1分でわかる附属池田小事件
附属池田小事件の真相
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小学校で起こった大量殺人事件
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犯人の狂気性に誰もが驚愕する
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学校の安全体制が見直されます
附属池田小事件の概要
2001年6月8日に刃物を持った男が小学校に侵入し校内を逃げ回る子供たちに次々と襲いかかり、結果23名もの死傷者を出します。 取り押さえられた犯人の言動に人々は驚愕します。殺人事件の舞台が小学校であったことから子供を通わす親たちにも動揺が広がりました。
大阪教育大学附属池田小学校で小学生8名が殺害された
午前10時過ぎ、小学校で2限目の授業が終わる頃、通用口から一人の男が侵入します。すれ違った教員も児童の保護者と思い軽く会釈して通り過ぎました。 その後、教室に向かった男はいきなり無言で女児ばかり5人を切りつけます。途中助けに入った男性教員も胸を刺され重傷を負いました。逃げ惑う児童を追いかけ再び4人を切りつけたところで教員により男は取り押さえられます。 この事件で命を落とした児童は8名にも及びます。
生徒と教師を含め15人が負傷
犯行に及んだ時間は10分程度でしたが、命を落とした8名の児童とは別に13名の児童と教員2名も重軽傷を負いました。 児童が校内を逃げ回ったために、犯人を取り押さえた後も被害にあった子供の人数や場所をすぐには特定できず、通報が遅れる一因にもなります。 突然、出刃包丁を持った男に追いかけられて、友達が次々と刺されるところを見た子供たちの恐怖は計り知れません。
トイレにこもって助かった生徒もいた
逃げ惑う子供たち、出刃包丁を振り回す犯人、そして奮闘する教員の姿がそこにはあります。 犯行の最中に教員が大声で「早く逃げろ」と子供たちに危険を知らせます。トイレにいた児童のひとりは「トイレから出るな、鍵をかけろ」との教員の声を聞いて、その指示に従い難を逃れます。 その一方で犯人と遭遇した教員は警察への通報を優先したために「子供を助けずに逃げた」との批判を受け、実名報道の上その責任を問われました。
犯人は宅間守
犯人の名前は宅間守(たくままもる)当時37歳です。兵庫県伊丹市で工員の家庭に生まれ、兄も含めた4人家族でした。 宅間は幼少期より厳格な父親からひどい暴力を受けていましたが、母親も彼を庇(かば)うことはありませんでした。度重なる叱責や暴行で宅間の気持ちは荒(すさ)んでいくと同時に、自分の生まれた環境を恨むようになります。 工業高校を中退して子供の頃より関心のあった自衛隊に入りますが、それも長くは続かず職を転々とします。
附属池田小事件の犯人である宅間守と犯行の動機
「人生は快楽を楽しむためにある。」という宅間の言葉に担当した国選弁護人も言葉を失います。 幼少期から続く虐待が彼の凶暴性を目覚めさせ、人に責任を転嫁する言動もエスカレートします。地元でも知られた有名附属小学校を犯行現場に選んだのは、彼が劣等感に苛(さいな)まれてのことです。
宅間守は子供の頃から問題児であった
宅間は自分の幼少期について「5歳ころ線路に石をおいた。」「小学1年の時、子猫を新聞紙に包んでマッチで火をつけた。」「気になる女の子の弁当に唾を吐き、食べている姿を見ていた。」などと語っています。 そこには、快楽を何よりも優先する宅間の本性が垣間見えます。 その行動は大人になっても変わることはなく、日航機123便墜落事故では遺族であると偽り事故の現場で一泊した事もありました。