1分でわかる黒子のバスケ脅迫事件
黒子のバスケ脅迫事件とは
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漫画『黒子のバスケ』の作者や関係者に対する脅迫事件
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犯人は自己の劣等感から漫画『黒子のバスケ』の成功を妬み犯行に及んだ
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直接的な健康被害はなかったが、経済的な損失は大きかった
黒子のバスケ脅迫事件の概要
黒子のバスケ脅迫事件は週刊少年ジャンプに連載されていた漫画『黒子のバスケ』の作者である藤巻忠俊氏やその他関係者をターゲットとした脅迫事件です。事件が起こったのは2012年10月から約1年間でした。
渡邊博史による藤巻忠俊やその関係者への脅迫
脅迫の対象になったのは漫画『黒子のバスケ』の作者である藤巻忠俊氏とその関係者です。 当時藤巻忠俊氏は漫画『黒子のバスケ』で人気を博しており、犯行はその成功に対する一種の妬み・反発から起こされたもとと考えられています。 犯行は漫画『黒子のバスケ』関連の様々なイベントや関連グッズの販売に対して脅迫状を送りつけたり、異物を混入させたりする形で行われ、全国各地で多大な被害をもたらしました。
藤巻忠俊は黒子のバスケの作者
藤巻忠俊氏は東京都生まれの漫画家です。上智大学を中退後漫画家を目指して各紙に漫画の投稿を活発に行います。 2006年に後に連載となる『黒子のバスケ』を読み切りの形で投稿し、ジャンプ十二傑新人漫画賞を獲得します。 漫画『黒子のバスケ』は2009年から週刊少年ジャンプで連載が開始されました。2012年4月からはアニメ版も放送が始まり、その人気に火が付きます。漫画『黒子のバスケ』は2014年に本編の連載が終了しますが、その後番外編などの続編も出されました。
渡邊博史は「喪服の死神」「怪人801面相」と名乗った
黒子のバスケ脅迫事件の犯人は渡邊博史です。彼は非常に悲惨な幼年時代を過ごし、高等学校卒業後も定職に就くことはありませんでした。 恵まれない生を送ってきた渡邊博史は一気に成功へと漕ぎ着けた藤巻忠俊氏に強い妬みと反発を感じて、彼の作品である漫画『黒子のバスケ』を誹謗中傷する様々な脅迫行為に及びます。 彼は漫画『黒子のバスケ』にかかわるイベントやグッズ販売などに多くの脅迫文を送りつけますが、その中で自分自身を「喪服の死神」「怪人801面相」と名乗りました。
脅迫に加え菓子の毒物混入や上智大学に硫化水素入りの容器の設置を行なった
事件の発端は2012年10月漫画『黒子のバスケ』の作者藤巻忠俊氏の出身大学である上智大学のキャンパスに置かれた容器でした。 容器には致死量の硫化水素を発生させる液体が入っており、直前に2ちゃんねるの掲示板に犯行を匂わす投稿が行われていました。 その後1年以上にわたって漫画『黒子のバスケ』関連のイベント会場や放送局などに対して数々の脅迫が行われ、報道関係に関連の菓子に毒物を混入した旨の声明文も送りつけられました。
黒子のバスケ脅迫事件の犯人とその動機
犯人の渡邊博史はなぜこのような行為に及んだのでしょうか。そこには彼がおくってきた来歴の影響が見て取れます。
渡邊博史の来歴
渡邊博史は1977年生まれですが、悲惨な幼少期をおくっています。 母親からは「醜い」と完全に人間性を否定され、父親からはアニメを見るだけで殴る・蹴るの暴行を受けて育ちました。小学校ではひどいいじめにもあっていたようです。 周りの大人達のフォローが全くない環境で育ち、高等学校卒業後も浪人、専門学校、引きこもりといった生活を続け、定職に就くこともなくいわゆる典型的な負け組の人生をおくりました。