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日生学園は人権を無視した厳しすぎる校則の全寮制学校。教育と体罰の線引きの難しさ。

もくじ

1分でわかる日生学園

1分でわかるニュースの要点

  • 1980年代後半まで厳し過ぎる校則で有名
  • 暴力事件や不審死が頻発
  • 現在で校名も変更され進学校

日生学園の概要

かつて厳しすぎる規制でマスコミを賑わしたのが、近畿圏で大きな勢力を持っていた日生学園です。芸能人や著名人も多く輩出していた名門校ですが、軍国教育を施し暴力事件が黙認されていたとされています。具体的にはどういった事態に陥っていたのでしょうか。

規則が厳しい全寮制の学校

日生学園は校則が恐ろしく厳しいことで有名な全寮制の学校です。1965年に青田剛が三重県上野市に創設し、最盛期には第三校までありました。その校風は旧日本軍を彷彿とさせるものです。 全員丸刈り、4時に起床し大声で挨拶することは基本中の基本でした。掃除に至っては埃1つも許されず、便器は素手で汚れを落とすことが義務付けられます。 一流の人間を創り上げることを目的にストイックを極限まで極めるのがコンセプトであったといえるでしょう。

脱走や体罰は日常茶飯事

人間を極限まで追い込もうとすれば拒絶反応を示す者も出てきます。日生学園では脱走が頻繁に実行されていました。坊主頭の高校生が逃亡していれば目立ちます。 学園周辺に住む人々も慣れたもので、脱走する生徒を見かければ通報していました。連れ戻されると教員や先輩からの厳しい体罰を与えられることが繰り返されます。 日本軍が実践していた軍国教育そのものであり、1980年代後半まで行われていたのですから驚きを隠せません。

自殺も起きていた

来る日も来る日も極限まで追い詰められ、脱走すれば体罰が待っている生活に絶望する若者もいました。集団での暴力行為や不審な死亡事故のほか自ら命を絶った事件も1件確認されています。 学園には「一流の人間に育てたい」「不良少年を更生させたい」との想いで子供を預けた両親が大半です。それだけに変わり果てた姿に愕然としたことでしょう。 しかし学園側は哀しい事実を公にすることはありませんでした。こうなると教育ではなく学園ぐるみの「いじめ」だといえます。

週刊誌により存在が明るみに

教員や上級生による体罰が日常化した日生学園は、教育の場としての理性を失っていきます。極限状態の中で誰もが感情をコントロールすることができなくなり体罰はエスカレートするばかりでした。 自殺や暴力事件、不審死などが相次ぐと閉ざされた学園内の様子が外部に漏れ始めます。ついには週刊誌が噂を嗅ぎ付け、複数の関係者の取材に成功します。 こうして日生学園の実態が明らかになり行政指導や国政調査が行われ、ようやく学校本来の姿に改善されました。

日生学園の現在

軍国教育を彷彿させる指導で一世を風靡した日生学園も実態が明らかとなり指導方針の変更を余儀なくされます。もちろん学園に感謝する人がいたことも事実ですがやり過ぎたのは事実です。現在では大きく変貌した学園の姿とは如何なものでしょうか。

校名の変更

日生学園は校名を「桜が丘」「青山」「自由が丘」と変更して存続しています。私立学校の経営は決して楽なものではありません。 教員を招へいするにも高いお金が必要です。全寮制であれば設備も充実させなくてはなりません。学生から徴収する学費だけで賄える私立学校は皆無といえるでしょう。 言い換えれば、1度汚名がついた学校はイメージを一新するための思い切った方向転換が必要です。その点外部から見て最もわかりやすいのが校名の変更だったといえるでしょう。

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