もくじ
1分でわかる薄熙来(はくきらい)事件
「薄熙来事件」とは
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薄熙来(はくきらい)は中華人民共和国の政治家
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2007年11月に重慶市共産党委員会書記に任命され独立王国を築く
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2012年に汚職・スキャンダルが発覚し公職追放された
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薄熙来という人物について
「薄熙来事件(はくきらいじけん)」を知るうえで薄熙来とはどんな人物だったのかを知っておく必要があります。薄熙来は失脚するまでは重慶市のトップとして、経済発展のための外資導入やマフィア撲滅運動などを行う注目の政治家でした。 ここでは薄熙来の人物像について、生い立ちや活動も含めて詳述します。
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父親は国務院副総理を務めた薄一波(はくいっぱ)
薄熙来は1949年7月3日に北平市(現在の北京市)に生まれました。国務院副総理を務めた薄一波(はくいっぱ)の二男として、誕生しています。 北京市第四中学校を卒業し1972年より北京市第二軽工業局五金機修工場で働き始めます。 しかし1977年2月には北京大学歴史系世界史専攻に、1979年9月には中国社会科学院研究生院国際新聞専攻に入学しています。その後1982年8月には修士号を授与されました。
第11期全人代重慶市代表として活躍
1984年10月に薄熙来は遼寧省(りょうねいしょう)に移動し、同省金県共産党委員会副書記に就任します。そして遼寧省大連市金州共産党委員会書記や大連市経済技術開発区党委員会書記などを歴任しながら政治家としての足場を固め、1993年3月に第8期全国人民代表大会遼寧省代表として選出されました。 議員として様々な要職を歴任した後、2004年2月29日には商務部長と呼ばれる経済・貿易を管掌する大臣に就任します。日本で言う所の経済産業大臣にあたります。そして2007年10月の第17回党大会において中央委員に再選され、党中央政治局委員に昇格もされます。 そして同年11月30日には重慶市共産党委員会書記に任命され、翌2008年3月に第11期全人代重慶市代表に選出され様々な活躍を見せました。