1分でわかる尖閣諸島
「尖閣諸島問題」とは
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尖閣諸島は東シナ海にある小島群
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領海内で海底資源が見つかった
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日本と中国がそれぞれ領有権を主張している
尖閣諸島とは
尖閣諸島は沖縄本土から西に400キロの東シナ海に浮かぶ小島群です。日本政府は無人島だった同諸島を1885年から管理下におきます。 1970年頃、同海域に海底資源の存在が明らかとなり、中国や台湾も領有権を主張し始めます。その後は漁船などによる領海内への侵入が多発しており、未だに解決の糸口も見えません。 戦前には日本人の居住者がいましたが、いずれの島も1940年頃からは誰も住んでいません。行政区分は沖縄県石垣市に属し、8つある島のうち一つだけが私有地で、あとは全て国有地です。
沖縄県に属する8つの島々
尖閣諸島の8つの島とは、魚釣島、北小島、南小島、沖の北岩、沖の南岩、大正島、飛瀬、久場島(私有地)のことです。 同諸島の面積はおよそ5.5㎢です。一番大きな魚釣島で面積は3.82㎢・標高363mです。近海には豊かな漁場が広がり、それを餌にする希少な海鳥も数多く生息しています。 中国では魚釣島を「釣魚島」、尖閣諸島を「釣魚群島」又は「釣魚島及びその付属島嶼」と呼びます。また台湾では魚釣島を「釣魚台」、尖閣諸島を「釣魚台列嶼」と呼ばれています。
中国が領有権を主張している
東シナ海の領有権は日本、韓国、中国との中間地点を等分する境界線ルールを基本とすることが日本の考え方です。 一方の中国は自国から張り出す大陸棚の沖縄トラフまで主権が及ぶと主張します。当然尖閣諸島は自国の領有権が及ぶとの見解です。 また海洋開発を進める中国で1992年に制定された「領海法及び隣接区域法」では、中国の領土にすでに尖閣諸島が含まれており、明文化されています。
日本政府が約2500万円で地権者から借り上げていたが、国有化した
1896年に日本政府は魚釣島、久場島、北小島、南小島の4島を実業家の古賀辰四郎氏に貸与します。 1932年貸与していた4島を古賀辰四郎氏の長男に15,000円(現在価値で約2,500万円)で払い下げます。 1990年代になり日中の領有権争いが激しさを増してきたことから、2002年には日本政府が年間約2,500万円で一旦借り上げます。2012年9月になって久場島を除く3島を日本政府が20億5千万円で購入して国有地とします。
尖閣諸島の歴史と日本の主張
尖閣諸島がどの国の支配下にもなく、なおかつ無人島であったことから日本政府は1895年に沖縄県に組入れました。その後民間人による水産事業などが行われますが、1940年からは再び無人島に戻ります。 この経緯を踏まえて日本政府は「尖閣諸島には領有権は存在しない」と主張します。
サンフランシスコ平和条約や沖縄返還時に日本領とされた
1945年第二次世界大戦における日本の敗戦で尖閣諸島を含む南西諸島は米軍の支配下におかれます。 1951年9月8日のサンフランシスコ平和条約の調印で日本は主権を取り戻しましたが、尖閣諸島については引き続き米国の施政権が及びます。 その後1971年6月17日に調印された沖縄返還協定に従い、翌年5月15日に尖閣諸島の施政権も沖縄県の一部として日本に返還されます。
中国もかつては尖閣諸島が日本領であると認めていた
1919年に尖閣諸島の沖合で中国船が難破しました。その乗組員を魚釣島の日本人が救助したことで、当時中国から感謝状が届きます。宛名は「大日本帝国沖縄県八重群尖閣諸島」でした。 過去の中国や台湾の地図を見ると尖閣諸島は日本の領土に入っています。しかし、1970年頃を境にして尖閣諸島が日本の領土から中国の領土にかわっています。 中国側もかっては尖閣諸島への関心が薄かったことで、日本の領土であることを認めていたのです。