1分でわかる玄倉川(くろくらがわ)水難事故
玄倉川の水難事故とは
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玄倉川で水難事故が発生
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若者18名が水難事故に遭う
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生存者の心無い言動が世間のバッシングに遭う
1999年8月、神奈川県足柄上郡山北町にある玄倉川において、キャンプをしていた18名が水難事故に遭う出来事がありました。 この水難事故は、ニュースでもかなり大きく報道されており、その原因や受難者の対応が話題になっています。救助を受ける側だとは思えない態度をとり、注意勧告も全く聞こうとしませんでした。 本記事では、この玄倉川の水難事故について詳しく説明します。
玄倉川水難事故の概要
玄倉川の水難事故は、当時のニュースを見た人なら強い印象が残っているかもしれません。時期が8月とキャンプシーズンということもあり、水難事故が発生した前日からキャンプをしている家族が今回の受難者です。彼らの非常識な言動が問題となりました。 今回の水難事故が注目を浴びた理由は、防げる事故を防げなかった経緯と受難者の対応にあります。これから1つずつ紹介していきます。
1999年に神奈川県玄倉川沿いで起きた水難事故
玄倉川の水難事故は先程紹介したとおり、神奈川県足柄上郡山北町にある玄倉川で発生しました。夏ということで、多くの人が川でキャンプをしていたのですが、温帯低気圧の接近により、川の増水が予想されている時期でもあったのです。 そのため、地元警察などが事前にキャンプをしていた人への避難勧告を行っていたのですが、その勧告を無視したのが今回の受難者です。 再三にわたる避難勧告を無視した結果、今でも話題になるほどの大事故になってしまいました。
警察の忠告を無視した18名のうち最終的に13名が死亡
玄倉川水難事故が発生したのは、受難者が再三の避難勧告に応じなかったからだと言えます。避難勧告がすみやかに受け入れられていたら、この水難事故自体が発生しなかった可能性もあります。 実際、警察などの忠告を無視し続けた結果、受難者18名のうち、実に13名が死亡してしまう事態になってしまいました。 また、受難者は家族連れだったため、生後間もない赤ん坊や児童なども現場にいました。そのうち、1歳から9歳までの実に4名が被害に遭っているのです。
この事件は別名「DQNの川流れ」とも呼ばれている
多数の犠牲者を出した玄倉川水難事故は、別名「DQNの川流れ」とも言われています。「DQN」はインターネット上で使われるスラングで、しばしば「不良」の代わりに用いられることもある言葉です。 この呼び名の原因になっているのが、受難者の態度です。自分たちの軽率な行為を棚に上げて懸命に救助を行う人々に対して罵詈雑言を放っている様子が映像として残っています。 避難勧告を聞かず、かつ救助者たちを口汚く罵る態度を取るような「DQN」は川に流されても仕方がない、といった世間の気持ちが「DQNの川流れ」という呼び名に込められていることがうかがえます。
玄倉川水難事故発生時の天候
玄倉川水難事故の原因の1つとして挙げられるのが、当時の天候にあります。当時の天候は、いわゆる東高西低の気候であり、日本の東が暑く、西は雨模様となっていました。 これは、那覇の気温を北海道が上回るという異常気象を発生させているのです。そして、この気候が不安定な気候を生み出し、運悪く玄倉川水難事故に繋がってしまいました。
1999年の夏は異常気象だった
先程も紹介したとおり、1999年の夏は各地で異常気象が発生しやすい年となっていました。 また、水難事故当時には、神奈川付近に熱帯低気圧が近づいており、台風に迫るほどの暴風と集中豪雨が局地的に発生していたのです。 この天候状況から、玄倉川では事前に川の増水が懸念されていたため、早期に警察などがキャンプに来ていた人々に避難勧告を促していたというのが当時の状況です。
8月13日にも紀伊半島沖で熱帯低気圧が発生した
異常気象により発生していた熱帯低気圧の中でも、玄倉川水難事故に直接関係しているのが紀伊半島沖のものになります。 この熱帯低気圧は、風こそ少ないものの、雨を大量に降らせるという特徴がありました。これにより、広い範囲で局地的な大雨が発生していたのです。 もちろん、熱帯低気圧の影響を受けた玄倉川も例外ではなく、当時の映像からも見て取れるくらいに雨が降っていました。