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京都認知症母殺害心中未遂事件は日本の介護問題を反映する事件。介護のあり方や未来を再考。

もくじ

1分でわかる京都認知症母殺害心中未遂事件

京都認知症母殺害心中未遂事件とは

  • 心中未遂で認知症の母親が死亡し、息子が生存
  • 母親殺害の息子に同情すべき点が多く、温情判決
  • 事件で介護疲れや制度不備など、介護問題が浮き彫りに

京都認知症母殺害心中未遂事件の概要

2006年に京都市の河川敷で発生した殺人事件です。介護疲れと貧困を苦にした息子が認知症の母親と心中を計り、幸か不幸か息子だけ助かってしまいました。息子は血塗れで倒れていたところを発見され、警察に逮捕されました。

母親の介護により生活に困窮した息子

事件の当事者は被害者となった86歳の母親と犯人の54歳の息子です(年齢はいずれも事件当時)。1995年に父親の病死後、母親の認知症が段々深刻化したそうです。 2005年頃には母親の夜間徘徊が2日に1度起こり、息子はその面倒を見るために生活の大半を裂かなければいけなくなりました。やがて仕事との両立が困難になった息子は休職して付きっきりの介護生活を送ることとなります。 その結果2人は母親の月々の年金5万円での生活を余儀なくなれます。しかし家賃や食費、デイサービスの支払いがあるので、収入はほぼゼロだったようです。事件の起きた2006年には、家賃も支払えなくなるほど追い詰められていました。

職を失い生活保護も受けられず母親と心中を決意

生活に困った息子は福祉事務所へ生活保護受給の相談もしています。しかしこの時は自己都合による休職を理由に職員に断れていました。 母親の認知症の進行で復職を諦めた息子は結局仕事を辞めることになりました。失業保険で日々を食いつなぐものの、やはり生活は改善しませんでした。そこで息子は再び相談に出向くのですが、今度は失業保険の受給があだとなって再度断られてしまいます。 事件発生の一ヶ月前2006年1月には手元に7,000円の現金しかなかったそうです。家賃も払えず1日2食の食費も厳しくなった結果、息子は母親との心中を決意しました。

息子だけ生き残る

2006年2月1日普段通りの朝を迎えた息子は車椅子の母親を連れて最後の親孝行として京都市内を観光しました。そして2人は事件現場となった桂川の河川敷に行きました。 「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」と息子に言われた母親は、おそらく心中の意思を察して「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」と語りかけました。その言葉で決心した息子は母親を絞殺し、自身も包丁やロープを用いて自殺を計ります。 しかし息子は出血の影響のせいか、首吊りのロープがほどけたところで意識を失い自殺に失敗しました。それから約2時間後午前8時頃に通行人が2人を発見し、息子だけ生き残りました。息子はその後警察に捕まっています。

京都認知症母殺害心中未遂事件の判決

事件が報じられると、あまりにもひどい当事者2人の境遇に対して、殺人事件とは思えないほどの同情が集まりました。事件の裁判は2006年7月から京都地裁で開廷されましたが、裁判官はもちろんのこと犯罪を追求する立場の検察官すら犯人である息子に肩入れする言動を見せました。

裁判官が犯人の息子に同情

息子は2006年7月京都地裁に出廷しました。この裁判で検察官が息子の母親に対する愛情や悲惨な環境を詳しく説明しています。本来検察は犯人の利益になることはしないので、この措置は異例中の異例です。 検察の提示した息子の供述は長年にわたる介護生活の苦しさや金銭的困窮、事件当時の会話などです。そして息子の「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という心情も紹介されました。 あまりにも痛ましい告白に裁判官は言葉を詰まらせて同情しました。息子に付き添った刑務官も思わず涙を堪えていたそうです。

執行猶予ありの懲役2年6ヶ月の判決

裁判官は検察の求刑3年に対して懲役2年6ヶ月と執行猶予3年の判決を下しています。これは検察の求刑3年もそうですが、殺人事件の裁判としては異例の温情判決です。 執行猶予とは有罪判決の執行を一定期間保留することで、生活に制限が付くとはいえ刑務所に入ることなく一般生活に戻れるため事実上の無罪といえます。 裁判官は判決を言い渡した後、介護制度や生活保護の不備を指摘して息子に同情する言葉を伝えました。今後は母親の分も幸せに生きるようにとも言っています。

 

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