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上申書殺人事件の謎。先生・三上静男と後藤良次死刑囚にあった関係に迫る。

もくじ

1分でわかる上申書殺人事件

上申書殺人事件とは

  • 死刑囚が別の殺人事件を告発
  • 3件のうち1件が刑事事件化し刑が確定
  • 事件は小説・映画でメディア化

上申書殺人事件の概要

(画像:Unsplash

上申書殺人事件を告発した死刑囚は2000年7月30日に起こった宇都宮監禁事件の犯人として逮捕・起訴され収監されていました。2003年2月4日の第一審・2004年7月6日の第二審共に死刑判決が下り、最高裁の上告棄却により刑が確定したタイミングで新たな事件と共犯の存在を告発しています。 ここでは上申書殺人事件の概要について、詳述します。

上訴中の後藤良次死刑囚が提出した、上訴書にまつわる事件

2007年9月28日宇都宮監禁殺人事件の犯人として収監され上告棄却が決定した後藤良次死刑囚が茨城県警に対し上申書を提出しました。その上申書の中で茨城県内で起こった殺人事件2件・死体遺棄事件1件に自分が関与したことを明らかにしています。 後藤良次死刑囚から上申書を受け取った茨城県警は事実確認のために捜査を開始します。 提出された上申書において後藤良次死刑囚は自分以外に事件に関与した人物を告発していました。

「先生」こと三上静男が3つの事件の首謀者として告発される

後藤良次死刑囚が上申書で明らかにしたのは「石岡焼却事件」「北茨城市生き埋め事件」「日立市ウォッカ事件」の3つです。後藤良次死刑囚は上申書の中で自分は実行犯であり主犯は別にいると告発しています。 そして主犯として告発されたのが後藤良次死刑囚が「先生」と呼び慕っていた三上静雄容疑者でした。 告発を決意したきっかけは三上静雄容疑者が後藤良次死刑囚に約束していた報酬を支払わなかったことだとされています。

「舎弟」や「先生」の関係者も共犯者として告発される

上申書で後藤良次死刑囚は自身の舎弟や三上静雄容疑者以外の関係者を共犯者として告発しています。 共犯者として告発されたのは三上静雄容疑者との関りが深い会社経営者と日立市ウォッカ事件の被害者家族でした。 3件のうち唯一立件された日立市ウォッカ事件の被害者家族は後に逮捕されることになります。

後藤良次死刑囚

収監された死刑囚が自身が関わった別の事件を告発するのは前代未聞な出来事でした。後藤良次死刑囚がマスコミ取材を受けて、この告発が早々に報道されたことも異例といえます。 ここでは世間の注目を集めた後藤良次死刑囚について、詳述します。

後藤良次死刑囚の生い立ち

後藤良次死刑囚は少年時代から何度も警察に逮捕されていました。14歳で窃盗・暴力行為で初めて初等少年院に入ったのを皮切りに、17歳で中等少年院・19歳で特別少年院に収監されています。 16歳で稲川会系幹部と知り合い暴力団員となります。その後も窃盗・器物損壊・住居侵入・恐喝・銃刀法違反など様々な罪で何度も刑務所に収監されています。 35歳で一度は自分の組を構えたものの再び刑務所に入り、仮出所後の再興もうまくいきませんでした。40歳の時に堅気になる目的で三上静雄容疑者を紹介してもらったことが上申書殺人事件につながっていきます。

後藤良次死刑囚の現在

茨城県警の捜査により上申書殺人事件の一つである日立市ウォッカ事件が立件され、後藤良次死刑囚は再び裁判を受けることになりました。そして、懲役20年という判決が下されます。 日立市ウォッカ事件の裁判中は後藤良次死刑囚の刑の執行は停止されます。そのため後藤良次死刑囚は自身の刑執行を回避するために上申書を提出したと考えている人もいるようです。 2019年12月時点では後藤良次死刑囚の刑は執行されておらず現在も収監中です。

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