犯メールと防災無線による注意喚起も逃走から約10時間後と遅くなったため、特に近隣住民からは富田林書への不信感が募りました。富田林署はどのような体制をとっていたのでしょうか。
弁護士の接見終了に気づかなかった警察
樋田淳也容疑者が接見室で弁護士に会ったのは2018年8月12日午後7時半で、およそ30分後に弁護士が立ち去ってから脱走しました。 午後8時頃に樋田淳也容疑者が逃走したのに、富田林署が逃走事実を把握したのは午後9時45分です。 接見室の防犯ブザーは「弁護士が接見終了時に知らせてくれる」という理由で電源が切られていました。さらに接見室と隣室に誰もいなかったため弁護士が帰ったことを知らなかったのです。