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宮崎勤事件は史上最悪の連続幼女誘拐殺人事件だった。オタクへの偏見や小児性愛とは?

もくじ

1分でわかる宮崎勤事件

1分でわかる宮崎勤事件

  • 宮崎勤死刑囚の連続幼女誘拐殺人事件
  • 社会に適合しきれなかった宮崎勤死刑囚
  • オタクへの影響も強く

宮崎勤死刑囚による連続幼女誘拐殺人事件

宮崎勤死刑囚による連続幼女誘拐殺人事件とは

  • 幼女ばかりを狙って4件の連続誘拐・殺人事件を犯した
  • 漫画やアダルトを含むビデオ収集が趣味で、事件はオタクへの偏見を生んだ
  • 反省の弁や動機が語られることなく死刑が確定・執行された

連続幼女誘拐殺人事件で発生した4つの事件

宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件は日本の犯罪史上最悪の幼児誘拐殺人事件です。無残にも4歳から7歳までの幼女4人が犠牲者となりました。4件の事件は比較的短期間に立て続けに発生し、世間を震撼させました。4件の殺人事件に迫ります。

埼玉県入間市で発生した1つ目の事件

1件目の事件は1988年8月22日に埼玉県入間市で発生しました。宮崎勤は4歳の女児に同市歩道橋で巧みに声をかけては誘い出し、その日の夕方五日市町(現あきる野市)の山林で首を締めて殺害しました。 警察は身代金目的の誘拐事件の可能性を踏まえ慎重に捜査を開始しますが犯人からの連絡はなく、のちに公開捜査に踏み切りました。

埼玉県飯能市で発生した2つ目の事件

宮崎勤はこの事件のあと殺害して死後硬直で固くなった遺体に対してわいせつ行為を行い、その様子をビデオ撮影するという行動に出ました。のちに精神障害が疑われたのはこの奇怪な行動も一因でした。 この事件の捜索に進展がないまま第2の事件が発生します。1988年10月3日埼玉県飯能市で7歳の女児が誘拐されます。宮崎勤は路上で「道がわからなくなったのでおしえてくれるかい。」などと話し、車に乗せて誘拐し同じく五日市町の山林で首を締めて殺害したのでした。

埼玉県川越市に発生した3つ目の事件

第3の事件は、第2の事件から2か月後の1988年12月9日に起きました。埼玉県川越市に住む4歳の女児を誘拐しますが、全裸にして写真を撮ったあと、泣き止まない女児の首を絞めて殺害しました。そして遺体はこれまでと別の名栗村(現飯能市)の山林に遺棄しました。 第1・第2の事件と異なってこの事件では遺体は早くに発見されたこともあり、埼玉県警でも殺人事件として捜査本部が立ち上がりました。

東京都江東区で発生した4つ目の事件

第3の事件後犯行声明文を被害者宅や新聞社に送るなどの行動をとった宮崎勤ですが、第4の事件は第3の事件の約半年後の1989年6月6日に起きました。東京都江東区東雲の団地に住む5歳の女児を誘拐し、これまでと同様に車に乗せて首を締めて殺害しました。 殺害後遺体を自室に運び込んでビデオ撮影するなどした宮崎勤は自宅でノコギリなどを使って遺体を切断し、飯能市の霊園や五日市町の山林などに投棄しました。

宮崎勤の生い立ち

このように4人の幼女を誘拐しては残酷無比に殺害を繰り返す宮崎勤の生い立ちとは、いったいどういったものだったのでしょうか。ここでは幼少期から学生時代を経て社会人生活に至るまでの宮崎勤について見てみましょう。

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