1分でわかる沖ノ鳥島
沖ノ鳥島問題とは
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「沖ノ鳥島」は、資源の乏しい日本にとって重要な意味を持つ島
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「島」か「岩」の議論があったが国際的に「島」として認知
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海洋資源や軍事的な意味合いで中国の動きに目が離せない
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沖ノ鳥島とは
日本には6,800を超える島がありますが、その中で最も南に位置するのが「沖ノ鳥島」です。奈良県や和歌山県と同じく東経136度に位置し東京からは1,740キロ離れています。 その面積は5万平方キロで東京ドーム107個分です。住所は東京都小笠原村沖ノ鳥島になります。それでは詳しく見ていきます。
日本最南端に位置するサンゴ礁でできた島
沖ノ鳥島は九州から南太平洋のパラオを結ぶ海底山脈で唯一海面に出ている部分です。 海底山脈の山頂だけが海面から顔を出しており周辺は4,000mから7,000mの深さです。島の断面図は富士山に似ており海面部分はサンゴ礁で出来ています。 1500万年前に島がゆっくり海中に沈んでいくのに対して、それ以上の速さでサンゴ礁が成長して今の形を形成しました。奇跡の島と呼ばれるのも頷けます。
満潮時は北小島と東小島しか海面上に現れない
サンゴ礁の中で満潮時に確認できるのは北小島と東小島の2つだけです。 鉄で作られた波消しブロックとコンクリートが、今にも沈みそうな2つの島をがっちりと守っています。東小島にはコンクリートの破片が当たる恐れがありチタンでできたネットも被せられています。 サンゴ礁の中には大規模な観測施設があり、そこでは気象状況や海上の変化を日々観測しています。沖ノ鳥島は日本で唯一の熱帯気候に属しており貴重なデータが集まります。
海面上昇と侵食により沖ノ鳥島は消滅の危機
世界では地球温暖化の影響から海面上昇が心配されています。すでに壊滅する村や町が出ており沖ノ鳥島にも同様の危機が迫っています。 2つの島は普段でも1メートル程しか海面から出ていませんが、満潮時になると北小島で16センチ、東小島では6センチしが確認できません。 その上沖ノ鳥島周辺には毎年多くの台風が接近します。波風に晒された小島は存続の危機に面しています。
沖ノ鳥島の歴史
沖ノ鳥島は今から500年前にスペインの船が発見したといわれています。日本では1922年に海防艦「満州」が上陸して島を調査しました。1931年には「沖ノ鳥島」と名付けて東京府小笠原支庁に編入します。 戦後の日本は「沖ノ鳥島」の施政権を一度は失いますが、小笠原返還協定を経て再び自国の管理下に置きます。以下で詳細を見ていきます。
かつては満潮時に6つの岩が露出していた
1933年の調査では満潮時でも6つの岩が海面から出ていました。海抜3メートルに近い北露岩、2メートル前後の東露岩と南露岩、1メートルに足らない露岩、それ以外にも2つの岩です。 島の存続は当初から危ぶまれており1939年に気象観測所を設置する工事が始まります。しかし第二次世界大戦の戦況が厳しくなってきたことで工事は中断されました。 1968年に米国から施政権が戻った直後は6つの岩すべてが確認できましたが、今ではその姿を見ることはできません。
サンフランシスコ条約で沖ノ鳥島は島として認められた
第二次世界大戦を締結させるために連合国と結んだ条約がサンフランシスコ平和条約です。この中で日本の主権が認められて領土も明確に規定されます。 「小笠原群島などの南方諸島並びに沖ノ鳥島及び南鳥島についてはアメリカ合衆国を施政権者とする」との承認がなされ、沖ノ鳥島が「島」として認められます。 これは島々がアメリカ合衆国の管理下には置かれるものの、主権は日本に残ったことを意味します。
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