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桶川ストーカー殺人事件は警察の対応が問題の殺人事件。ストーカー規制法制定や犯人の小松和人とは?

 

もくじ

1分でわかる桶川ストーカー殺人事件

桶川ストーカー事件

  • 警察の対応次第では防げた可能性がある事件
  • ストーカー規制法のきっかけとなった事件
  • 警察も裁判にかけられた事件

「桶川ストーカー殺人事件」では元交際相手の男性とその仲間たちによって女子大学生が殺害されました。昼間の桶川駅西口から歩いて2分ほどのところが事件の現場でした。殺害された女学生は元交際相手と親交があった男性とその仲間4人で行われました。 殺害された女子大学生と交際があった男性は事件から1年が過ぎたころ自殺しました。拒否しているのに強制的に付き合いを求めたり、つきまとうとか待ち伏せるなどの行為が法律で規制されないことで議論が沸き上がった「桶川ストーカー殺人事件」とはどんな事件だったのか真相を解説します。

桶川ストーカー殺人事件の概要

(画像:Unsplash

元交際相手が東京都文京区にある跡見学園の女学生の殺害を依頼したのは兄でした。兄は仲間4人とナイフで殺害しました。元交際相手の仲間たちに殺害された「桶川ストーカー殺人事件」とはどんな事件だったのでしょうか。 テレビでドラマ化されたほど社会に強いインパクトとを与えた事件の真相に迫ります。

被害者女性は小松和人と交際していた

当時21歳だった被害者の猪野詩織(いのしおり)さんは友人と2人で埼玉県の大宮駅東口にあるゲームセンターで当時27歳だった小松和人と知り合いました。 その後2人の交際がスタートしました。 2人は毎週1回の食事とドライブに出かけ、小松和人はグッチの腕時計、プラダのリュックサックなどのプレゼントを贈るなど優しい態度で交際をしていました。

小松和人は身分、名前を偽り交際をしていた

小松和人は名前を「誠」と偽っていました。また当時27歳だった年齢を3つ下の24歳と言っていました。 さらに、風俗店の経営者だったにもかかわらず、外国車を売買するフリーのブローカーをしていると噓をついていました。 また、高額な年収を得ているといった嘘もついていたことが明らかになりました。

関係が悪化し被害者女性が持ち出した別れ話でトラブルに

被害者の猪野詩織さんは何回も高級なプレゼントが贈られるなど小松和人のお金の使い方が派手で違和感を持っていました。 ある日小松和人がいつものように高級なプレゼントを猪野詩織さんに贈ろうとしました。しかし猪野詩織さんはこれをを受け取りませんでした。 そのことで小松和人は激怒しました。猪野詩織小松和人の怒った時のことばや安定しない感情などに恐怖を感じ、別れ話持ちだしました。そのことから拒否しているのにプレゼントを贈ったり、暴力を振るったりするようになっていきました。

小松和人による嫌がらせや脅迫が頻繁に起きた

小松和人による嫌がらせや脅迫が頻繁に起きました。短い間隔で携帯電話に電話をしたり、電話に出ないと自宅に電話したりするなどの嫌がらせを行っていました。 また被害者の父親の会社に真実ではない悪口が書かれた手紙を多く送っていました。また散歩の時に一緒にいる犬を殺すとか家庭を破壊してやるといった脅迫をしていました。 さらに、自宅に押しかけて今まで贈ったプレゼント代を返せと、高額なお金を要求していました。

小松和人は兄である小松武史に2000万円で被害者女性の殺害を依頼

小松和人には違法な風俗店を一緒に経営している兄がいました。 小松和人は兄である小松武史に2000万円で交際相手の猪野詩織さんの殺害を依頼しました。 小松武史は知り合いである元暴力団の久保田祥治とその仲間である伊藤嘉孝、川上聡に殺害をして欲しいと依頼をしていました。

小松和人は事件後、北海道で自殺

小松和人は殺害を依頼した後に犯行にかかわっていないことを証明するために沖縄に向かいました。 猪野詩織さんは、兄から殺害の依頼を受け集められた元暴力団員の久保田祥治を含めた4人のグループに、埼玉県桶川市のJR桶川駅から2分ほどのところにあるショッピングモール(おけがわマイン)付近で上半身の2ヶ所をナイフで刺され、病院に搬送されましたが大量出血で死亡しました。 小松和人は名誉毀損容疑者として指名手配され、逃走中に遺書を残し北海道の屈斜路湖で自殺しました。

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