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マレーシア航空370便墜落事故の真相とは?6年経っても謎多き航空事故の全貌。

 

もくじ

1分でわかるマレーシア航空370便墜落事故

1分でわかるマレーシア航空370便墜落事故

  • 2014年3月8日にマレーシア航空370分が消息を絶つ
  • 2015年7月29日に同機の残骸の一部が発見される
  • 2017年1月にマレーシアをはじめとする公的機関が捜索を中止

海外旅行者に人気が高いマレーシア航空ですが、2014年に航空機が消息を絶つという事件が起こっています。賢明な捜索にも関わらず消息をつかむことができず、機体の一部が見つかったもののフライトレコーダーの回収には至りませんでした。そのため2017年には公的機関による捜索が中止されています。

マレーシア航空370便墜落事故の概要

(画像:Unsplash

「マレーシア航空370便墜落事故」は2014年3月8日に発生しました。乗員12名を含む239名が乗ったマレーシア航空370機は0時41分にクアラルンプール国際空港を出発しましたが、1時30分に管制当局と交信したのを最後に行方がわからなくなったのです。

2004年に起きたマレーシア航空の墜落事故

「マレーシア航空370便墜落事故」が管制当局に認識されたのは、2014年3月8日の1時30分を過ぎてからです。 マレーシア航空370機は同日1時30分にスルタン・アブドゥル・アジズ・シャー空港の管制当局と交信した後、管制当局との交信を絶ち、救難信号も出さないまま忽然と姿を消したのです。 マレーシア航空370機はマレーシアの航空管制レーダーだけではなく、タイの軍事レーダーからも同時に姿を消していました。

インド洋周辺に墜落したと推定される

2014年3月18日にタイ政府は、タイ軍の軍事レーダーがとらえたマレーシア航空370機の飛行経路データを公表しました。その発表によると同年同月8日の1時22分までは、同機の飛行経路のデータは正常に受信できていたとされています。 しかしその後は機影がレーダーから消え、同日1時28分に同機からの正体不明の信号を受け取ります。その時点で同機は、本来の飛行進路とは逆の方向を向いていました。 その後機体がレーダーから消えたことで、インド洋周辺に墜落したと考えられました。

2015年にマレーシア政府が乗客乗員の全員死亡を発表した

マレーシア航空370機がレーダーから消失したことを受け、ベトナム人民空軍が捜索を開始します。そして同機が消失したとされるトーチュー島の南約140㎞地点の海面に、煙と油膜が広がっていることが確認されたのです。 すぐに本格的な捜索が始まりますが、この油膜は事故と無関係であるとされました。 その後も捜索を続けるものの機体の発見には至らず、2015年1月にマレーシア政府は乗客乗員が全員死亡したと発表しました。

マレーシア航空370便墜落事故の真相とは

(画像:Unsplash

マレーシア航空370機の捜索は困難を極めました。その捜索範囲はインド洋全域に及んでいます。事故発生の翌年である2015年7月にフランス領であるレユニオンで機体の一部が見つかったものの、残骸を発見することができないまま捜索は中止されました。

原因は不明

2015年7月にマレーシア航空370機の一部が見つかったものの、乗員・乗客の遺体もブラックボックスも発見されていません。そのため2019年10月現在でも同機の墜落原因は不明のままです。 そのため漏電による火災説やスマホを使用してのハイジャック説、機長の自殺説など様々な憶測が飛び交っていました。 2018年7月30日にはマレーシアが中心となった調査チームにより、400ページもある報告書が新たに提出されました。しかし原因や新たな証拠は提示されず、遺族の落胆は大きかったようです。

機体の一部がフランス領レユニオンで発見された

マレーシア航空370機の一部と思われる部品が見つかったのは、2015年7月29日のことです。フランス領にあるレユニオンで、スーツケースと共に発見されました。 部品は即座にフランスのトゥールーズに輸送され、調査が行われました。 その結果、ボーイング777の部品であることが確認されたのです。この調査結果により、発見された部品は同機の一部であると認定されました。

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