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東住吉事件は両親が冤罪で有罪に。青木惠子と朴龍晧への裁判や賠償金とは?【おかしい】

 

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1分でわかる東住吉事件

1分でわかる東住吉事件

  • 1995年の大阪市東住吉区の民家火災で女児が死亡
  • 女児の母親と内縁の夫が逮捕される
  • 2016年8月の再審で無罪判決が出て、即日確定する

2016年8月10日、また一つ冤罪事件が明らかとなりました。それが「東住吉事件」です。1995年7月に起こった住宅火災で当時小学校6年生だった女児が焼死し、2カ月後に逮捕された母親と内縁の夫には無期懲役の判決が下されていました。 今回は「東住吉事件」の概要や釈放後の賠償請求などについて、解説します。

東住吉事件の概要

「東住吉事件」が起こったのは、1995年7月22日のことでした。大阪市東住吉区の民家で、16時50分過ぎに火災が起こりました。そのために民家が全焼し、当時小学校6年生だった女児が死亡しています。 そして同年9月10日の夜、女児の母親と内縁の夫が放火や殺人、保険金詐欺の容疑で逮捕されました。ここでは「東住吉事件」の概要について、詳述します。

 

青木惠子と内縁の夫である朴龍晧の家のガレージで起きた火事

「東住吉事件」が起こったのは、大阪市東住吉区の青木惠子さん宅でした。住宅にはシャッターのある、土間兼車庫が付いていました。 その住宅に組み込まれていたシャッター付きのガレージで、1995年7月22日16時50分過ぎに火災が発生したのです。まだ明るさが残る時間帯でしたが火の勢いが強く、あっという間に住宅は炎に包まれました。

ガレージから出火し浴槽にまで燃えうつり長女が死亡した

青木惠子の自宅は、全焼してしまいました。そして消防署による現場検証で、当時小学校6年生の長女の遺体が発見されたのです。 亡くなった長女はガレージに隣接したお風呂で入浴しており、死因は焼死でした。ガレージから出火した火があっという間に浴槽に燃え移り、逃げ遅れてしまったのだろうと予想されました。死亡した長女は、青木恵子の連れ子でした。

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