1分でわかる生長の家
生長の家
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1930年に創始者谷口雅春が神の啓示を受けて設立した
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谷口雅春はかつて右翼の巨魁とも呼ばれ政治活動とも関係があった
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「生長の家」の衰退といわれるのには、第3代総裁の方向転換がある
生長の家とは
(画像:Unsplash)
「生長の家」といえば「右翼の巨魁」と言われたり「オカルト宗教」と揶揄されたりすることから、黒幕的なイメージを持っているかもしれません。 実際にはどんな宗教法人なのか、「生長の家」を知る上で押さえておきたいポイントを紹介します。
1930年に谷口雅春により設立
「生長の家」は創始者の谷口雅春が突然「今起て(たて)」と神啓を受け、「人間は神の子である」という悟りを得ました。その内容を伝えるために月刊誌「生長の家」を1930年3月に創刊したことから始まります。 雑誌の合本である「生命の実相」を読めば「病気が治り、貧乏も逃げていく。」と宣伝し購読者をどんどん増やしていきました。 早稲田大学を中退した谷口雅春の思想には、神道・仏教・キリスト教など諸宗教の教えに加え、哲学や精神分析学、心霊学などを融合したもので「すべての宗教において真理は一つ」と捉えていました。
生長の家総本山
総本山は長崎県西海市の山中にあり、1978年谷口雅春85歳の時に建てられました。龍宮住吉本宮や総本山錬成道場、谷口雅春が神啓を受けた家を復元した「藤棚の家」などがあります。 当初の龍宮住吉本宮の御祭神には、谷口雅春に神啓を与えたとされる住吉大神を、2014年には第3代総裁の谷口雅宣が天之御中主大神、高御産巣日神、神産巣日神を勧請しています。 政治活動の一線から退いた雅春と妻の輝子は晩年を総本山で過ごし、大村湾を見下ろす山頂に二人の墓である谷口家奥津城があります。
生長の家宇治別格本山
京都府宇治市にある宇治別格本山は1960年に宇治川のほとりに建立されました。 宝蔵神社大拝殿は、神道・仏教・キリスト教の3つの建築様式を取り入れるなど、ここにも谷口雅春の思想が色濃く表れています。 新練成道場がある他に先祖供養・永代供養・流産児無縁霊供養などがあり、教団内では霊供養の場所として知られています。
飛田給練成道場
「生長の家」には、泊まり込みでする勉強会や講習会を「練成会」といい、その場となる「錬成道場」が各地にあります。 そのうち東京都調布市飛田給にある「飛田給錬成道場」は、「愛国」をテーマとする青年向けの練成会の開催場所として戦後開かれました。 後に「生長の家」は政治活動推進派と否定派に派閥が分かれますが、「飛田給錬成道場」は政治運動を積極的に行う推進派の拠点となった場所でもあります。
児童養護施設生長の家神の国寮
児童養護施設である神の国寮は、終戦当時街にあふれていた戦災孤児達を収容して養育したことがはじまりでした。 しかし2005年には児童養護施設で暮らしていた当時10歳の男性が、当時の児童指導員から暴行を受けて左手に障害を負ったとし、元指導員に約7,500万円の損害賠償を求めた訴訟が起こっています。 最終的には児童養護施設側と元指導員が一部責任を認め、損害金1,000万円超を支払い和解しましたが、日常的な体罰があったのではないかと疑問が残りました。
生長の家 甘露の法雨
「甘露の法雨」とは「生命の実相」と共に「生長の家」の教義が書かれているとされる谷口雅春の著作の一つです。 「甘露の法雨」は、もともと雅春が霊感によって導かれて書いた自由詩でした。しかし、読むうちに難病を癒し、不幸を幸福に転じさせ、絶望を歓喜へと人生観を一変させるなど、数々の軌跡を起こしたとしていつしか聖経と呼ばれる基本経典となっています。 先祖供養のために神前や仏前で読経する他に、同名のお守りがあるなど信者にとっては信仰生活に欠かせないものとなっています。