\ 琉球風水志 シウマの占いページはこちら /

石井紘基が伊藤白水に殺害された石井紘基刺殺事件の謎。暗殺が疑われる不可解な点に迫る。

 

もくじ

1分でわかる石井紘基と石井紘基刺殺事件

1分でわかるニュースの要点

  • 爆弾発言男との異名をとり数々の不正を暴く
  • 右翼団体代表伊藤白水に殺害される
  • 犯行動機や捜査内容には数多くの疑問

石井紘基という人物

国会の爆弾発言男と呼ばれた石井紘基がこの世を去って20年近くになります。最近の国会議員には見られない気骨溢れる言動は多くの人を魅了しました。「正義感」という言葉が最も似合う国会議員であった彼の人物像に迫ってみましょう。

衆議院議員として活躍

学生運動を通じて政治と出会った石井鉱基は江田三郎を慕って日本社会党に入党します。早稲田大学大学院時代はモスクワに留学するなど見識を深め、政治家としての基盤を築いていきました。 帰国後は江田三郎の子息である五月の秘書を務めます。衆議院議員となったのは1993年であり、すでに50歳を超えています。政治活動は長かったものの政党内での活動に傾注しており、まさに「遅咲き」の衆議院議員といえるでしょう。 初当選時は日本新党であったものの、その後、自由連合や新党さきがけなど政党を渡り歩きながら、自らの信念を貫いていきます。

特別会計の税金の無駄遣いや天下りを指摘

「国会の爆弾発言男」と異名をとった石井鉱基は特別会計の税金の無駄遣い、国家公務員などの天下りを指摘しています。防衛庁調達本部背任事件(1997)では約2兆円の不正利用をあぶりだし、その名を世に知らしめました。 石井鉱基の戦略はマスコミを上手く利用する発信力と国会議員のもつ特権を十分に活用した情報収集能力ありました。 国会議員としては遅咲きであるものの、長らく永田町を客観的に観察してきた苦労人ならではの戦略であったといえるでしょう。

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

もくじ
閉じる