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記念樹事件は1998年に起きた著作権法に関する事件。裁判の争点や影響は?

 

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1分でわかる記念樹事件

1分でわかる記念樹事件

  • 服部克久と小林亜星の著作権問題
  • 1992年に発表された「記念樹」が問題に
  • 裁判の末、著作権侵害が認められる

 

記念樹事件の概要

「記念樹事件」とは1998年に作曲家である小林亜聖氏が、服部克久氏が作曲した「記念樹」という合唱曲が自分が過去につくったCMソング「どこまでも行こう」の盗作であるとして、著作権侵害を争った裁判を指します。 「記念樹事件」は、裁判所が著作権法に明確に定義されていなかった「編曲」の意味内容について解釈したことでも知られています。ここでは「記念樹事件」について説明します。

記念樹事件の関係者

「記念樹事件」は作曲家2名の間で起こりました。提訴した小林亜星氏と提訴された服部克久氏です。当初は小林氏が服部氏に対し、著作権を侵害したと抗議していただけでした。しかし、服部氏が「盗作ではなくオリジナル作品である」と主張したことで、小林氏が裁判を起こしました。

服部克久

提訴された服部克久氏は1936年に東京で作曲家である服部良一氏の長男として誕生しました。幼少の頃から音楽を学び、成蹊高等学校を卒業するとパリ国立音楽院に留学した経歴を持ちます。 パリ国立音楽院を卒業した1958年に帰国し、テレビ放送の創成期から番組音楽を作曲するなど活動を始めます。フジテレビで放映している「ミュージックフェア」のテーマ曲も、服部氏の楽曲です。ラジオ番組やドラマ・映画・アニメにも、服部氏の楽曲が多く使われています。

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