1分でわかるハリケーンカトリーナ
ハリケーンカトリーナ
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アメリカ史上最大級の自然災害
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1,800人以上が死亡・約120万人が避難
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ハリケーンの名前「カトリーナ」はリストから引退
ハリケーンカトリーナの名前の由来
(画像:Unsplash)
「ハリケーンカトリーナ」はアメリカ史上最大級の被害をもたらしたハリケーンです。何と1,800人が死亡し、約120万人が避難を余儀なくされました。 日本の台風の場合、例えば「台風21号」のようにその年に発生した台風の発生順に番号がふられます。 アメリカでは番号の代わりに人の名前がつけられます。順番はアルファベット順です。カトリーナは「Katrina」と綴りますので、アルファベットの頭文字は「K」です。その年の11番目のハリケーンということになります。日本でいえば「台風11号」です。 カトリーナはもう二度とこのようなハリケーンには来て欲しくないという思いから、その名前が永久欠番とされました。これからも二度とカテリーナという名前がハリケーンに使われることはありません。
ハリケーンと台風の違い
日本で発生する台風とハリケーンの違いは主に熱帯低気圧が発生した場所です。 台風は主に西太平洋や南シナ海で発生した熱帯低気圧でハリケーンは主にカリブ海・メキシコ湾で発生した熱帯低気圧をさします。 また台風は最大瞬間風速が17.2m/s以上のものをさしますが、ハリケーンは最大瞬間風速が33m/s以上のものとなっています。
ハリケーンカトリーナの発生と経路
(画像:Unsplash)
ハリケーンカトリーナはバハマの南東で発生しました。ハリケーンカトリーナはどのように発生し、どのような経路を辿ったのでしょうか?
ハリケーンカトリーナの発生原因と発生場所
ハリケーンカトリーナは2005年8月23日バハマの南東でその年の11番目のハリケーンとして発生しました。 既に発生していた10番目のハリーケーンと合体して強大な勢力となりカトリーナと名付けられました。 ハリケーンは風速の強さから五つのカテゴリーに分類されますが、ハリケーンカトリーナはもっとも勢力が強いときは最大のカテゴリー5でした。10番目のハリケーンを吸収してしまったことが勢力を強くした一つの原因とされています。
ハリケーンカトリーナの発生原因は地球温暖化の影響もある
熱帯低気圧は赤道近くの上昇気流が発生要因です。その付近の海水温が高ければ高いほど強力な上昇気流を生み、熱帯低気圧の勢力は強くなります。 その年ハリケーンカトリーナが生まれ・通過したキシコ湾の海水温は例年より高い状態が続いていました。 近年の海水温は高くなる傾向が続いており、これは地球大気中のCO2濃度が高くなっていることが原因で起こる地球温暖化の影響ではないかといわれています。地球温暖化の影響は海水面の上昇だけではなく、ハリケーンや台風の発生数や勢力などにも影響するのです。
ハリケーンカトリーナの経路
カリブ海で生まれたハリケーンカトリーナは当初西方向に進み、フロリダ州のマイアミ付近に上陸した後、フロリダ半島を横断して再びメキシコ湾に出ました。 8月28日にはニューオリンズ沖に達し、この時点で勢力は最強カテゴリーの5となっていました。風速は70m/sを突破しました。 その後ハリケーンカトリーナは北上し、8月29日早朝ルイジアナ州ニューオリンズに再上陸しました。ミシシッピ州を北上しながら勢力を落としていきミシシッピ州の東部で、ハリケーンから通常の熱帯低気圧に変わり勢力を弱めて行きました。
ハリケーンカトリーナがもたらした甚大な被害
(画像:Unsplash)
ハリケーンカトリーナはどのような被害をもたらしたのでしょうか。そしてその原因は何処にあったのでしょうか。 「ハリケーンカトリーナ」が猛威をふるった主な場所や被害の状況を、被害が大きくなった要因に迫ります。
ルイジアナ州・ミシシッピ州・フロリダ州を中心に被害がでた
ハリケーンカトリーナは最初に上陸したフロリダ州を始め、再上陸後直撃したルイジアナ州、ミシシッピ州に大きな被害をもたらしました。 ミシシッピ州ではカリブ海に面したガルフポート、ビロクシといった湾岸都市が、ルイジアナ州ではポンチャートレイン湖に面したニューオーリンズが大きな被害を受けました。 死亡者1,800人以上、行方不明者700人以上の犠牲者を出した。
ニューオーリンズは冠水し壊滅的な被害
8月30日の午前1時半頃からポンチャートレーン湖が増水し始め、やがて複数の運河の堤防が決壊しました。 決壊した水はニューオリンズ市街に流れ込みましたが、これを排水する市内22ヶ所の主な排水ポンプが機能を停止してしまい、何とニューオリンズ市内の80%が水没してしまいました。 特にアフリカ系のアメリカ人が多く住んでいたロウワー・ナインス・ワードや湖に面した高級住宅街のレイクビューが大きな被害を受けました。
2000人近くの死者、多くの避難者が出た
ハリケーンカトリーナでは死者・行方不明者併せて2,500人以上が犠牲になりました。ニューオリンズでは約48万人の全市民に避難命令が出され、アメリカ全体では120万人以上が避難しました。 標高が低い沿岸周辺の堤防工事の遅れや政府・州政府・市当局間の連携のまずさ、高齢者や低所得者層に対する配慮の不十分さなどが、必要以上に被害を大きくした要因となりました。 避難命令が出ても移動が困難な高齢者や車を持たない低所得者は避難できませんでしたし、バスなどの輸送手段も手当てされませんでした。
ハリケーンカトリーナの間接的な影響
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ハリケーンカトリーナではハリケーンによる直接的な被害だけでなく、石油関連施設や交通網など様々な間接的被害が発生しました。 それではここでハリケーンカトリーナの通過後も残った様々な間接的被害の状況に迫ります。
原油施設の破壊による原油価格の高騰
メキシコ湾沿岸はアメリカの最も石油関連施設が集積する地帯の一つです。ハリケーンカトリーナによってこれらの石油関連施設は壊滅的な被害を受け石油生産はストップしました。 折しも原油取引市場は中国の消費量が飛躍的に拡大する中で高騰が続いており、ハリケーンカトリーナによる被害がこれに拍車を掛けました。 アメリカ政府は原油高騰に対応するため、戦略的に備蓄していた原油を石油元売り業者に放出しました。
列車等の交通網の運休
ハリケーンカトリーナが直撃した地域では交通網が寸断されました。多くの列車は運休し、空路は全面的にストップしました。 陸路においても多くの橋が崩壊したため、特に市の8割が水没し多くの被災者を出したニューオリンズは陸の孤島と化しました。 避難しようにも移動手段がない罹災者達はやがて略奪行為を始めます。火災も発生し市は無法地帯となる寸前でしたが、やがて州兵が派遣され治安維持にあたるようになりました。
飼料などの価格高騰
ハリケーンカトリーナが直撃した地域はアメリカでも有数の穀物地帯で、小麦や大豆、トウモロコシの集積地でもありました。 罹災直後は穀物価格の高騰が懸念されましたが、当時穀物の余剰感からシカゴの穀物先物市場は低下傾向が続いており、政府の迅速な支援措置なども功を奏して、さほどのパニックは起こりませんでした。 日本などに穀物を積み出しする港湾施設も大きな打撃を受けましたが、早急な復旧が行われたため日本の穀物価格への影響も最小限で済みました。
教育機関の麻痺
ハリケーンカトリーナによってルイジアナ州を中止に大学など高等教育機関が大きな被害を受けました。 被災地の多くの大学では学生を受け入れることを断念し、学校閉鎖に追い込まれました。 被害がなかった北米各州やカナダの大学では学生の受け入れを表明しました。しかしながら学生の受け入れに関しては条件を付す場合も多く、多くの学生が修学の機会を奪われてしまいました。
ストレスが原因の健康被害が増加
ハリケーンカトリーナによる罹災直後はライフラインの崩壊や情報不足、コミュケーションの欠如などによって市民には多大なストレスがかかりました。 略奪やレイプ、殺人などの社会的不安が増大し、肉体的な被害に加えて精神的な健康被害が次第に増えていきました。 復興が進み避難から帰還した人々の多くは家族や家財を失っており、その喪失感に加えて将来の生活不安などの心のストレスが重くのしかかってきました。このようなストレスから自殺者出たとの報告もあります。
災害略奪が増加した
罹災後暫くニューオリンズなどでは略奪行為が横行しました。行き場を失った多くの市民が食料を求めてスーパーなどを襲いました。 手にはマシンガンが握られ、中には治安にあたるはずの警察官まで混じっていたとの情報もあります。 レイプや殺人、放火なども発生し昼間はまだしも、夜は銃声が響き無法地帯のようだったとの声が上がっています。
ハリケーンカトリーナが起きた際の政府と諸外国の対応
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「ハリケーンカトリーナではニューオリンズを中心に甚大な被害が発生しましたが、連邦政府などの対応はどのようなものだったのでしょうか?。 またこのような未曾有な災害が発生した際は国際的な支援が諸外国から寄せられることが多いですが、ハリケーンカトリーナのケースに迫ります。
政府の対応は悪くなかった
ハリケーンカトリーナに対する政府の対応が遅かったことは当時のブッシュ大統領自身が認めています。ハリケーンカトリーナに対する事前の見通しの甘さや事後の関係機関間の連携の不十分、弱者への配慮などが大統領などのシーダーシップの欠如とともに指摘されました。 ニューオリンズでは多くの市民が取り残され、町は混乱し食糧不足などが発生し救援対策は必ずしも十分ではなかったことは事実です。 しかしながら政府もそれなりに対応策は打っていました。被災地の住民に対してデビッドカードが配られ、無料で受けられる医療情報Webサイトも開設されました。避妊具やピルの無料支給も行われたのです。
被災地では人種差別まで起きていた
ハリケーンカトリーナによる被害が大きかったニューオリンズはアフリカ系アメリカ人が多数を占めている地域でした。政府は否定していますが、これが政府の対応を遅らせた理由の一つではないかと指摘する声があります。人種差別が救援の質や量に影響を与えたとの指摘です。 マスコミの報道に関しても、アフリカ系アメリカ人が餓えをしのぐためにスーパーから食料品をとる姿は「略奪行為」と報道し、白人系のアメリカ人の場合は「食料を求めている」と報道したケースもあったようです。 これらの人種差別的な批判をかわすためか、政府は当時のライス国務長官を被災地に派遣しています。ライス長官はアフリカ系アメリカ人です。
諸外国からは寄付金が集まった
当初ブッシュ大統領は「アメリカは自分の面倒は自分でみられる。」と外国からの援助を求めることに否定的な姿勢を示しました。 しかしながら、その後多くの国が支援を表明したことを受けて、「全ての支援を受け入れる。」とスタンスを変えました。 結果、アメリカは世界49の国や機関からの支援を受け入れ、支援金総額は10億ドルにのぼりました。
ハリケーンカトリーナからの復興と現在
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最も大きな被害を受けたニューオリンズでは一時人口が30%以上減少しましたが、現在はハリケーンカトリーナの被災前の水準に戻りつつあります。 当時のルイジアナ州知事は被災7日後に「ルイジアナ災害復興財団」を設立し、全米の関係者を巻き込み復興の司令塔としました。 財団の中にCED(Collaborative for Enterprise Development)という組織をつくり、特に創業支援に力を注ぎました。その結果ニューオリンズには各地から意欲ある若者が集まり、「奇跡の町」とまでいわれる起業文化豊かな町になりつつあります。 日本でもこれまで経験したことがないような自然災害に毎年のように襲われるようになりました。過去の経験を活かして、想定外による被害が起こらないように、事前の備えと対策を十分にとっておく必要があります。