1分でわかるテキ屋
1分でわかるテキ屋
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お祭りや縁日で屋台を出店し飲食物等の販売を行う人々
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テキ屋の仕組みから元締めが暴力団関係者となった背景がある
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昨今外国人のテキ屋が増加傾向なのは暴力団関係の摘発が関係している
テキ屋とは
(画像:Unsplash)
テキ屋という呼び名は古くから「的屋(まとや)」「香具師(やし)」「神農(しんのう)」などと呼ばれ、「当たれば儲かる」ことから「的矢」になぞらえて呼ばれるようになったといわれます。 誰もが耳にしたことのある「テキ屋」とは一体どのような職業なのか、歴史や暴力団との関係についても詳しく見ていきます。
お祭りや縁日で屋台を出店し飲食物等の販売を行う人々
テキ屋とは地域のお祭りや縁日、寺社の参道などで露天販売をする人々のことを指します。たこ焼きや焼きそばなどの食品や射的、くじ引き、金魚すくいと様々な種類でお祭りの非日常感を盛り上げます。 テキ屋は江戸時代から昭和初期に勢いがあり、寺社の修繕や拡張費用を捻出するために縁日に招待され、大勢が集まる場所で商売ができる代わりに場所代として売上金の一部を寺社に渡す仕組みから始まりました。 しかし第二次世界大戦後には、祭や縁日が減るのと同時にテキ屋の勢いもなくなっていきます。
元締めが暴力団関係者であることが多い
戦後の混乱期には暴力団のテキ屋が多数あり、今でも元締めが暴力団関係者であることが多いと考えられます。 平成元年の警察白書によると、戦後の資金獲得のために縁日で露天商だったテキ屋や繁華街で違法行為を繰り返していた愚連隊が闇市で物資の販売や覚せい剤の密売を行い、勢力を拡大させたとあります。 その後昭和30年代には包括して「暴力団」と呼ばれることが社会的にも定着しました。縄張り内でのトラブルを自ら解決するために暴力を組織的に行使したり、闇市の利権をめぐって対立抗争が繰り返されるようになった背景があります。
最近では取り締まりが強化されている
暴力団の資金源を断つことを目的とした暴力団排除条例が2011年に全国に施行されました。 そんななか2013年11月に兵庫県の露天商が加入していた「県神農商業協同組合」(現在は解散済み)が暴力団に用心棒代を支払っていたとされる問題が発覚します。露天商から集めた年間の出店料のうち約3臆円を使途不明金として暴力団関係者に流していたのです。 ますますテキ屋の取締りが強化され、露天商に必要な道路使用許可や営業許可の規制が厳しくなっていくのです。
テキ屋の仕組み
(画像:Unsplash)
古くは平安時代からルーツを持つテキ屋には、今も暗黙の了解とされる仕組みがあります。まさにこのルールと暴力団に密接な関りがあるといえるでしょう。 次にテキ屋の仕組みや、日本最大のテキ屋組織についてみていきましょう。
出店して良い業態が割り当てられている
テキ屋を出店する際にはお互いの利益を守るために、あらかじめテキ屋の業態がかぶらないよう調整して出店場所を割り当てます。 この場割りのことを「テイタ割り」「土割り」等といい、今までは業界を知り尽くしていてトラブルがあっても抑えられる的屋系暴力団が仕切っていることがほとんどでした。 上手く場所を割り振るだけでなく、露店営業をする庭場の管理を親分が指示していたのです。
極東会などが有名
日本最大の組織となる的屋系暴力団は、東京西池袋に本部を置く極東会が有名です。 「暴力団」とは終戦直後に博打を打つ「博徒」、露天商の「的屋」、青少年不良集団の「愚連隊」が闇市をめぐる利権抗争を繰り返すうちに、まとめて「暴力団」と呼ばれるようになりました。 その中でも「極東会」は特に武闘派集団として知られ、山口組との大きな抗争を繰り返し、今も指定暴力団になっています。