1分でわかるおふくろさん騒動
1分でわかるニュースの概要
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森進一が紅白歌合戦で歌詞を一部改変し歌唱
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川内康範がのちにその事実を知り著作権侵害を訴える
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2008年11月に条件付きで歌唱を許可
おふくろさん騒動の概要
(画像:Unsplash)
「おふくろさん騒動」とは、川内康範氏が森進一氏に対し著作権侵害を訴えたもので2007年に起こりました。川内氏が作詞した「おふくろさん」を歌う際に、森進一氏が勝手に歌詞を変えたことが理由でした。 「おふくろさん騒動」は当初は芸能ニュースとして扱われていましたが、マスコミ報道により騒ぎが大きくなりました。ここでは「おふくろさん騒動」について説明します。
おふくろさん騒動の関係者
(画像:Unsplash)
「おふくろさん騒動」に登場するのは、作詞家と歌手の2名です。作詞家が川内康範氏、歌手は森進一氏です。この2名はかつて、父子同然の関係といわれていました。 ここでは「おふくろさん騒動」について説明する前に、関係者である川内氏と森氏についてお話しします。
森進一
森進一氏は、日本では著名な歌手の1人です。1947年に山梨県甲府市で生まれ鹿児島で育ちました。母子家庭だったことから中学卒業と同時に集団就職で大阪に移住し家に仕送りをしていたといいます。 1965年にテレビ番組に出場して優勝したことでプロダクションの目に留まり、1966年に演歌歌手としてデビューしました。その際に声を潰し、ため息のようにかすれ声で歌うスタイルを確立したそうです。 「おふくろさん」をはじめ「襟裳岬」や「冬のリヴィエラ」など、数多くのヒット曲があります。
川内康範
作詞家・脚本家・政治評論家・作家として活躍した川内康範氏は1920年、北海道函館市に生まれました。1941年に東宝演劇部に入社したことをきっかけに舞台の脚本を書き始め、その後退社して劇作家としての活動を始めました。 1958年頃から作詞をはじめ「恍惚のブルース」や「伊勢佐木町ブルース」「骨まで愛して」といったヒット曲を手掛けました。しかし加齢による体力面での問題から、2000年代に入ってからは公の場に出ることはなく「おふくろさん騒動」で久々にメディアに登場することになりました。
おふくろさん騒動の経緯
(画像:Unsplash)
「おふくろさん騒動」の発端は、2006年12月31日に放映された第57回NHK紅白歌合戦でした。森進一氏が歌った「おふくろさん」に、川内康範氏が作詞したものではない台詞と知らないメロディーが加えられていました。
2006年の紅白歌合戦で森進一が歌唱
2006年12月31日、第57回紅白歌合戦で森進一氏は「おふくろさん」を熱唱しました。 そのとき森氏は、イントロに入る前に「いつも心配かけてばかり いけない息子の僕でした 今はできないことだけど 叱ってほしいよ もう一度…」という台詞を言いました。 しかしこの台詞は、1971年に発売された「おふくろさん」の原曲にはないものでした。その発端は1977年に行われた森進一ショーで、前の曲から「おふくろさん」がうまくつながらなかったことがありました。そのため「おふくろさん」の作曲者である猪俣公章氏が曲を加え、森氏の舞台構成を務めていた保富康午氏が台詞をつくって歌われたのです。
2007年2月に川内康範が著作権侵害を訴える
「おふくろさん」の作詞者である川内康範氏は、1977年から新たにフレーズが加えられ歌われていたことを知りませんでした。川内康範氏がその事実を知ったのは2007年1月です。ライターの石橋春海氏がプレゼントしたCDの中に、2006年12月31日に森進一氏が歌った「おふくろさん」が含まれていたことにより発覚しました。 その後川内康範氏はマネジャーを介して、森進一氏サイドに連絡をとりました。そして2名は会って話し合う約束をしたものの、森進一氏がドタキャンします。川内康範氏の怒りは頂点に達し、同年2月に著作権侵害を訴えるに至りました。