1分でわかる三島女子短大生焼殺事件
三島女子短大生焼殺事件の真相
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バイトから帰宅途中の女子短大生が拉致され強姦
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女子短大生は生きたまま焼殺
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犯人は死刑判決を受け刑が執行
三島女子短大生焼殺事件の概要
2002年1月22日静岡県三島市の山中で女子短大生が拉致され、強姦後生きたまま焼き殺されるという恐ろしい事件が起こりました。事件は発生場所の名前から三島女子短大生焼殺事件と呼ばれています。普通の女子短大生がなぜこのような非人間的で残酷な事件に巻き込まれたのか、事件の経緯を振り返ります。
女子短大生がバイト帰りに服部純也に拉致監禁される
被害者は三島市の自宅から新幹線通学で神奈川県秦野市にある上智短期大学に通う普通の女子短大生でした。 その日は夜11時までJR三島駅近くの居酒屋でアルバイトをして、自転車で自宅に帰っていました。彼女は国道136号線を走っているとき車に乗った服部純也に声をかけられましたが、それを無視しました。 無視されたにもかかわらず服部純也は執拗に女子短大生に迫り、彼女が悲鳴をあげたため無理矢理車の後部座席に押し込んで車を発進させました。
服部純也は山中で女子大生を強姦
服部純也は女子短大生を拉致した時点で既に強姦を企んでいたようです。服部純也は勤務先の建設事務所から車で10分程度の山中に女子短大生を連れて行き、「ぶっ殺すぞ」などど言って彼女を脅迫し続けました。 山中で車を止めた服部純也は後部座席に移動し、脅されて恐怖感から抵抗する気力を失っている女子短大生を全裸にして強姦しました。 理不尽に強姦された女子短大生は根も尽き果て、ものも言えない状態だったと思われます。
女子短大生に灯油をかけ焼死させた
服部純也は当初女子短大生をどこかで解放しようとも考えていたようです。ところが車で彼女を連れ回しているときに覚醒剤仲間から電話が入り、覚醒剤用の注射器を持ってくるよう頼まれます。 服部純也は覚醒剤仲間からの電話を切っ掛けに自分も覚醒剤を打ちたくなり、女子短大生が邪魔になったため彼女の殺害を考えるようになりました。 自宅に覚醒剤の注射器を取りに帰った際、玄関にあった灯油のポリタンクに気づきました。服部純也は女子短大生を焼いてしまえば証拠が残らないのではないかと考え、ゴルフ場近くの市道の路肩で彼女をガムテープで縛り、頭から灯油をかけて生きたまま焼き殺しました。
三島女子短大生焼殺事件の犯人:服部純也
三島女子短大生焼殺事件の犯人・服部純也はどのような人物だったのでしょうか。とても常人の神経では実行不可能と思われる人を生きたまま焼き殺すという蛮行を犯した彼の幼少時代から犯行までの人生はどのようなものだったのでしょうか。人間・服部純也に迫ります。
昔から素行が悪かった
服部純也は1972年北海道上川町で四人兄弟の次男として生まれました。彼が生まれてまもなく一家は事件の舞台となる静岡県三島市に引っ越しました。 一家の暮らしは貧しく、服部純也は母親からは育児放棄されるとともに父親からは暴力を振るわれて育ちました。愛情らしい愛情を受けずに幼少期を過ごしたようです。 服部純也は子供の時から窃盗壁があり、中学3年生のとき窃盗で初等少年院に送られています。17歳のときにも窃盗で中等少年院に送られましたが、その後も窃盗の非行はやまず保護観察処分を受けています。
強盗での前科や覚せい剤の使用もしていた
服部純也は20歳の時中学校の同級生と結婚し2人の子供ももうけています。その後も彼の非行はやむことはなく、やがて覚醒剤取締法違反と道路交通法違反で懲役1年6ヶ月、執行猶予4年の判決を受けます。 23歳になった服部純也は執行猶予期間中にもかかわらず共犯の男と一緒に自転車で帰宅中の男性を襲い、強盗傷害事件を起こします。 この事件で服部純也は4年6ヶ月の実刑判決を受け服役します。妻とは服役中に離婚しています。
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