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阿部定事件は阿部定が交際相手を殺害し男性器を切断した事件。「愛する人を殺す」歪んだ愛とは?

もくじ

1分でわかる阿部定事件

阿部定事件とは

  • 1936年に東京で起きた猟奇殺人事件
  • 犯人の阿部定は被害者男性の局部を持ち去った
  • 歪んだ独占欲に起因する事件で、類似事件も

阿部定事件の概要

事件は1936年5月に起こりました。東京市内の待合旅館に滞在中していた女性が連れ合いの男性を殺害し、男性器を切り取る異常行動に及びました。この女性が逃亡の間中男性器を所持し続けていたことが事件の異常性を象徴しています。

阿部定は石田吉蔵と交際を始める

犯人の名前は阿部定(あべささだ)です。彼女は当時石田吉蔵(いしだきちぞう)の料理店で働いていました。阿部定は元々職を変えながら日本中を渡り歩いていましたが、1935年に名古屋市会議員の大宮五郎を通して料理店の接客係に採用されました。 阿部定は数ヶ月間の勤務を通じて、妻帯者の石田吉蔵に惚れ込みます。お互いに惹かれ合った2人はやがて不貞の関係となりました。 しかし石田吉蔵の妻に不倫を察知されたことがきっかけで、2人は駆け落ちします。待合旅館を流れ歩いた2人は事件現場の旅館「満佐喜」に滞在することとなりました。

性行為中の首締めがエスカレートし石田吉蔵が死亡

阿部定と石田吉蔵は待合旅館「満佐喜」に泊まり、夜通しで性行為に耽りました。2人は2日目さらなる恍惚感を得ようとして、性行為の最中に首絞めをするようになります。石田吉蔵の側から首締めが快感に繋がるとそそのかしたようです。 首締めを頻繁に行ったせいで石田吉蔵の顔がうっ血(血液の流れが妨げられて肌色が変色すること)するほど腫れてしまいました。阿部定は少しでも痛みを軽減させるため薬局で睡眠薬を購入しますが、それを飲んだ石田吉蔵はさらに続けるよう彼女に迫りました。 そして5月18日午前2時頃阿部定は性行為がエスカレートした末に薬で眠った石田吉蔵を腰紐で絞殺してしまいます。

阿部定が血でメッセージを残した

石田吉蔵が死亡した後阿部定は彼の血でメッセージを書き残しました。メッセージを書いた場所は石田吉蔵の左足と性行為を行った布団のシーツです。 その他にも阿部定は包丁を使って石田吉蔵の左腕に自分の名前である「定」を刻んでいます。 午後8時頃阿部定は何食わぬ顔で旅館を後にしました。その際一緒に宿泊している連れが具合を悪くしているので、午後まで起こさないようにと宿の人間に頼んでいます。

阿部定は死体の性器を切り取り持ち歩き逃走

この事件のもっとも特異かつ特徴的な点は、阿部定が死亡した石田吉蔵の男性器を切り取ったということです。さらに阿部定は切断した男性器を紙に包み、逮捕されるまで持ち歩きました。 当時のメディアは石田吉蔵の男性器が常人と比べて遥かに大きいと書き立てたようですが、これはデマだったようです。阿部定は平均的なサイズだったと証言しています。 また阿部定の所持していた男性器は彼女の逮捕後に東京医科大学の病理学博物館に送られました。この男性器は第2次大戦時まで一般公開されていたと伝えられています。

阿部定の逮捕と世間の反応

被害者の男の局部が持ち去られたことから、阿部定の起こした事件は単なる殺人や怨恨の犯行でないことは新聞ですぐに広まりました。あまりにも猟奇的なニュースに日本中が興奮し、逃亡する阿部定探しが熱狂の渦を生み出しています。

報道後人々は阿部定事件に絶大な興味を示した

事件発生の翌日5月19日各地の新聞が石田吉蔵殺害事件を報じると、一気に世間の関心を引きました。阿部定が男性器を持ち去った点に誰もが娯楽に近い猟奇性を感じ、興奮したと見られています。 そして日本中が逃亡する阿部定探しに夢中になりました。「新聞で報じられた彼女の外見に一致する者がいる」と東京や大阪などの大都市で見間違いの通報が相次ぎ、あちこちでパニックが起こりました。 この誤報騒ぎは通称阿部定パニックともいわれています。当時の新聞各紙は事件の進展だけでなく、各地の誤報とパニックも面白半分にあおり立てました。

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