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徐裕行による村井秀夫刺殺事件を徹底解説。暴力団・北朝鮮との関連に迫る。

もくじ

1分でわかる村井秀夫刺殺事件

ニュースの要点

  • 村井英雄は当時、オウム真理教のNo.2だった
  • 村井は200人ほどの報道陣の前で刺され、翌日死亡
  • 山口組系構成員だった徐裕行を現行犯

【関連記事】オウム真理教による事件。

村井秀夫刺殺事件の時代背景

この事件の背景にあったオウム真理教です。オウム真理教は当時あった新興宗教法人で、1988年より様々な事件を引き起こしていました。 そして村井は当時、オウム真理教のNo.2でした。

地下鉄サリン事件が起きたすぐ後だった

「地下鉄サリン事件」は1995年3月20日に起こった同時多発テロ事件です。通勤ラッシュを迎えていた8時過ぎに、帝都高速度交通営団(現・東京メトロ)の丸ノ内線・日比谷線・千代田線を走る地下鉄車内で起こりました。 同月22日にはオウム真理教の事件への関与が判明し、同年4月12日以降には林郁夫・新見智光・早川紀代秀といった幹部クラスの信者が逮捕されます。 それによりオウム真理教No.2である村井への取材が過熱する中で、「村井秀夫刺殺事件」は起こりました。

村井秀夫に疑いがかかっていた

地下鉄サリン事件の2日後である1995年3月22日、オウム真理教の教団施設25カ所で家宅捜索が行われました。 その際本拠地であった山梨県西八代郡上九一色村(現・南都留郡富士河口湖町)において、サリン製造に使われるイソプロピルアルコールや三塩化リンといった薬品が見つかりました。 村井秀夫はオウム真理教No.2であると同時に、科学技術省大臣でした。そのためサリン製造に関わったという、疑いがもたれていました。

村井秀夫刺殺事件の概要

「村井秀夫刺殺事件」が起こった当時、オウム真理教の幹部が逮捕され村井自身の関与も疑われていました。そのためマスコミ報道が過熱しており、テレビカメラも数多く集まっていた中で事件が起こります。 その結果として事件の模様が、何度もニュース映像として放映されることになります。

オウム真理教の本部ビル前で村井秀夫は徐裕行により殺害される

事件は、オウム真理教教団東京総本部ビルの前で発生しました。教団幹部が東京総本部に出入りする時には、地下通用口を使うのが常でした。しかしこの日は施錠されており、村井は1階の出入り口を使うことを余儀なくされました。 そして、村井はビルの前で待ち構えていた200人以上の取材陣にあっという間に囲まれました。そうした状況の中で、村井は男性によって続けざまに刺されました。

刃物で刺され殺害された

村井秀夫は地下からの外階段を使い、東京総本部の1F出入り口に向かっていた時に襲われました。犯人である徐裕行により、左腕と右わき腹を続け様に刺されました。 村井はすぐに救急車で病院に搬送されましたが、右わき腹に受けた傷は13cmもの深さでした。それが致命傷となり、事件翌日である1995年4月24日2時33分に出血性ショックによる急性循環不全で死亡しました。

村井秀夫刺殺事件の犯人・徐裕行

「村井秀夫刺殺事件」は多くの報道陣の目の前で起こり、犯人である徐裕行は現行犯逮捕されました。しかし取り調べから裁判、出所後と事件の動機は二転三転しています。

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