アニータ事件(青森県住宅供給公社巨額横領事件)の概要
1分でわかるアニータ事件(青森県住宅供給公社巨額横領事件)
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青森県住宅供給公社の千田郁司が14億円を横領
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横領したお金は妻のアニータに注ぎ込まれた
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千田郁司は14年の実刑判決
通称「アニータ事件」の正式名称は「青森県住宅供給公社巨額横領事件」です。事件発覚当時である2001年には連日マスコミで報道されましたね。 どのような事件だったのか、また被害額はどれ位だったのか、「アニータ事件」の概要を見てみましょう。
青森県住宅供給公社の元経理担当である千田郁司が横領した事件
この事件の構図は極めてシンプルです。「青森県住宅供給公社」に勤めていた「千田郁司(ちだゆうじ)」が公社の公金を横領し、チリ人女性に貢いだのです。 千田は公社の経理担当でした。何と15億円近くを横領したのです。一経理担当がこれだけ巨額のお金を横領できたこと自体が信じられませんが、横領したお金の大半がチリ人女性に貢がれ、チリ人女性はその資金でチリにプール付きの豪邸を建てたのですからマスコミが放っておくはずがありません。 チリ人女性の名前が「アニータ・アルバラード」であったことから、この事件が「アニータ事件」と呼ばれるようになりました。
横領額が約14億5900万円にのぼる
横領は1993年から2001年にかけて行われました。横領額は14億5,900万円です。これだけの金額の横領が約8年間にわたって続けられたのは、公社の管理がずさんだったことはいうまでもありませんが、横領の手口が巧妙だったこともあるようです。 千田は青森のパブで知り合った「アニータ・アルバラード」と1997年に結婚しますが、横領額はこれを期に巨額化していきました。アニータに渡った金額は11億円とされています。 横領は1993年2月から始まりましたが、公訴時効のため起訴された横領額は1994年10月以降の14億4,600万円でした。
アニータ事件(青森県住宅供給公社巨額横領事件)の関係者
「アニータ事件」の主要な登場人物は当然「千田郁司」と「アニータ・アルバラード」です。 ここで二人の人物像を探ります。どのような経緯で事件に関係していったのか、また事件後どのような人生を生きたのかも含めて二人にスポットライトをあててみましょう。
千田郁司
「千田郁司」は逮捕当時44歳でした。「青森県住宅供給公社」の経理担当として仕事はキチンとしていたようです。ただその豪遊ぶりは度を過ぎており、高級クラブで一晩に数十万円を使うことも珍しくなかったとのことです。 一介の公社職員がそのよう遊興資金を出せるわけがなく、徐々に公社の資金を横領していくことになりました。アニータに貢いだのもその延長線だったのでしょう。 2002年千田は青森地裁において懲役14年の実刑判決を受け、刑に服しました。2016年に出所後「公益社団法人日本駆け込み寺」の経理を担当していたようですが、現在は行方をくらませています。
アニータ・アルバラード
「アニータ・アルバラード」の本名は「アニータ・エステル・アルバラート・ムニョス」です。1972年12月25日生まれで、国籍はチリです。 アニータは19歳の時いわゆる出稼ぎで日本にやってきます。青森のパブで働いていた29歳の時に千田と出会います。二人は交際を深めその後結婚します。 アニータは千田に様々な名目で金銭をねだり、8億円とされる豪邸をチリに建てたりします。アニータ黒幕説がかなり取り沙汰されましたが、明確な証拠はなかったため法的な追求を受けることはなく、現在もチリでタレントや事業家として生活しています。
アニータ事件(青森県住宅供給公社巨額横領事件)の経緯・手口
事件はどのようにして起こり、何が切っ掛けで発覚したのでしょうか。また事件の結果はどうなったのでしょうか。少し繰り返しになる部分もありますが、ここで「アニータ事件」の経緯を詳しく見ていきましょう。 一般人の常識では考えられないお金が動き、そして消えていきました。
1993年2月から2001年まで横領が行われた
「アニータ事件」で千田による横領が行われたのは1993年2月から2001年年までです。横領されたお金は元を正せば我々の税金です。それが個人的な遊興資金に消えていったのですから到底許されるものではありません。 千田は一度に15億円近い金額を横領したのではなく、8年間にわたって少しずつ着服していったのです。何と横領回数は165回でした。 一度味を占めると止められなくなるというのはよく聞く話ですが、正に千田は徐々に金銭感覚や国民の税金を横領しているという意識が麻痺していったのです。