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北センチネル島は一切の侵入が許されない未接触部族の島。インド人宣教師や漁師の殺害の真相は。

もくじ

1分でわかる北センチネル島

1分でわかるニュースの要点

  • 他民族とのコミュニケーションを一切排除
  • 侵入者に対しては容赦なく制裁
  • インド政府は介入を諦め入島を禁じる

北センチネル島とは

SNSなどを通じて世界の注目を集ている北センチネル島は実態がつかめない未開の地です。コンタクトを図ろうといくつもの国や人々が試みますが成功には至っていません。他民族の入島を嫌悪する島の現状に迫ってみましょう。

 

インド領の離島

北センチネル島はインド領に属するわずか60k㎡足らずの離島です。18世紀にイギリス人によって確認されましたが、その存在は長期間にわたって知られていませんでした。 インターネットの発達により世界中に知られるようになると多くの人々が北センチネル島に興味を抱くようになります。 地理的にもマレー半島とインド亜大陸に囲まれたべンガル湾のアンダマン諸島の一つであり、決して上陸が困難な場所ではありません。実質的にはアンダマン・ニコバル諸島自治政府が統括しますが政府でさえ上陸を諦めています。

数十人のセンチネル族が暮らす

北センチネル島に暮らすのは数十人から数百人のセンチネル族と呼ばれる少数民族です。その歴史は6万年前に遡ります。 アンダマン諸島には多くの島がありますが言語が特殊であったため、他島との交流が成り立たなかったのでしょう。さらにプライド高く好戦的な気質を持ち合わせていたことも島を孤立させた要因といえます。 島国という点では規模こそ異なれど日本も同じです。日本も長らく鎖国制度を敷いてきましたが、海外からの圧力によって開国し現在に至った点が異なります。

文明社会から完全に隔離された世界

北センチネル島は文明社会から完全に隔離された世界です。島全体が密林に覆われており現代文明においても生活様式は解明できていません。 わずかながらの情報を頼りに推察すると、農業は行っておらす狩猟や採取によって生活を支えています。原始的な生活を続ける要因は「特殊な言語」「プライド高い気質」にあるといえるでしょう。 日本もかつては鎖国制度をとったものの、言語によるコミュニケーションが可能でした。そのため自ら外国の文明に興味を抱き開国することができたといえます。

免疫がなく外部の人間と接することはリスク

センチネル族の体質的な特徴はインフルエンザなどに対する免疫がないことです。人類の歴史において感染症は大きな打撃を与えてきました。そのたびに新たな抗体が開発され免疫力が高まってきたといえるでしょう。 しかしセンチネル族は外部からの接触を一切断ってきたため、感染症に対する免疫が必要ありません。現在の人口は数十人、多くても数百人程度です。 コロナはもちろんインフルエンザが入ってくれば全滅する可能性は十分にあります。したがって外部の人間との接触は民族絶滅のリスクを負うことになりかねません。

 

インド政府も北センチネル島には介入しない方針

インド政府は1990年代半ばまで来センチネル島との接触を試みてきました。しかし現在は一切の接触を諦め、島から5km範囲内に侵入することを禁じている状況です。 インド政府による接触は1960年代にまで遡ります。好戦的だった彼らが態度を軟化させるまでに30年近くかかっています。インド政府は同様にジャワラ族との接触を試みていましたが疫病などを引き起こし失敗しています。 このことを受けセンチネル族との接触も断念することが決められました。以降、島の自治は部族のルールに委ねられています。

北センチネル島で起きた事件

北センチネル島に近づくことは極めてリスキーな行為です。インド政府のみならずさまざまな人々が接触を試みてきましたが成功は1例すらありません。それどころか何らかの事件に発展しています。島内で起きた悲惨な事件とは如何なものだったのでしょうか。

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