1分でわかる沙織事件
1分でわかるニュースの要点
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1991年にアダルトゲーム関係者と販売店が逮捕
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きっかけは未成年によるアダルトゲームの万引きだった
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事件によってゲームの審査と規制を行う業界団体が設立
沙織事件の概要
沙織事件は1991年に発生した、1件の万引き事件によって引き起こされました。未成年の少年がアダルトゲーム「沙織 美少女達の館」を万引きしたところ、なぜか少年の万引き行為ではなく、ゲームの存在自体が問題視されたのです。これによって発売元や販売店が次々に摘発されました。
未成年が「沙織 美少女達の館」を万引き
1991年、京都府在住のある男子中学生が、ゲームショップからアダルトゲーム「沙織 美少女達の館」を万引きする事件が起きました。このゲームは当時7800円で販売されており、中学生にとっては高額な商品でした。 通常であれば、未成年が犯人の窃盗罪ということで終わるはずでしたが、この万引き事件が意外な展開を迎え始めます。 当時の社会は犯罪を犯した男子中学生ではなく、男子中学生が万引きしたアダルトゲームの方に注目しました。このアダルトゲームの販売店と販売元に対して、未成年の性的な興味を無闇に引く有害なコンテンツだとして、不当なバッシングを始めたのです。
当時は有害コミック騒動が盛んだった
沙織事件が起きた1991年当時は、主に漫画を中心とした悪書追放運動、いわゆる有害コミック騒動の真っ最中でした。 有害コミック騒動とは、青少年の健全育成を名目として、性的あるいは暴力的内容の漫画作品を排除する運動のことです。こういった運動は戦後まもなくから、PTAら父母の団体がリーダーとなって、何度のなく繰り返されています。 1990年から1992年頃は、有害コミック騒動が特に活発化した時期でした。その背景には日本中を騒がせた、1989年の宮崎勤の連続幼女殺人事件があります。宮﨑勤がオタク趣味だっため、無関係なアニメや漫画まで批判され、有害コミック騒動が激化したといわれています。
発売元が摘発された
こうした時代背景のせいで、単なる万引き事件からゲームの販売元や販売店が摘発される事態へと発展しました。 1991年11月25日、京都府警の少年課は「沙織 美少女達の館」の発売元である有限会社キララ(現在のエフアンドシー株式会社)および親会社ジャスト、万引き被害に遭った家電販売店などを摘発しました。 この摘発によって、当時のジャスト社長やキララの関係者が猥褻図画販売目的所持で逮捕されています。対象となったのは「沙織 美少女達の館」以外に、「ドラゴンシティX指定」など計4本のゲームです。
コンピュータソフトウェア倫理機構の設立へ
事前のアダルトゲーム業界には、性描写に関する規制はほぼありませんでした。しかし事件以後、公的な規制が強化されるに従って、業界内でも自主規制の動きが出てきます。そして業界内の審査機関として、コンピュータソフトウェア倫理機構が設立されました。
政府による規制強化
沙織事件や有害コミック騒動の影響は、社会や警察だけでなく、行政にも及んでいます。その一端が1991年、衆議院本会議ならびに参議院本会議で採択された法的規制の強化です。 こうした行政の動きによって、日本各地の自治体で青少年保護育成条例などが一斉に改正されました。 具体的には東京都議会で、有害図書類の規制に関する決議が行われ、実施されています。また当時の政府与党だった自民党内に、子供向けポルノコミック等対策議員懇話会が設置され、麻生太郎氏が会長に就任しています。
作品には審査が行われるように
1991年当時のアダルトゲーム業界には、統一された規制基準などは存在しませんでした。メーカー各社の自主性に任せだったのが実情です。 沙織事件の発生と法的規制が強まった結果、アダルトゲーム業界全体に自主規制の動きが出てきました。そんな中で生まれたのがコンピュータソフトウェア倫理機構と、日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(パソ協)です。 特にコンピュータソフトウェア倫理機構は、アダルトゲームの審査で15禁や18禁などのレイティング表示(年齢制限の可視化)に大きく貢献しました。