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競艇選手の松本勝也選手がレース中の事故で溺死。ボートレースの危険性とは。

もくじ

松本勝也選手がボートレース事故で死亡

1分でわかるニュースの要点

  • 松本勝也選手がボートレース中の事故死
  • ベテラントップレーサーの悲報
  • 過去にも痛ましい事故が

松本勝也選手の事故死

松本勝也選手の事故死にはたくさんの悲しみの声が寄せられています。 見るものにスリルと興奮を与えるレースですが、競技者は危険と常に隣り合わせであることを改めて実感させられる事故となりました。

尼崎ボートレース場で行われた

尼崎ボートレース場では2月6日~11日の日程でG1第63回近畿地区選手権競争が開催されていました。 開催期間中はオープニングセレモニーに始まりヒーローショー・トークショー・ものまねライブなどが企画され、一昔前のギャンブル場というイメージではなく家族で楽しめるイベントの色あいが強くなっています。 そんな中で今回の事故は発生しました。

松本勝也選手のボートが後続ボートと接触

事故の状況としては松本勝也選手が1周目・2回目のマークをターンした際に転覆し、後続艇が接触したというものです。 レースに勝つためにはこのターンが他艇を抜く重要なポイントとなるため、レーサーはギリギリのせめぎ合いをしています。 競艇のスピードは最高速度で時速約80キロ前後ですが、ターンをする際に減速はしているとはいえ相当な衝撃を受けたと考えられます。

死因は溺死

松本勝也選手は後続艇との衝突の際全身を強く打ち、心肺停止の状態で救急車で病院に搬送されました。 その後搬送先の病院で死亡が確認され48歳という若さで命を落としてしまいました。 大きな外傷はなく肺に水が溜まっていたため死因は溺死と発表されています。

松本勝也選手について

長年ボートレース界をけん引してきた松本勝也選手はどういった経歴の持ち主なのでしょうか。 経験年数や数々の賞レース歴などに迫ります。

経歴

松本勝也選手は兵庫県神戸市出身の地元レーサーで、デビューは1991年奇しくもこの尼崎ボートレース場です。 通算成績は出走数5772回・優勝37回・2000年にはSG優勝戦の初進出を果たしてからというもの、長年ボートレース界をけん引してきました。 レース運びに定評のある試合巧者のベテランといわれています。

長らくA1で活躍し人気が高かった

ボートレーサーにはA1・A2・B1・B2と4段階のクラス分けがありますが、松本勝也選手は最高位のA1に24年間もいた第一人者です。 人柄も穏やかで人気がありファンにも「勝っちゃん」の愛称で親しまれていました。 SGやG1といったグレードの高いレースでの優勝歴はありませんが、長い年月A1をキープして戦い続けており、今回も悲願のG1戦優勝に向けてまさに必死の覚悟で挑んでいたと思われます。

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