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神戸高塚高校校門圧死事件の全貌とは?事件の概要やその後を解説。

 

もくじ

1分でわかる神戸高塚高校校門圧死事件

神戸高塚高校校門圧死事件

  • 1990年に起きた高校生の死亡事件
  • 教師の不注意で生徒が学校の門に挟まれて、死亡に至った
  • 事件を受けて学校の指導や安全対策が見直された

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神戸高塚高校校門圧死事件の概要

学校

学校(画像:Unsplash

「神戸高塚高校校門圧死事件」は1990年7月に兵庫県の学校で発生した事件です。教師が朝の登校指導の一環で校門の閉鎖を行った際、鉄製の門に1人の女子生徒が巻き込まれました。生徒は後に死亡しました。 事件の内容や経過については、以下で詳しくご紹介していきます。

1990年に起きた女子生徒死亡事故

事件が起こったのは1990年7月6日のことです。現場となったのは兵庫県にある県立神戸高塚高校の校門でした。 時刻は午前8時半を過ぎた頃でした。登校中の生徒を指導していた教師の1人が、学校のチャイムを合図に門を閉め、女子生徒1人が挟まれてしまいました。女子生徒は病院に運ばれましたが、間もなく死亡しています。

教員が遅刻を取り締まっていた

事件当時、高塚高校の校門付近では3人の教師が遅刻の指導に当たっていました。「神戸高塚高校校門圧死事件」の加害者となったのはそのうちの1人、生活指導担当の教師でした。 加害者の教師は事件までにも何度も校門の閉鎖を行い、危ういところで生徒の鞄を挟むことをしていたそうです。その経験上、校門の閉鎖は生徒が途切れたタイミングで行うようにしていたようですが、残念なことに死亡事件に繋がってしまいました。 また当時の生活指導では常日頃から遅刻には厳しく対応しており、違反者には校庭周回やスクワットなどの罰則を課していたとのことです。

教員が閉めた門扉に挟まれ死亡した

「神戸高塚高校校門圧死事件」の被害者は1年生の女子生徒です。女子生徒は午前8時半頃、遅刻寸前で校門を通り抜けようとして高さ1.5m、重量230kgの鉄製門扉と門柱に挟まれて重傷を負いました。 女子生徒は神戸医大医学部附属病院に搬送された後、午前10時25分に脳挫滅(脳挫傷の一種で、頭蓋骨と脳が大きく破壊された状態)で亡くなりました。 事件のあった日が期末試験当日だったこと、生活指導で遅刻者に厳罰を科していたことが、事件発生の間接的な原因と見られています。

神戸高塚高校

校舎内

校舎内(画像:ぱくたそ

兵庫県立神戸高塚高等学校は神戸市西区にある男女共学の公立学校です。教育課程は全日制の普通科のみで、1984年に設立されました。 高塚高校は当時、日本ではまだ数の少なかった、教育現場の安全を調査する「研究指定校」でした。事件の原因が行きすぎた生活指導というだけでなく、高塚高校が研究指定校だったこともあって、事件は大きく取り上げられました。

神戸高塚高校校門圧死事件の裁判

裁判

裁判(画像:pixaboy

「神戸高塚高校校門圧死事件」の後、加害者となった生活指導教師は業務上過失致死の容疑で取り調べを受け、そのまま刑事裁判へ起訴されました。教師は過去に生徒の鞄や衣服を挟んだ経験があるにもかかわらず、安全確認が不十分だったことが理由です。 裁判における教師の主張、判決についてご紹介していきます。

事件を起こした教員は無罪を主張

事件を起こした教師は一貫して無罪を主張しました。根拠は以下の通りです。 ・遅刻指導に対して学校側から安全配慮の指示はなかったため教員の業務に該当しない。 ・門扉の隙間に生徒が割り込んで来ることは予想できなかった。 ・総じて校門の安全対策に問題があり、責任は学校と教育委員会にある。 これらのことから加害者の教師自身には責任がないとして、無罪を主張したのです。裁判後、1993年4月に教師は手記『校門の時計だけが知っている ?私の「校門圧死事件」』を出版し、当時のできごとを回想しています。

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